ディミトロフの日記

『ディミトロフの日記』

コミンテルンの実態を示す大事な資料だと言って教えてもらった『ディミトロフの日記 1933〜1949年』から。

日記だから、話の脈絡が分からん…。英訳版とはいえ、オイラの語学力ではパラパラ読むことさえ不可能。

ディミトロフというのは、ブルガリア共産党の幹部で、ドイツ国会議事堂放火事件(これはナチスのでっち上げだったのだが)の容疑者として逮捕され、釈放された後、ソ連に移り、1934年から43年までコミンテルンの書記長。コミンテルン解散後は、ソ連共産党国際情報局の副部長(のちに部長)となった[1]

ということで、とりあえず、ヒトラー・ドイツがポーランドに攻め込んだところから読み始める。

この直前に、ソ連はヒトラー・ドイツと「不可侵条約」および「秘密協定」を結び、ポーランド分割で合意していた。また、それまではコミンテルン第7回大会で「反ファシズム人民戦線」の戦術を決めていた(大会報告者はディミトロフ)が、ドイツがポーランドを侵攻し、英仏などがドイツに宣戦布告すると、スターリンは、手のひらを返したように、ファシズム・ドイツと英仏とどちらが悪いとは言えない、と主張。ポーランド国家の消滅は、社会主義のテリトリーを拡大するものだと正当化している。あらためて、社会主義とは無縁の覇権主義の体制になっていたことがリアルに明らかに。

1939年9月1日
 ――戦争がドイツとポーランドのあいだで始まった。

1939年9月7日
 ――クレムリンで(スターリン、モロトフ、ジダーノフ)
 スターリン
 ――戦争は、資本主義諸国の2つのグループのあいだのものだ――(植民地、原料資源などからみて貧しい国と豊かな国との)――世界再分割、世界支配のための!
 ――彼らが激しい戦闘をおこなって互いに弱め合うというのは、悪くない。
 ――もし、最富裕資本主義諸国(とくにイギリス)の地位がドイツの手で不安定になれば、それはいいことだろう。
 ――ヒトラーは、それを理解していないし、そうしたいとも思っていないが、資本主義システムを揺るがしているし、掘り崩している。
 ――権力にある共産主義者の立場は、野党の共産主義者の立場とは違っている。
 ――われわれは、われわれ自身の家の主人だ。
 ――資本主義国の共産主義者は野党の立場にあり、ブルジョアジーが主人だ。
 ――われわれは、可能な限りお互いにたたかわせるために、一方を他方にたいして立ち向かわせることができる。
 ――不可侵条約はある程度ドイツを助ける役に立っている。
 ――次の時は、われわれは他の側面を議論しよう。
 ――資本主義諸国の共産主義者は、自分たちの政府と戦争に反対を大声で叫ぶべきだ。
 ――戦争前に、民主主義体制をファシズムと対置したのは正しかった。
 ――帝国主義勢力間の戦争中には、それは正しくない。
 ――資本主義諸国のファシスト国家と民主主義国家とに分けることは、もはや無意味だ。
 ――戦争は、根本的な変化をもたらした。
 ――昨日までの人民戦線は、資本主義体制のもとで奴隷の地位を和らげるのに役立った。
 ――帝国主義戦争の条件の下では、奴隷の蜂起の全滅の可能性。
 ――昨日までの立場(人民戦線、連合国)を維持することは、今日では、ブルジョアジーの立場に陥ることを意味する。
 ――That slogan is struck.
 ――過去には、ポーランド国家は、民族国家だった。それゆえ、革命家は分割と隷属化にたいして国家を防御した。
 ――いまは〔ポーランドは〕ファシスト国家であり、ウクライナ、ベラルーシなどを圧迫している。
 ――現下の条件のもとであの国家が消滅すれば、戦うべき少数のブルジョア・ファシスト国家の1つを意味するだろう。
 ――もし、ポーランドの崩壊の結果として、われわれが社会主義システムを新しい領土や人口に拡張できるとすれば、害悪だろうか?

スターリンが、レーニンが第1次世界大戦について分析した帝国主義戦争という見方を悪用して、反ファッショの方針をいとも簡単に覆していることがわかる。また、「秘密協定」によるポーランド解体を「社会主義」の勢力圏の拡大として正当化している。スターリンのもとで、ソ連が社会主義とは無縁の体制に変質していたことをリアルに物語る資料。

  1. 不破哲三氏は、このコミンテルンの解散について、次のように指摘している。
     「決定的な変質は、1943年6月のコミンテルンの解散でした。これは、表面上は、各国共産党が自主性を発揮するためとか、反ファシズム連合戦線の団結強化のためとか、きれいな言葉で飾られましたが、実際に起こったことは、まったく逆でした。コミンテルンの書記長だったディミトロフは、ソ連共産党に吸収されて、その一部局――新設された国際情報部の部長となり、モスクワに亡命していた各国共産党の幹部は、コミンテルンという国際機関ではなく、ソ連共産党の直接の指導・監督のもとに活動する仕組みがつくられたのです。
     私は、ここには、戦後世界には、コミンテルンのような国際機関はもういらない、ソ連共産党が各国の共産党を裏から支配する新しいシステムが必要だ、こういうスターリンの覇権主義の野望が現われていたと思います」(不破哲三『日本共産党史を語る』上、94〜95ページ、新日本出版社、2006年) []

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