今週の「九条の会」(10月10日まで)

ずっと間が空いてしまいましたが、全国の草の根で活動する「九条の会」の活動ぶりを、インターネットを流れるニュースのなかから拾い集めています。

貧困・格差問題理解を 佐野九条の会 あす湯浅誠氏の講演会

[東京新聞 2010年10月10日]

 佐野九条の会は11日午後2時から、佐野市浅沼町の市文化会館で、貧困・格差問題に取り組み、内閣府参与を務める湯浅誠氏を招いた設立五周年記念講演会を開く。同会は2005年に設立。学習会や戦争体験を聞く会などを通して憲法九条をアピールしている。
 湯浅氏はホームレス支援などに携わり、08年末には東京の日比谷公園に「年越し派遣村」を開設し、“村長”として運営を取り仕切った。講演会では「現代日本の貧困―憲法9条と25条―」と題して語る。入場無料。問い合わせは同会へ。

基地の街で九条考える、イベント「やっぱ9条inヨコスカ」開催/横須賀

[神奈川新聞 2010年10月9日]

 「基地の街で平和を考える」をテーマとしたイベント「やっぱ9条inヨコスカ」が9日、京急線汐入駅前の横須賀芸術劇場などで開かれた。講演会や分科会、現地調査などが行われ、約2千人の参加者は多角的に「戦争と平和」について理解を深めていた。「九条かながわの会」の実行委員会が主催。
 同劇場大ホールでは、作家で九条の会11件呼び掛け人の澤地久枝さんと、詩人のアーサー・ビナードさんが講演した。澤地さんは「横須賀は軍隊がいることで人々の生活が成り立っていた街だが、戦争で解決するものは何もない」と指摘。「平和憲法の原点に返り、より良い未来を次の世代に残す責任がわたしたちにはある」と強調した。
 ビナードさんは「軍需産業が国民の不安をあおって武器を売りさばいている」と批判し、「わたしたちはどこにうそが仕込まれているかを細かくチェックし、言葉で戦わないといけない。戦争の不条理と無意味さを訴え、優れた日本の平和憲法を世界に広げよう」と呼び掛けた。
 このほか、教育問題、基地報道のあり方、県内の基地問題など多彩なテーマで憲法九条の現状を考える分科会が各会場で行われた。米兵犯罪の現地調査も盛り込まれ、参加者は「基地の街」の現実を体感していた。

「箱根にようこそ」&「九条守ろう」

[タウンニュース 2010年10月 8日号]

 「箱根九条の会」が2日、観光客で賑わう仙石原のススキ草原近くで護憲のPRを行った。会員10人が「九条を守ろう」などの文字が書かれたプレートを一列に並べ、観光客に「ようこそ」と手を振った。同会が5年前から始めたもので、今年は湿生花園近くや湯本の河川敷でも実施したという。

講演:植民地の朝鮮で悔いる皇民化教育 元教員・杉山さん、金沢で12日/石川

[毎日新聞 2010年10月8日 地方版]

◇実相伝える

 日本の植民地支配下にあった朝鮮で、国民学校の教師として日本語や神社参拝を強いたことを悔い、実相を伝える活動を続ける富山市の杉山とみさん(89)の講演会が12日、金沢市である。テーマは「皇民化教育を強制した教師として」。統治される側の屈辱を肌で知った体験から、「忘れてはいけない」と訴える。
 8月12日付の毎日新聞石川面の連載「平和の糧にー―背負ってきた65年」で杉山さんを紹介したのがきっかけで、「憲法九条を広める会」(金沢市、共同代表=岩淵正明弁護士)が杉山さんに呼びかけた。
 杉山さんは1921年、現在の韓国・大邱(テグ)生まれ。女子師範学校を出た後、41年に、大邱の達城国民学校で教員生活を始めた。
 植民地・朝鮮で、軍歌を教えたり神社参拝や日本語強制など皇民化教育を熱心に進めた。だが、終戦後、取り残された「異国」の地では、日本人への風当たりが強くなった。苦労する中、手を差し伸べてくれたのはかつての教え子だったという。
 戦後は、自ら行った教育を悔やんで訪韓を重ね、教え子と交流を続ける中で、植民地支配のむごさ、実相を伝える活動を日本で続けている。7日も韓国に渡った杉山さん。「自分がした教育内容、そして出会った教え子との長年に渡るきずな、心のつながりを伝えたい」と話している。
 会場は金沢市彦三町1の中央公民館彦三館。午後6時20分から。資料代200円が必要。問い合わせは、同会事務局。

