『1857-58年草稿』 「固定資本と流動資本」を読む(7)

451ページ下段、第84段落から。

【第84段落】451ページ下段

「経済学に外面的に舞い込んできた、資本の様々な種類」? 「資本それ自体の本性から生じた運動の沈殿物」?
よく分からない。(^^;)

【第85段落】451ページ下段

シュトルヒ、マルサス、スミスからの引用。

これを受けて、次の段落で、次のように言われる。

【第86段落】452ページ下段?453ページ下段

シュトルヒの、資本がその所有者のもとから「立ち去る」という表現から、次のような議論へ。

価値としては、固定資本は流通するが、使用価値としては固定資本は流通しない。(452ページ下段)

ここで、固定資本は「使用価値としては……流通しない」。「素材的側面から生産過程の契機として考察されるかぎりでの固定資本は、自己の領域をけっして離れず、それの所持者によって譲渡されず、彼の手中にとどまっている」。価値としては、固定資本は「多年生の価値として流通する」。

これに対して、「流動資本では、形態と内容との、使用価値と交換価値とのあいだでのこうした区別は生じない」。

というふうに論が展開され、事実上、固定資本と流動資本の区別に到達している。

しかし、そのあとで再び議論は混乱していく。

すなわち、いったん生産過程に入ったのちは生産過程にとどまり、生産過程のなかで寿命を終え、生産過程のなかで消尽されるものが固定資本だとすると、「石炭、木材、油、獣脂のような、生産過程で完全に消磁され、生産過程それ自体にとってしか使用価値をもたないものは固定資本に属する」という結論が導き出されている。

ここでマルクスは、物が生産の外部で、使用価値をもちどう消費されるかという問題と、固定資本であるかどうかという問題とは、別の問題だということを明らかにする。

【第87段落】454ページ下段?455ページ1行目

再び「資本の小循環」が登場。「資本と労働能力とのあいだの流通」。

そのあと、次のような規定が「固定資本の第1の規定」だと述べている。

固定資本として規定される資本部分は、使用価値としては、つまりそれの物質的定在から見れば、生産過程からけっして歩み出ないし、また流通にふたたびはいることは決してない。後者が価値として……流通にはいるだけであるのにたいして、必要労働は賃金の再生産、資本のうちの賃金として流通する価値部分の再生産なのだから、前者は価値として生産過程にはいり込むだけである。 以上がつまり、固定資本の第1の規定であり、……。(454ページ下段)

【第88段落】455ページ上段?457ページ上段

固定資本の第2の規定。

「固定資本が価値として流通に入ることができるのは、ただ、それが使用価値として生産過程で消滅していくかぎりにおいてである」云々。(455ページ上段)

「固定資本が再生産される時間は、それが生産過程の内部で消尽され消費される時間によって規定されている」。それにたいして、「流動資本」の再生産される時間は、「流通時間によって規定されている」

「固定資本は、ただ価値としてしか生産物に入らないが、これにたいして流動資本の使用価値は、生産物のなかに生産物の実体として残っているのであって、ただ別の1つの形態を受け取っているだけである。この区別によって、流動資本と固定資本戸に分離された総資本の回転時間は…」云々。(456ページ上段?同下段)

このあとの計算については省略。

第89段落(457ページ下段)?第91段落(460ページ上段)まで。回転の計算なので省略。

【第92段落】460ページ下段?461ページ下段

「剰余利得についての理論が純粋に考察されずに、現実の利潤についての理論……と一緒くたにされた結果、きわめて大きな混乱と神秘とが生じてきた」(461ページ上段)

「利潤の成立をそれの分配から説明しようとするのは極度にばかげたことである」(同前)

【第93段落】462ページ下段?463ページ上段

「固定資本の使用価値のこの携帯規定が、一つの携帯規定的契機となる」(462ページ下段)。つまり、資本の「素材的側面」がその「形態的規定」になる、という話。

「固定資本が価値増殖過程におよぼす影響をはじめて強調したのはリカードウであるが、……彼はこれらの規定のすべてを混同している」(463ページ上段)

【第94段落】463ページ下段?464ページ上段

固定資本の回転が減少する場合。<1>生産過程の内部での固定資本の消費が緩慢になる場合、<2>流通時間が長くなる場合。<3>生産過程から生産物として出てくるのに必要な時間が長くなる場合。

<3>がなにを指しているのか、よく分からん…。(^_^;)

【第95段落】464ページ?465ページ上段

第3に?! 第1と第2はどこ? 第2は455ページ上段?

新しいことをいっているように見えるが、結局、「我々は固定資本を、これまではただ次のような側面から考察してきた」(464ページ下段)となるように、此まで述べてきたことをまとめているだけ?

<1>固定資本の価値の復帰は継起的。流動資本の場合は、価値の存在がしようか地の存在と一致する。流動資本のどの部分もそっくり交換される。

<2> 個々でマルクスは、「固定資本が、与えられた一資本の平均回転時間におよぼす影響」と、「固定資本が資本のもつ回転時間におよぼす影響」とを区別しているが、意味がよく分かりません。(^_^;) 具体的な例として、マルクスがあげているのは、「鉄道、運が、道路、水道」などで、それをマルクスは「土地と一体化された資本」であり、「固定資本が、生産過程の内部でのたんなる生産用具として現われるのではなくて、資本の自立的な形態として」現われる場合だといっている。

【第96段落】465ページ下段?466ページ上段

まず、日本語としてよく分からん。

「固定資本はいかなる規定においても資本であって、それは個人的消費には役立たず、ただ生産にだけ役立つものである、とはけっして言われない」

問題は、最後の「けっして言われない」の部分。ドイツ語では、動詞sagen(言う)の受動態が使われている(だから「言われない」という、日本語としては文字通りほとんど「言われない」言い方がされている訳だ)。

Es ist gar nicht gesagt, daß das Capital fixe in jeder Bestimmung Capital ist, das nicht zur individuellen Consumtion, sondern nur zur Production dient.

こういう場合、sagenの受動態は、「?と言える」とか「?という意味がある」という意味のようだ。

次に、「第2の観点における固定資本」というが登場するが、これは、前にも出てきた鉄道、運河、道路、水道などのことらしい。

【第98段落】466ページ下段?469ページ

いろいろな経済学者からの抜き書き。

その中で、ローダデイルのスミス批判が取り上げられている。ローダデイルの見解は、「資本は、労働とはかかわりなく、利潤の、だからまた富の、独自の種類の源泉である」(468ページ下段)というもの。

ローダデイルの話は、484ページ下段にも出てくる。「固定資本を労働時間とはかかわりのない、自立的な価値源泉にしようとする、ローダデイルのでたらめさ」云々。

とりあえず、以上で「固定資本と流動資本」の部分は終了。(^_^)v

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