『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(6)

第60段落から。また話は、循環と回転速度の問題に。

【第60段落】425ページ下段?427ページ上段

ラムジの引用。「固定資本の使用は、価値が労働の量に依存するという原理をかなりの程度まで修正する」。これが古典派経済学を悩ませた最大の問題。

【第61段落】428ページ上段

古典派経済学者たちも、流通時間が価値の量を増加させる時間でないことを認めている、云々。

【第62段落】428ページ上段?同下段

資本がある期間につくりだすことのできる剰余価値の総額は、この期間中の生産局面の反復によって、資本の回転によって規定されている。だが、回転は生産局面の継続時間+流通の継続時間に等しく、流通時間と生産時間の合計に等しい。流通時間…が小さければ小さいほど、回転はそれだけますます生産時間そのものに近づいていく。(428ページ下段)

【第63段落】428ページ下段?429ページ下段

生産時間が3カ月、流通時間が1カ月の場合、資本は年3回転しかできない、云々。「資本がここで価値算出にもち込む規定は、先に示されたように、否定的なもの、制限的なものである」(429ページ下段)

【第64段落】430ページ

100ポンド・スターリングの資本が生産に投じられ、その生産時間が3カ月だとする。そのあと流通時間に1カ月かかるとすると、そのの場合、この1カ月のあいだ、100ポンド・スターリングの資本は、まったく使用することはできない。

【第65段落】431ページ?432ページ上段

だから、100ポンド・スターリングを投下したあと、4カ月目から毎月33 1/3ポンド・スターリングずつ投下していったらどうなるかの試算。

同じことを、『資本論』でもやっている。これについては、不破『「資本論」全三部を読む』の該当ページを参照のこと。

【第66段落】433ページ上段?同下段

先ほどの話の続き。

【第67段落】433ページ下段?434ページ下段

先ほどの話の続き。100の資本で生産時間3カ月で5の利得を生む資本であっても、流通時間に1カ月かかるとすると、1年間には3回転しかせず、したがって利得は15にとどまり、これは75の資本にたいする利得に等しい、云々。

【第68段落】434ページ下段?435ページ下段

資本の流通について、形態変換と素材変換んとの両面から考察。資本はW-G-G-Wでもあれば、G-W-W-Gでもある。

「この問題は結局のところ、多数の資本がそれらの相互作用と反作用のなかで考察されたのち、はじめて論じうるもの」(435ページ下段)

【第69段落】436ページ上段?438ページ下段

まず、生産時間と労働時間の違い。農業では、生産物が仕上げられる前に、労働の中断が生じる。(要するに、ほったらかしておいても育つ、というわけ)

「生産物によって、必要とされる継続時間は不等だ」(436ページ下段)

「この問題は明らかに、本来、利潤率の均等化のところではじめて論じられるべきことのようだ」(437ページ上段)

「価値は、したがって剰余価値も、生産局面が継続する時間にイコールなのではなくて、この生産局面のあいだに充用された労働時間、すなわち対象化された労働時間ならびに生きた労働時間にイコールなのである。後者〔生きた労働時間〕だけが……剰余価値を創造することができる」(437ページ下段)

【第70段落】439ページ上段

ふたたび、人体のたとえ。425ページ上段でもでてきたが、マルクスは、このたとえが気に入ったのかも知れない。

【第71段落】439ページ上段最後の4行だけ

シュトルヒの引用というかたちで、「流通を加速する手段」について。<1>商業だけに従事する「労働者」の形成、<2>運輸手段の便。<3>貨幣。<4>信用。

シュトルヒの引用だけれども、マルクスの見解でもあるようだ。

【第72段落】439ページ下段?441ページ上段

「流通を加速する手段」の話の続き。貨幣の働き。

貨幣は、一方では「流通時間を短縮するために」使用される。他方では、資本が「それ自体として存在する価値」に「再転化」するという「流通の質的契機」になっている。どちらからみても、貨幣は「流通費用」に属し、価値を増加させない。後者の面からみれば、貨幣は、高価な、労働時間を要する、剰余労働から控除される価値を表わす。前者の面から見れば、流通時間を節約し、生産のための時間を解放する。

このように、貨幣は「生産上の空費」を表わす。

「本源的な流通必要は、労働時間に対立する流通時間それ自体である」(440ページ下段)

実在的には、流通費用は、流通時間という本源的な費用を短縮するために使用された機械装置に対象化された労働時間である。(同前)

「貨幣は、資本の流通の制限である」。「流通時間のない流通が資本の傾向である」。だから、もっぱら流通時間の短縮に役立つ諸用具を措定することも資本の傾向である。(441ページ上段)

【第73段落】441ページ上段?442ページ上段

「1つの特殊な商業職層の形成」(441ページ上段)。「交換の業務それ自体が1つの特殊的労働に転化し終えていること」(同前)。「商業職層の形成もまた、資本にとっての1つの前提である」(同前)。だから、「これを資本の特有の流通を媒介するものに数えることはできない」(同前)。