冬の兵士証言集会:武装勢力と誤認、民間人大量殺傷 イラク帰還米兵、仙台で/宮城

[毎日新聞 2010年10月7日 地方版]

◇支援求め電話したのは私だった…

 イラク戦争(03年3月開戦)の帰還米兵たちが反戦への願いを込めて現地での体験を語る「冬の兵士証言集会」が5日夜、仙台市を皮切りに始まった。反戦イラク帰還兵の会(IVAW)のジェフリー・ミラード元会長(29)とホゼ・バスケス事務局長(36)が悲痛な表情で体験談を明かし、会場を埋めた約280人の市民が2人の証言に耳を傾けた。証言集会は12日まで東北各地や千葉市、さいたま市でも開かれる。
 「その日、私の人生は変わった」
 ミラード氏は振り返った。
 ニューヨーク州兵だったミラード氏が04年10月にイラクに派遣され、約半年たったころのことだ。無線傍受が任務だったミラード氏はある部隊が300人のイラク人武装勢力に囲まれ交戦しているとの無線報告を受け、航空支援隊に電話をかけた。武装ヘリが地上部隊の支援のために出動した。
 だが、事実は違った。ヘリによる攻撃で175人のイラク人が死亡したが、発見された武器はソ連製の旧式な自動小銃AK47(カラシニコフ銃)3丁だけ。AK47は護身用に多くのイラク人が所持しており、300人がいて3丁だけしかなかったことは平和的なデモだったことの証明だった。
 ミラード氏は「デモの集団を見た兵士がパニックに陥り、自分たちが襲われていると勘違いした」と語り、「私は電話をかけることで、どの兵士よりたくさんのイラク人を殺してしまった」と、声を絞り出した。

◇「拷問は政治指導者に責任」

 バスケス氏は「イラクやアフガニスタンで発覚した虐待や拷問にはパターンがある」と指摘し、「軍の政策にによって起きていることであり、軍や政治の指導者に責任がある」と強調した。
 ミラード氏は質疑応答で、イラクに入る直前にクウェートの基地で交戦規則について説明を受けた際、「何があっても自分を守る権利を奪うことはできない」という点が強調されたことを明かした。さらに「兵士たちは民間人を誤って殺したとしても、『自分の命が危ないと思ってやったんだ』と言えばOKだと理解していた」と説明した。
 仙台での証言集会は「みやぎ弁護士9条の会」などが主催。仙台市青葉区の無職、小野寺哲さん(85)は、米兵の多くが学費を稼ぐために志願するという説明に「人殺しで学費か」と割り切れない表情を見せた。第2次世界大戦で満州の関東軍に従軍した経験もあり、「日本でも戦争体験を語り継ぐ必要がある。我々じいさんばあさんの責任ですね」と語った。
 「冬の兵士証言集会」はIVAWが08年3月に米メリーランド州で開いた集会で、約50人のイラク帰還兵らが実体験を語った。ベトナム戦争中の1971年に開かれた同名の集会によって反戦世論が高まったことから、同じ名を引き継いだ。IVAWメンバーは米国各地で証言集会を開いている。

