山田風太郎『戦中派不戦日記』

山田風太郎『戦中派不戦日記』(角川文庫・山田風太郎ベストコレクション)

角川文庫

知り合い から、『戦中派不戦日記』のなかで、山田風太郎が、敗戦の8月15日にエンゲルスの引用をしていると教えてもらいました。早速確かめて見ると、なるほど、8月16日の条に、前日の出来事として書かれています。

夜、阿南惟幾の割腹自殺のニュースを聞いたあとで、日本が敗れた「最大の原因は『科学』である」として、次のように書いています。(角川文庫版、367ページ)

 ここで痛感することがある。それはエンゲルスの次のような言葉である。
  「人間歴史は、もはや決して、今日成熟している哲理の裁断によってことごとく一様に有罪を宣告される様な、そして人は出来るだけ早くそれを忘れてしまうがよいというような、そんな無意味な暴動の荒れ狂いではなく、実に人類そのものの進化の過程と見るべきである。そこで学問の任務は、この過程の段々の進行を、そのあらゆる迷路の間に追究し、外見上、偶然と見える一切の現象の中に内的法則を発見することに在る」
 これはヘーゲルにとどめを刺す言葉であるから、語句の2、3は必ずしも妥当ではないが、こういう考え方は今の日本人にとって実に必要だと思われる。

これって、エンゲルスの何からの引用なのでしょうか?

実は、同じく「不戦日記」の8月24日の条に、「今暁3時までエンゲルス『空想的から科学的へ』を読む」と出てくるので、おそらく『空想から科学へ』の一節だろうと当たりをつけて探して見ると、確かに見つかりました。

第2章の第6段落、新日本出版社の古典選書シリーズの『空想から科学へ』(石田精一訳)だと54ページ、大月書店『マルクス・エンゲルス全集』(第19巻)だと202〜203ページです。(もちろん、『反デューリング論』にも同様の文章が出てくるはずですが)

そこで次の問題は、山田風太郎が、この「空想から科学へ」の文章をなにで読んだのか、ということです。

国会図書館のデータベースで、戦前の「空想から科学へ」の翻訳を調べて見ると、以下の通りです。7と8は同じものなので、全部で13種類の翻訳があったことになります。

  1. 空想的及科学的社会主義 / エンゲルス[他]. — 大鐙閣, 大正10
  2. 空想から科学へ / エンゲルス[他]. — 白揚社, 大正13
  3. 社会主義の発展 / エンゲルス[他]. — 白揚社, 昭和2
  4. 空想から科学へ / フリードリッヒ・エンゲルス[他]. — 白揚社, 1927
  5. 社会主義の発展 / エンゲルス[他]. — 白揚社, 昭和3
  6. 世界大思想全集. 第30. — 春秋社, 昭和3
  7. 社会主義の発展 / フリードリヒ・エンゲルス[他]. — 改造社, 昭和4. — (改造文庫 ; 第1部 第10篇)
  8. 社会主義の発展 / フリードリッヒ・エンゲルス[他]. — 改造社, 1929. — (改造文庫)
  9. マルクス=エンゲルス全集. 第11-12巻 / 改造社. — 改造社, 1928-1929
  10. 空想より科学へ / エンゲルス[他]. — 岩波書店, 昭和5. — (岩波文庫 ; 678)
  11. 社會主義の發展. 1930年版 / エンゲルス[他]. — 白揚社, 1930
  12. 社会主義の発展 / エンゲルス[他]. — 希望閣, 昭和6. — (希望閣文庫 ; 2)
  13. 社會主義の發展. 1931年版 / エンゲルス[他]. — 白揚社, 1931
  14. マルクス・エンゲルス二卷選集. 1 / マルクス,エンゲルス[他]. — ナウカ社, 1933

これらのうち、6(安倍浩訳)、10(浅野晃訳)、12(竹沼隼人訳)、14(訳者代表は西雅雄、個々の収録論文の訳者は不明)を除いて、あとはみんな堺利彦の翻訳です。

堺訳の改造文庫の該当部分は、こんな訳文になっています。(改造文庫復刻版、41ページ)

人間歴史はもはや決して、今日成熟している哲理の裁断に依つて、悉く一様に有罪を宣告される様な、そして人は出来るだけ早くそれを忘れてしまふが善いと云う様な、そんな無意味な暴動の荒れ狂ひではなく、実に人類その者の進化の過程と見るべきである。そこで学問の任務は、この過程の段々の進行を、そのあらゆる迷路の間に追究し、外見上、偶然と見える一切の現象の中に、内的法則を発見することに在ることになった。

歴史的仮名遣いとか、副詞の表記、読点の場所などが多少違っています[1]が、あとはまったく一致します。また、戦前の翻訳のなかで「空想的から科学的へ」というサブタイトルが付いているものは、改造文庫だけです。

したがって、山田風太郎が、8月15日に読んだ「空想から科学へ」は、改造文庫の『社会主義の発展―空想的から科学的へ』(堺利彦訳)であると考えてほぼ間違いないと思います。

もちろん、改造文庫が出版された1929年(昭和4年)には山田風太郎(1922年生まれ)はまだたった7歳なので、彼がそれを手に入れたのはもっと後のことだと考えられます。しかし、1930年代の終わりまでには、マルクス主義関係の本は、ことごとく発行禁止となっています。図書館での閲覧ももちろんできません。古本としてはあったでしょうが、古書店でマルクス主義の本を買おうものなら、たちまち特高警察に目をつけられたでしょうし、マルクス主義関係の文献はやがて古書店からも消えてゆきます。ですから、彼が、いつごろ、どこで、『空想から科学へ』を手に入れたのか。それは、謎のままです。もちろん、なぜ、彼が『空想から科学へ』を読もうと思ったのかも謎のままです。

しかし、いずれにしても、この時代に山田風太郎が『空想から科学へ』を手許に持っていた[2]、ということ自体がすごいことだと思います。

  1. これらは、戦後、『不戦日記』が出版されるさい、あるいは、文庫本化されるさいに直された可能性もあるので、あまり細かく詮索しても仕方がないと思われます。 []
  2. この時期、東京医専は長野県飯田市に疎開中だったので、山田は疎開先まで『空想から科学へ』を持っていった、ということになります。疎開中は当然集団生活だし、よく学校側や他の学生に見つからなかったものだと思います。 []

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