「商業は、歴史的にも概念的にも、資本の成立にとっての1つの前提」である。だから「われわれはこの章〔何の章?〕を終える前に、この点に立ち返られなければならにあだろう。というのは、それは資本の成立にかんする項目〔Abschnitt〕以前か、あるいはこの項目のなかで論じられるべきことだからである。」(441ページ下段?442ページ上段)

【第74段落】442ページ上段?同下段

「運輸手段の軽減」について。それが「物理的な商品流通の軽減」を意味するだけなら、それはここで論じる問題ではない。

「生産物は市場に入ったときにはじめて商品になる」(だから、生産物を生産の場から市場まで運ぶ運輸労働は価値を生むのだ)。だから、流通時間が「生産の場から市場までの距離とともに増大しなければならないかぎりで」、運輸手段は、ここで問題にしなければならない。「運輸手段によるこの距離の短縮は直接に、……資本の流通の考察に属するもの」。

といいながら、、マルクスは、「それでもやはり、このことは本来は市場論で論じられるべきことだ」といっている。ただし、この市場論は「資本についての項目のなかで論じられるべきもの」だというのだが。(6部構成の「世界市場」とは別、ということ)

【第75段落】442ページ下段?443ページ上段

今度は、信用。ここでマルクスがあげているのは3つ。

  1. 「貨幣を紙券によって置き換えようとする試み」。
  2. 「資本が価値の形態で存在するかぎりでは、純粋に資本それ自体によって措定された形態を資本に与えようとする試み」。
  3. 「資本が発生するのと同時にただちに信用を想像しようとする試み」。

【第76段落】443ページ上段?445ページ上段

ここで、「総過程としての流通過程の内部」での「大流通」と「小流通」という話が出てくる。

「大流通」とは、「資本が生産過程からあゆみ出る瞬間から、そのなかに戻ってくるまでの全期間」。つまり、G-W-Gの全過程。

「小流通」は、「資本のうちの、賃銀として支払われる、労働能力と交換される部分」。こちらは、G-W<A+Pm …P…W’-Gのうち、G-Aの部分。

「資本家と労働者のあいだで行なわれる交換は、交換の諸法則に完全に照応しており、しかも、……その最終的な開花である」(444ページ上段)

444ページ上段では、労働力(ここではまだ「労働能力」と言っている)の使用価値が「価値増殖の要素」「労働能力に対象化された労働時間よりも多くの労働時間、すなわち生きた労働者の再生産に要する労働時間よりも多くの労働時間」を生み出すこと、だと言って、資本家が「労働能力に含まれている労働時間を超える」労働時間を「交換なしに手に入れた」と、剰余価値の取得を説明している。

そして、そのことを、「他人の労働時間を交換なしに、交換という形式を媒介として、取得した」「交換はたんに形式的なものとなり、…資本が労働能力との交換によって、資本自身がもつ対象化されたおるどうとしての、労働能力以外のなにか他のものを手に入れるかのような、したがって総じて労働能力との交換によってなにかを手に入れるかのような外観も…使用される」(444ページ下段)。

だから「転回が生じるのは次のことによってである」。――領有法則の転回(445ページ上段にかけて)。自由、平等、所有、云々。「自己労働にたいする所有とそれの自由な処分とは、労働者の所有喪失と彼の労働の放棄とに、彼が自分の労働にたいして他人の所有にたいする仕方でかかわること、またその逆〔逆とは?〕に、転回する」。

【第77段落】445ページ上段?447ページ下段

引き続き、「小循環」の話の続き。

「小循環」は「資本をはじめて資本として措定するもの」「資本の価値増殖過程の条件」であり、「価値増殖過程という形態規定だけでなく、この過程の実体を措定する」(445ページ下段)。

この部分は「資本のうち絶えず流通している部分」、「生産過程には瞬時も入らず、しかも絶えず随伴している」。「それは資本のうちのそれ〔何の?〕の再生産には瞬時も入らない部分であって、このことは原料の場合には当てはまらない」。

「労働者の必需品は生産過程から生産物として、結果として出てくるが、それ自体としてはそれはけっして生産過程に入らない。……つまりこれこそは、原料とも労働用具とも区別される、とりわけすぐれた流動資本である」(445ページ下段)。

「ここに、資本の循環のなかの、消費が直接に入ってくる唯一の契機がある」

「流動資本はここでは直接に、労働者の個人的消費に向けられた資本、総じ直接的消費に向けられた、だからまた完成生産物の形態で存在する資本として現われる。」

「資本は、いったん自己自身から出発して動き始めると、自己を絶えず、消費可能な生産物、原料、労働用具という自己のさまざまな形態で前提し、そして自己を絶えずこれらの形態で再生産する。……だから、ここでわれわれは、生きた労働能力――およびこれを維持するための自然諸条件――にたいする資本の関係によって、流動資本が使用価値の側面からも、直接に個人的消費に入り、そしてこの消費によって生産物として消尽されるべき資本として、規定されているのをみるのである」(446ページ上段?同下段)