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視点◇侮辱語で敵意増幅

 米兵はイラク人を「ハッジ」と呼び、侮辱していたという。
 ハッジとはアラビア語で「メッカ巡礼」や「メッカ巡礼をした人」という意味だ。イスラム教徒にとっては誇りであり、尊敬の念が込められた言葉である。蔑視(べっし)するためにこの言葉を使うということは、イラク人のみならずすべてのイスラム教徒を侮辱していたことにもなる。アラブの国々を4年間取材してきた私には、信じられないほど危険な用法と感じられた。
 だがミラード氏の説明は「差別」の域を超えるものだった。「イラク人だけでなく、パキスタン人もインド人も、米兵はみなハッジと呼んだ。人として扱う必要がないと考えるために使われた」
 引き金を引き、人を殺すことをためらわないための「非人間化のプロセスだった」とミラード氏は分析した。この言葉一つからだけでも「戦場の狂気」が伝わってくる。

女性「九条の会」:5周年のつどい――あす、銀座/東京

[毎日新聞 2010年10月6日 地方版]

 「次世代に平和を手渡そう」と、有志による「女性『九条の会』」の設立5周年の記念のつどいが7日午後1時半から、中央区銀座2の銀座ブロッサムで開かれる。
 作曲家の池辺晋一郎さん(67)が「平和―音楽にできることはなにか」と題して講演。映画監督の羽田澄子さん、音楽評論家の湯川れい子さん、恵泉女学園大名誉教授の内海愛子さん、評論家の吉武輝子さんらがトークに登場する。司会は女優の根岸季衣さんが務める。
 同会は、作家の大江健三郎さんや澤地久枝さんらが呼びかけ人となった「九条の会」の趣旨に共鳴して05年2月に結成され、賛同人は約1300人。前売り1000円、当日1300円。女性「九条の会」。

元日本兵・本多さん偲び語る会:“遺言”さらに広げよう みなべで来月7日/和歌山

[毎日新聞 2010年10月5日 地方版]

◇9条仏語訳、駐日大使に――みなべ「九条の会」

 第二次大戦で中国などに出征した体験を「戦争出前噺(ばなし)」として約1300回、全国で話し、今年5月に96歳で亡くなったみなべ町の元日本兵、本多立太郎(りゅうたろう)さんについて「偲(しの)び語る会」が11月7日、同町芝の南部公民館で開かれる。憲法9条を考える活動を共にし、遺志を継いで9条のフランス語訳を駐日仏大使に送った同町の市民団体「みなべ『九条の会』」が、「子や孫に2度と戦争体験はさせたくない」と願った本多さんの生き方を振り返る。会費無料。
 北海道小樽市出身の本多さんは中国で終戦を迎え、シベリア抑留を経て1947年に帰国した。金融機関を退職した後の86年、近所の銭湯で、子どもに戦争体験を話したことがきっかけで、「うちでも話して」と声がかかるようになり、出前噺を始めた。体験を語りだしてみると、「死者は話したくても話せない。体験を話すのは生かして国に返してもらった者の義務」との気持ちが強まり、晩年まで全国に出向く原動力となった。
 本多さんは、上官の命令で中国人捕虜を刺殺した体験も話した。同じ部隊の仲間たちも戦死し、多くの死者に対する負い目を戦後ずっと感じて生きてきたとも漏らしていた。生き物の命に敏感になり、ゴキブリも殺そうとしなかった。
 海外を訪れ、憲法9条の翻訳を街角で人々に配り、語り合おうと決めた翌年の09年6月。本多さんは京都市の龍谷大での講演で、「おれが死んで、彼ら(戦死者)が生きていても不思議でない。たとえ倒れても、平和を掲げた憲法9条を守り、輸出したい」と学生に決意を語っていた。
 みなべ「九条の会」のメンバーは、主に同町での出前噺に携わった。平野憲一郎事務局長(68)は「物腰が柔らかく上品な好々爺(こうこうや)なのに、子どもの前で出前噺をする時は背筋がぴっと伸び、誰にでも分かるように語っていた」と振り返る。今年1月の同会世話人会などでは、本多さんは「国内で『9条を守ろう』とだけ言えば良い時代ではないのではないか。9条の良さを直接外国にも知らせるため、今年はフランスに行く」と語ったという。
 9条の訳文とともに同会が仏大使に送った本多さんのメッセージには、9条に対する静かで熱い思いがにじんでいる。こうした“遺言”を地元の人にも広く知ってもらいたいと、偲び語る会が企画された。
 問い合わせは実行委員会。

