映画「パリ20区、僕たちのクラス」

映画「パリ20区、僕たちのクラス」

昨日、映画「パリ20区、僕たちのクラス」を見てきました。6月に岩波ホールで公開されましたが、忙しくて見に行く暇がないままに終わってしまったので残念に思っていたのですが、武蔵野館で今月27日まで上映(ただし、午前10時半と午後1時10分の2回のみ)されるというので、早速見てきました。今年6本目。

パリ20区の公立中学校のあるクラスを舞台にして、24人の生徒と国語教師でクラス担任でもあるフランソワのぶつかり合い?を描いた作品です。

まず、生徒たちの肌の色、出身、宗教などが実に様々であることにびっくりしました。パリ20区は移民の多い地区なのだそうですが、それにしても、こんなに多様とは…。

さらに、生徒が、フランソワが書いた文法の例文の人名が「白人の名前ばかりだ」といって異議を唱えたり(これは、ごもっともな指摘だが、フランソワはきちんと答えられないでいる)、生徒同士のあいだで出自や宗教によるからかい、あてこすりからいさかいが起こったりと、かなり教室の中の緊張度が高いようすも伺えます。

フランソワが必死になって「接続法半過去」を教えようとするのに、生徒は、「そんな古い言い方は聞いたことがない」と反発したり、あるいは「話し言葉と書き言葉の使い分けが分からない」という生徒の質問に、フランソワ自身が「それは直感で分かるようになる」としか答えられなかったり。ここらあたりは、「マイ・フェア・レディ」いらいの、社会階層と言葉遣いの問題なのだろうと思いますが、同時に、フランス語を母語としない生徒たちに、「まともなフランス語」を教えようとするフランソワの気持ち(それは、善意でもあるだろうし、納得できるものですが)と、それ自体が持つ統制的な意味も、問われているように思いました。

それでも、それ以上に驚くのは、学校の運営のあり方。どこぞの国の学校現場のように、教育委員会がやたらと介入し、職員会議で決を採ってはいけないなどと締め付けるのとは違って、学校の運営も校長も交えて教師たちによって徹底して話し合われるし、“問題”を起こした生徒にたいする懲罰を決めるさいは、当事者である生徒とその親だけでなく、第三者の親たちの代表も加わって、学校側の意見だけでなく、生徒の意見も聞いて、投票で決めるシステムになっていることも描かれています。さらに、生徒の成績および生活態度を評価するさいには、教師だけでなく、生徒代表も加わって行われています。舞台が中学校だということを考えれば、日本では想像もできないシステムです。映画の中では、それがあとで“事件”も引き起こすことになるのですが、だから、生徒を閉め出せという話にはならない。そこが、すばらしいと思いました。

クンバという女子生徒がフランソワに「敬意とはお互いに持つべきものです」と書いた手紙を送ってよこすシーンがあります。ここらあたりに、この映画の主題があるのかもしれません。

映画はドキュメンタリーではなく、24人の生徒の設定もフィクション。台本も台詞も用意されていたわけですが、それでもすべての台詞が決められていた訳ではなく、そこらあたりにいまどきのパリの中学生の生の姿が表われているようです。

ただし、結末としてはなんとなくハッピー・エンド風になっていますが、フランソワが生徒に向かって暴言を吐いた事件は、結局、時間の経過の中でうやむやにされたようで、そのあたりいささか不満に思いました。

映画「パリ20区、僕たちのクラス」〜オフィシャルサイト

フランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房)

教師フランソワ役を演じたのは、原作『教室へ』の作者でもあるフランソワ・ベゴドー。本人自身、もと国語教師で、原作はその経験をもとにしたものだそうです。

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  1. GAKUさま。長らくご無沙汰しております。
     京都ではこの映画、9/4からでした。
     完全にドキュメント風で、「フィクションだ」と言われなければ、そうとはわからない感じです。
     なので、ラストも、私は「ハッピーエンド風」とは受け止めませんでした。なぜなら、生徒の一人が最後の授業の後に、9ヶ月間(つまり第4学年(日本では中2相当)の間)なにも勉強していない、と言っているからです。なので、私の鑑賞直後の最初の印象は、「メッセージがわからん」です。
     事件化した暴言も、生徒たちの周りの接続法半過去を使わないsnobでない大人たち(生徒たちはpetasseは知っていてもsnobは知らない)が、日常的に使っているのではないでしょうか。petasse(アクサンテギュあり)という言葉が、現実にどのように使用されているのか、によって意味が違ってくるように思えます。
     結局ハッピーエンドでもなくバッドエンドでもなく、「あえてメッセージを出さなかった」ということなのかな、と思っています。

  2. gratuitさん、こんにちは。

    「ハッピーエンド風」云々は、この映画全体の描き方を問題にした訳でなく、フランソワのpétasse発言の取り扱い方について述べたものです。確かに手許の電子辞書をみると avoir la pétasse で「おっかながる」という意味がでているので、字幕で見るほどには、生徒を「売春婦」呼ばわりしたというのというのとは違う可能性もあります。

    しかし、それでもフランソワがいらついて軽率な発言をしたことは間違いなく、国語教師として言葉にこだわっていたフランソワがそれに向き合うことなく、何となく時間の経過とともに解決済みになったかのようなエンディングだったのが、僕には不満に思われたということです。

    この作品は、フランスの教育現場の実態をありのままに描こうとしたものなので、その意味では、ご指摘の通り、あえて特定のメッセージを出さなかったというのはその通りだと思います。それでも、日本の教育現場と引き比べてみると、フランスも決して理想的とはいえないものの、日本のうような上からの管理主義とはほど遠く、それが非常に印象に残りました。

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