面白いのは、その次。マルクスは、「このことから誤って引き出されたのは、流動資本とはそもそも消費可能な資本なのだ」と言って、「石炭、油、染料等々」は「消費されるもの」であるが、それらは個人的消費ではない。にもかかわらず、「流動資本はそもそも消費可能な資本だ」という誤った見地からは、それらも「個人的消費」と同じように消費されるように見える、云々といって、「石炭、油、染料等々」を「流動資本」だとみなす議論を批判している。まだまだ、マルクスの議論は揺れている。(446ページ下段)

そのあと、446ページ下段の最後の部分から447ページ上段で、労働者の消費は労働者自身の再生産であり、それは資本が資本であるための不可欠の関係の再生産だから、資本の存在条件に含まれる。したがって、労働者の消費を資本は「生産的消費」と名づける、という話が展開されている。

「資本は自己を二重に再生産する」(447ページ下段)

【第78段落】448ページ上段?449ページ上段

さらに「小循環」の話。

「資本と労働のあいだのこの流通は資本の一部分がもつ規定、すなわち、絶えず流通しているもの、必需品、たえず消費されるもの、たえず再生産されるべきもの、という規定を生み出す」(448ページ上段)

そこから、マルクスは、「資本と貨幣との、資本の流通と貨幣の流通のあいだの区別」を論じる(448ページ上段?)。

【第79段落?第82段落】449ページ下段?450ページ上段

ここではマルクスは、「流通は、全体としてみれば、三重に現われる」と言っている。

  1. 総過程
  2. 資本と労働能力とのあいだの小流通
  3. 大流通。生産過程の外部での資本の運動。

「小流通」について。「資本のうちこの流通に入る部分――必需品――は、とりわけすぐれた流動資本である」。「それは形態上から規定されているだけでなくて、それの使用価値、すなわち消費可能であって、個人的消費に直接入る生産物であるという素材的規定が、それ自体として、それの形態規定の一部をなしている」(449?450ページ)

つまり、ここでは、マルクスは、労働者の個人的消費に直接入る生産物を「流動資本」と言っている。

その次。「大流通」。ここで「流動資本と固定資本の区別」が出てくる。

大流通。…ここでは資本の時間は、労働時間に対立して、流通時間として現われる。生産局面から歩み出る資本にたいする、生産局面に含まれている資本の、この対立から、流動資本と固定資本との区別が生じる。後者は、生産過程に固定されており、生産過程そのもののなかで消費される資本である。それはなるほど大流通からやってくるものではあるが、しかしそれには復帰せず、またそれが流通するかぎりでは、ただ生産過程で消費され、それに封じ込められるだけのために流通するのである。(450ページ上段)

その次の話が、ちょっとわかりにくい。

【第83段落】450ページ下段?451ページ上段

マルクスは、「資本の流通における3つの区別」から、「流動資本と固定資本とのあいだの3つの区別」に話を進める。で、まず、資本の一部は「生産過程にけっして入らないが、しかし絶えずこれに随伴している」ということから「とりわけすぐれた流動資本」だと言われる。

そのあと、突然、「第3に」というのが出てくる。第3? 第2は? そして、「形態第3における流動資本は形態第2を含んでいる」が、「形態第2は形態第3を含まない」云々。

しかし、「形態第3の流動資本」? 「形態第2」の流動資本とは?

「資本のうちのそれ自体として生産過程に属する部分は、素材的にはただ生産手段としてだけ役立ち、生きた労働と加工させるべき原材料のあいだの中間項をなす資本部分である」。――これは、固定資本のことだろう。

「石炭、油、等々のような、流動資本の一部は、じっさいただ生産手段としてだけ役立つ」。これらは「機械、または機械を動かす機械を運転するために、手段として役立つ」。「この区別はさらに詳しく研究されるべきだろう」云々。

「なにより、このことは規定第1とは矛盾しない」? このことって? 「規定第1」とは?

「発展した資本……が最も顕著に自己を顕わすのは、まさに固定資本というこの規定において」。「この規定においては、資本はその流動性を失い、またそれは、それからそれの転態能力を奪い取る特定の使用価値と同一視されるのである」、云々。

「資本の資本としての発展が測られる」のは、「この形態の、第2での流動資本の形態にたいする比率が増大することにおいてである」。「この矛盾は面白い。転回しなければならない」――これは、有機的構成の高度化の話なんだろうか? よー分からん…。

もう疲れた…。しかし、まだまだ続く。(^_^;)

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