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◆本多さんが書いたメッセージ

 私は日本人、95歳です。私の国は「憲法9条」という非武装不戦の法律を持っています。第二次世界大戦後六十年、この法律のお陰で若者が軍服を着て死ぬことはありませんでした。世界中の国々がこの法律を持てば、平和な地球、本当に蒼(あお)く美しい地球という星になります。
 貴方(あなた)はどう思われますか。

大田元知事、基地めぐる本土の姿勢批判 愛知で講演

[asahi.com マイタウン沖縄 2010年10月4日]

 大田昌秀元知事が、愛知県稲沢市で講演し、膠着(こうちゃく)している米軍基地の撤去問題について話した。本土側で代わりに引き受けようとする地域はなく、沖縄に押しつけたままの現状を告発。住民の意思で基地を撤去したフィリピンと比べ、「日本は主権国家と言えるのか」と問いかけた。いなざわ九条の会5周年の集いで、約700人が参加した。憲法前文を歌にした歌手きたがわてつさんのコンサートもあり、住民70人の合唱団も一緒に歌った。

語りつぐ私の戦時体験:戦後も残留、国民党軍に…元日本兵らの証言集/宮城

[毎日新聞 2010年9月29日 地方版]

◇第5巻まとまる

 1945年8月15日の太平洋戦争終結後も中国山西省に残留し国民党軍の一翼を担って人民解放軍と戦った元日本軍兵士らの証言を集めた「語りつぐ私の戦時体験」証言資料集の第5巻が、「みやぎ憲法九条の会」(仙台市青葉区)の手でまとめられた。元兵士らは終戦を知り、帰国を希望しながら現地の日本軍上層部の指示で部隊ごと残留させられ、古里を思いながら戦闘に明け暮れた経緯を明かしている。
 証言者は仙台市青葉区の伊東良太郎さん(90)ら3人。九条の会事務局が聞き取りや手記を再構成した。山西省は太原を省都とする華北の1省。終戦時、国民党軍の将軍で同省を支配する軍閥、閻錫山(えんしゃくざん)の要請を受けた現地日本軍司令官の澄田〓四郎(らいしろう)中将らの指揮で仙台の第2師団に属する部隊など2600人が最終的に残留した。
 伊東さんの部隊は48年11月に人民解放軍に大敗し捕虜になった。国民党兵とともに日本兵の死体がざんごうの中で足の踏み場もないほど重なった。手投げ弾で自決する将校もいた。残留将兵の戦死者は550人に上るという。
 伊東さんが帰国したのは新中国成立5年後の54年で、故郷の母親は亡くなっていた。伊東さんは「上官の当番兵として残らざるを得なかった。軍命だったのに残留後の恩給は出ない」と振り返る。
 今年1月、90歳で死去した仙台市青葉区の元残留軍中隊長だった金子傳(つとう)さんは「残留部隊の命令系統は従来の日本軍と変わらなかった」と、残留は志願ではなく命令だったと証言。その上で人民解放軍の攻撃は激しく、部下や同僚将校が次々と戦死した模様を伝える。金子さんは捕虜・戦犯の扱いを受け帰国したのは56年だった。福島県いわき市の元兵士、太田弘さん(85)も残留の日々を語っている。
 元残留軍将兵13人が原告となり「残留は軍命による」として軍人恩給の支給を求め01年に起こした裁判は、05年に最高裁が上告を棄却。九条の会は「判決と異にする残留の様相を後世に伝えよう」と、証言資料集にまとめた。山西残留軍に関してはドキュメンタリー映画「蟻(あり)の兵隊」(池谷薫監督)がある。問い合わせは同九条の会。【小原博人】

