『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(2)

さて、続きです。

マルクスは、過程を進行する主体としての「流動資本」、流通しなければならない各局面に固定された「固定資本」という定義を使って、早速、経済学者たちの批判に向かう。

【8】361ページ上段から363ページ上段までの段落。

まず、復習。(^_^;)

 流動および固定という規定は、まず第1には、2つの規定のもとに――特殊的種類の2つの資本として、2つの特殊的種類における資本としてではなく、同じ資本の異なった形態上の諸規定として――措定された資本そのもの、すなわち1つには過程の統一として措定され、次には過程の特殊的局面として、統一としての自己からは区別されたものとしての資本そのものとして措定された資本そのもの以外のなにものでもないということ……。

非常に回りくどい言い方をしているけれど、要するに、流動資本と固定資本という規定は、特殊な2つの種類の資本ではなくて、同じ資本の形態上の区別なんだ、ということ。そして、流動資本は、「過程の統一」としての資本であり、固定資本は、「過程の統一」としての流動資本から区別された、過程の特殊的局面に固定された資本だ、ということ。だから、ここはこれまでのくり返し。

で、そこからが経済学説批判。

……このことは、経済学の中に多くの混乱をひきおこしてきた。ある物質的生産物について、1つの側面にしがみついてのこの側面からその生産物が流動資本なのだと言われたときには、容易に反対の側面を指摘することができたし、またその逆もそうであった。

ここでは、流動しつつあるということは、資本が生産局面から区別された本来的な流通局面のなかにあるといったような意味で理解されてはならない。

362ページ上段から、資本の制限としての流動資本と固定資本という問題が取り上げられる。

たとえば、産業家が彼の自由に処分できる資本……のうちの一部分だけを生産に充用するのは、他の一部分が、流通から復帰するまでに一定の時間を要するからである。この場合には、生産のなかで過程を進行しつつある部分が流動している部分であり、流通のなかにある部分が固定された部分である。つまり、資本の総生産性はこのことによって制限されている、すなわち、再生産される部分は制限され、したがってまた市場に投じられる部分もまた制限されているのである。……総資本のうちの、ある時には一方の部分が、またある時には他方の部分がこの規定に入っているのであるが、しかし、彼の総資本は、絶えず両方の規定のうちに置かれている。……この2つの規定への分解は、可能な限りの価値増殖をめざす資本の傾向とは矛盾するのだから、資本は固定性の局面を短縮するために、もろもろの仕組みを案出する。(362ページ上段?下段)

ある時期には、過程はまったく流動的なものとして現われる、――資本の極度の価値増殖の時期。他方の時期には、他方の契機がそれだけ強力的に作り出される、――資本の極度の価値喪失と生産過程の停滞の時期。両規定が並んで現われる諸時点は、それ自身、これらの強力的な移行、転換のあいだの中間期をなすにすぎない。(362ページ下段)

流動する資本と固定された資本というこれらの規定を資本一般の形態規定として把握することは、絶対に重要である。というのは、〔この把握なしには〕ブルジョア経済学の多数の現象――資本の1回限りんほ循環期間とは本質的に区別される経済循環の諸時期、新たな需要の影響、また新たな金銀生産諸国が一般的生産に及ぼす影響でさえも――が理解不可能になるからである。(363ページ上段)

ここでは、資本の循環とはべつに、いわゆる産業循環の問題が取り上げられている。「流動資本」「固定資本」の区別を、景気循環の理由としてもちだすのは違っているように思うけど、恐慌論にもちょっと関係があるので、一応メモっておく。(^_^;)

で、ここでの「流動資本」「固定資本」の定義によって、マルクスは、「経済学者たちは――リカードウでさえも――ばかげた諸矛盾におちいっているのである」(363ページ上段)と批判している。

【9】363ページ下段?364ページ上段の段落。

ここでは、マルクスは、総資本の一部がつねに「固定」されていなければならないというこの「制限」は、「交換にもとづいている」生産様式に「固有」の問題であって、「生産それ自体の法則」ではない、と指摘。そこから、未来社会論へ話は進む。

交換価値がもはや物質的生産の制限をなさず、個人の全面的発展に対する物質的生産の関係によって物質的生産の制限が措定されるようになると、物質的生産の痙攣や苦痛を伴ういっさいのできごとがなくなってしまう。(363ページ下段)

その次は、信用論。

貨幣が物々交換の諸制限を止揚するのは、ただこれらの制限を一般化すること――すなわち購買と販売とを相互にまったく分離すること――によってだけであるが、のちに見るように、信用が資本の価値増殖にたいするこれらの制限を止揚するのもまた、ただ、これらの制限をその最も一般的な形態に高め、過剰生産の時期と過少生産の時期とを2つの時期として措定することいよってだけなのである。(363ページ下段?364ページ上段)

まだまだ…ほんとに続く?!

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