九条の会が来月 憲法セミナー

[asahi.com マイタウン島根 2010年09月27日]

◆「核のない平和な世界」テーマ◆

 憲法9条を守るために結成された全国の「九条の会」関係者が集う「九条の会第10回憲法セミナー」が10月30日、松江市学園南1丁目のくにびきメッセ国際会議場で開かれる。平岡敬・元広島市長と、イラク支援のボランティアをしている高遠菜穂子さんが「核のない平和な世界と憲法9条」をテーマに講演する。
 セミナーは、作家の大江健三郎さんや故井上ひさしさんら9人が2004年に結成した「九条の会」が06年から全国で開いている。中国地方では初めてとなる今回は、原爆ドームの世界遺産化に尽力した平岡氏と、イラクの難民・国内避難民の支援や医療支援などの活動を展開している高遠さんを講師に招く。
 開催に向けては、島根県内71グループの「九条の会」と「鳥取県九条の会」の関係者らが8月に「セミナーを成功させる会」(芦田耕一会長)を結成。参加を呼び掛ける1万8千枚のチラシを配るなどして準備をしている。
 成功させる会事務局の植松健一・島根大法文学部准教授は「条文を守るだけでなく、世界に9条の理念を広げるために、私たち一人ひとりが何をできるか考える機会にしたい」と話す。
 セミナーは午後1時半から。申し込み・問い合わせは東京の「九条の会」事務局へ。

澤地久枝さん、9条の大切さ訴え 水戸で県母親大会

[茨城新聞 2010年9月27日(月) ]

 第50回県母親大会(長田満江実行委員長)が26日、水戸市三の丸の県立水戸三高で開かれた。ノンフィクション作家で「九条の会」呼び掛け人、澤地久枝さんが「いのちの重さ」と題して基調講演。参加者約1200人が戦争の悲惨さを再認識し、平和への決意を新たにした。
 第1回日本大会に参加したという澤地さんは、戦争の被害者という意識を持って出発した母親大会の歴史を振り返り、「心からおめでとうと言いたい」と50回目を迎えた県大会をたたえた。
 講演では、戦争で子どもを失った母親の気持ちを中心に自らの取材経験を披露。戦死者のいない戦後の日本の歩みと憲法9条の重要性を指摘し、平和の大切さを訴えた。
 3度目の参加という、水戸市堀町の友部久美子さん(62)は「私は戦争を知らない世代だが、戦争の悲惨さ、命の重さについて、改めて深く感じることができた」と感想を話した。

九条の会:2氏が平和対談会――中区/広島

[毎日新聞 2010年9月24日 地方版]

 平和と命を守る大切さを訴えようと、広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長(62)と海軍兵学校の卒業生で東京反核医師の会の設立に携わった竹内隆医師(84)=東京都杉並区=の対談会(ひろしま医療人・九条の会主催)が23日、中区の広島市まちづくり市民交流プラザであった。
 竹内医師は、原爆投下時に広島から約16キロ離れた海軍兵学校(江田島市)で猛烈な光と地響きを体験した。終戦2年後には北海道で、戦後復興中の日本で学生YMCAの活動をしていたリーパー理事長の父ディーン氏と出会い「平和の使者が来た」と喜んだという。ディーン氏は、54年に転覆した洞爺丸に乗船していて女性に救命胴衣を譲り、亡くなった。
 リーパー理事長は「父は戦後の日本で、市民の米国への気持ちを仲直りさせようとしていた。父の話が56年もたってされるのは、平和の大事さの意識が高まっているから」と語った。

イラク戦争とは何だったのか 高遠菜穂子さんが講演会

[asahi.com マイタウン奈良 2010年9月23日]

 イラクの復興支援に力を入れている高遠菜穂子さんの講演会が25日に奈良市で、26日に生駒市で開かれる。イラク戦争を通して平和を考えるため、奈良市平和委員会や生駒市の憲法九条の会・鹿ノ台校区が企画した。
 高遠さんは2003年からイラクで医薬品の運搬や学校建設、子どもの自立などをボランティアで支援。04年4月、4回目のイラク入りの際に武装勢力に拘束され、解放後は「自己責任論」にもさらされた。しかし間もなくイラク支援を再開。国内では各地での講演を通してイラク戦争の実態を訴えている。
 03年3月の開戦以来、4400人の米兵が死亡し、10万人以上のイラク人が亡くなったとみられるイラク戦争も今夏、最後の米軍戦闘部隊が隣国クウェートに移動・撤退し、大きな節目を迎えた。高遠さんは「命に国境はない?イラク戦争とは何だったのか?」の題で、7年半に及んだ戦争の実態を語る。
 奈良市の講演は25日午後2時、県文化会館(登大路町)。500円(資料代)。問い合わせは同市平和委員会事務局へ。生駒市は26日午後1時半、鹿ノ台地区公民館(鹿ノ台南2丁目)。協力券300円。問い合わせは崎本さんへ。

「平和」凧揚げる・越谷九条の会(越谷市)

[とーよみnet 2010.9.20]

 国際平和の希求と戦争と武力の行使の放棄を唱える日本国憲法第九条。平和な未来のために日本国憲法を守るという一点で手をつなぐ「九条の会」は全国に広がっている。越谷九条の会(代表委員=秋山絆、石河秀夫、遠藤順子=、会員800人)は平和を願う音楽と灯ろう流しの夕べや平和講演会などの活動を行っている。
 「九」の字にあやかり、9日9時9分、平和を願い「憲法第九条は世界の宝日本の誇り」と記した連凧を越谷市中央市民会館裏の葛西用水路と元荒川の中土手で揚げる予定であったが前日の台風の影響で風に大きく左右される連凧揚げは中止、「平和」と書かれた大凧が揚げられた。
 平和を願う凧揚げは今年で4回目。2年前から市内在住の逆井文夫さんに連凧作りを習い、連凧を揚げるようになった。兄弟で焼夷弾から逃げた経験を持つ事務局長の飛山幸夫さん(72)は「戦争はやっちゃいけない。(戦争は)ごく一部の人が仕組む。国民は戦争が起こる前に反対をするべき」と声を大にしていう。9日披露目できなかった連凧は日を改めて揚げるという。

玉音放送:経緯生々しく 元NHK職員・玉虫一雄さん、九条の会に寄稿/宮城

[毎日新聞 2010年9月16日 地方版]

◇録音に携わった元NHK職員・玉虫一雄さん

 1945(昭和20)年8月15日にあった昭和天皇による終戦の玉音放送の録音に携わった日本放送協会(NHK、当時東京・新橋)の元技術職員、玉虫一雄さん(88)=仙台市青葉区=が当時の模様を、戦争体験記を収集する「みやぎ憲法九条の会」(同区)に寄せた。玉虫さんは戦争継続を図る反乱軍に翻弄(ほんろう)されながら予定通り15日正午に放送にこぎつけた状況を端的にまとめている。

◇万一に備え地下で待機

 タイトルは「昭和20年8月15日正午の玉音放送はこうして放送された」。玉虫さんは放送技術員で、同協会会長以下8人からなる録音プロジェクトに選ばれた。8月14日午後、皇居2階の天皇の「ご政務室」にマイク、隣の「拝謁(はいえつ)の間」に録音装置をセットし14日深夜に録音した。
 天皇は1回目の録音盤を再生させ、「声が低い」「読み違いがあった」と、2回目の録音をした。宮内省(当時)は2枚の録音盤を協会側に渡そうとしたが、協会側は重大過ぎるとして断った。
 玉虫さんが後で知ったことだが、陸軍の一部将校が反乱を起こし協会の一行は皇居を車で退出した15日未明から坂下門の衛兵詰め所に監禁された。反乱軍は録音盤の探索に必死だった。録音盤は宮内省が隠して保管し奪取を免れた。15日朝までに反乱は収束し一行は解放された。
 2枚の録音盤は宮内省から万一に備え別々の経路で運ばれた。玉音放送したのは2回目の盤だった。玉虫さんは新たな不測の事態に備え1回目の盤を持って地下の予備スタジオで指示通り待機した。
 戦後、協会で保管した録音原盤は2枚とも劣化。玉虫さんとともに録音に当たった元技術員が終戦後の46年当時に所属した米軍の指示で2枚の原盤を2枚の50センチ録音盤に複製。1枚は米軍に渡し私蔵したもう1枚が戦後30年以降、音源として使われているという。
 玉虫さんは十数年来、歴史的な録音の体験について講演。「みやぎ九条の会」は、玉虫さんの話を同会事務局の池上武さん(68)が3回インタビューしてまとめた。池上さんは「玉音放送までの一日のドラマを録音に携わった人の証言でたどった生きた資料」と説明する。
 玉虫さんの体験記は他の人の体験と合わせ非売品の「証言資料集」としてまとめた。いずれ同会の「ブックレットシリーズ」として刊行する予定。問い合わせは九条の会。

平和の鐘撞き:9回響く 新見市内の10カ寺で/岡山

[毎日新聞 2010年9月15日 地方版]

 日本国憲法の第9条を守る活動を続けている新見9条の会、新見市内の10カ寺で鐘を9回撞(つ)いて平和を祈った。9条の会は全国各地で結成され、新見市では94年に発足した。鐘撞きは3年前、北海道の会が9条の「9」にちなんで始め、新見も趣旨に賛同し一昨年から始めた。
 今月9日午前9時9分から、同市内の雲居寺、泉福寺、西来寺、極楽寺、大宝寺、円通寺、正念寺、慈眼寺、龍王寺、長谷寺が協力。同会の世話人が各寺に分散し、集まった住民と鐘を撞いた。逸見芳春代表世話人が訪れた同市新見の雲居寺には市民10人が集まり、原嘉孝住職が1回目を打つと、近くの泉福寺や西来寺からも鐘の音が響いた。三上史郎さん(83)は「各地に広がることを期待したい」と話した。

コンサート:たそがれ時、流れる美しい音色――紀の川・9条の会貴志川/和歌山

[毎日新聞 2010年9月15日 地方版]

◇会場に250人

 「9条の会貴志川」が9日、紀の川市貴志川町の平池公園で、たそがれコンサートを開いた。約250人が会場を訪れ、夕暮れのひとときを過ごした。
 戦争のない平和な世の中を祈って開催しており、今回2回目。午後6時から始まったコンサートでは、ギターやハーモニカの演奏に加え、同市吹奏楽団が「崖の上のポニョ」などを披露した。さらに、憲法9条を題材にした手品も披露され、来場者を楽しませた。

10月16日、秋の憲法学習会

[和歌山放送 2010年9月14日(火) 17:13]

 憲法9条を守ろうと活動している「憲法9条を守る和歌山市共同センター」は、来月(10月)16日、和歌山市で「秋の憲法学習会」を開きます。これは、ことし(22年)結成4周年を迎える「憲法9条を守る和歌山市共同センター」が、憲法9条を守ろうという世論を広げ、日本の平和と安全、世界平和のために役立てようと開くものです。来月(10月)16日、午後1時半から、和歌山市北出島の県勤労福祉会館プラザホープで開かれる「秋の憲法学習会 日本国憲法と私たちのくらし」では、一橋大学名誉教授の渡辺治さんが、「民主党政権の新段階と構造改革、憲法の行方」と題して、民主党政権での憲法問題について講演するほか、「読み聞かせ9条の会・わかやま」による絵本などの読み聞かせも行われます。参加には、資料代として500円が必要です。問い合わせは、憲法9条を守る和歌山市共同センターです。事務局では、多くの市民に参加と協力を呼びかけています。

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