フィナンシャル・タイムズ紙に論評「マルクスは銀行の未来について何を教えるか」

2011年11月11日 (金) at 00:19:18 Posted in メディア, 世界経済

こっちは、11月6日付でフィナンシャル・タイムズ紙にのった論評「マルクスは銀行の未来について何を教えるか」。マルクスの言ったことは間違いだと言いつつも、マルクスの前提には示唆的なものもあるとして「資本主義は『生産様式の桎梏 a fetter on the mode of production』になるので一掃されるだろう」というマルクスの考えを取り上げています。

What Marx tells us about the future of banks – FT.com

ヘッポコ訳、完成です

マルクスは銀行の未来について何を教えるか

[トニー・ジャクソン Financial Times 2011年11月6日 午後5時12分]

 反資本主義の抗議者たちが西側世界の野営地に群がるとき、人は、カール・マルクスの亡霊がテントのあいだを歩き回り、満足そうにうなずいていると想像する。マルクスがそれから何を作り出したかを知ることができれば、それは興味深いことだろう。なぜなら、マルクスは、実践的にはあらゆる点で誤っていたにもかかわらず、生産的に誤っていたかもしれないからだ。
 すなわち、彼は、自分の前提から誤った結論を導き出したが、それらの前提は示唆的かもしれない。資本主義は、それが「生産様式の桎梏 a fetter on the mode of production」になるから、一掃されるだろう、という彼の考えを取り上げてみよう。
 なぜそれが誤っているかは問題にするに及ばない。しかし、このフレーズはイングランド銀行のアンドリュー・ホールデインによる最近のスピーチ(私が先週言及した)――過去1世紀の金融の有害な発展は「バランスシートの連鎖を打ち破りたい」という銀行の欲求から生まれたものだという趣旨の――のなかでくり返された。
 その話に入る前に、実際の考え方の例をあげさせてほしい。逆説的に思われるが、南アフリカのアパルトヘイトの最後の時期に、南アフリカのリーディング・カンパニーは――追放された革命家たちとともに――実際には、その没落を見て見ぬふりをした。
 しかし、アパルトヘイトの論理は、もし黒人多数派の投票が否定されるのであれば、彼らの教育も否定されなければならないというものだった。そうするうちに、産業界は熟練労働が不足した。こうして南アフリカ資本にとって、アパルトヘイトは生産様式の桎梏になった。それは終わらなければならなかった。
 銀行の場合、話はもっと恵まれている。彼らがこの数十年間――最近失敗するまで――めざしてきた生産様式は、驚くほど単純だった。彼らはより大きく、そしてまたよりリスキーにならなければならない。
 2つの目標は、もちろん互いに補強し合っている。彼らは、何年にもわたって、無制限の借金の破棄を、合併、レバレッジ、変動性 volatility の実践その他を求めてきた。
 問題をはっきりさせるために、ホールデイン氏から若干の数字を引用しよう。1880年代、全英の銀行資産は、国内総生産の5%に等しかった。バブルの絶頂期には、それは500%だった。
 合併についていえば、イギリスの3大銀行の資産は、20世紀初頭にはGDPの7%だった。それは、20世紀の終わりには75%だった。そして、2007年には――驚くことに――200%だ。
 レバレッジは、19世紀にはせいぜい3〜4倍だったが、バブル期には30倍にのぼった。株式配当は――驚くまでもなく――最大でも1桁だったが、絶頂期には30%にのぼった。
 それにたいして、より最近の銀行業のイノベーションのいくつかはリスクを減じるようにデザインされているように見えるかもしれない。たとえば住宅ローンの証券化は、貯蓄機関に押し込め、デフォルト・リスクをより広範な金融システムに拡散させる賢明な方法だった。信用デリバティブは、もともとの発想では、同じことを狙っていた。
 しかし、もちろん、事態はそのようにはゆかなかった。リスクを求める欲求は、この2つを有害な結合に持ち込む方法を発見した。その結果、住宅ローンを裏付けにしたデリバティブは破滅の引き金となった。
 このようにばかげたリスク追求の原因の一部は、バブル期には銀行株式が銀行資産のたった5%しかなかったという事実による。このような状態で、株式配当にしたがって最高経営責任者に報酬を与えることにすれば、行動に有害な影響を与えることは明らかだ。レバレッジは、ますます不可欠となり、変動性はますます奨励されるようになる。
 もちろん、銀行は潰すには大きすぎる too big to fail と考えられているから、これらのリスクは非対称的だという別の部分的な理由もあった。しかし、ここで注意しなければならない。エコノミストには、金融行為者はつねに合理的であるとみなす傾向がある。だから、もしわれわれが潰すには大きすぎる問題 the too-big-to-fail problem を解決すれば、過度にリスクをとるという問題は消えてなくなるだろう。
 事実は違っている。ホールデイン氏が数え上げたところでは、アメリカで銀行による最大の株保有は――降順で――リーマン、ベア・スターンズそしてメリル・リンチだった。
 かつてアラン・グリーンスパンは、銀行の取締役会は株主の最高利益のために行動していないことを素朴に驚くことであざけった。しかし、もし銀行のCEOが最終的に彼ら自身の最高利益にさえもしたがって行動しないのであれば、人間性に固有の頑固な欠点の一つとして扱われる。だから、われわれは、次のバブル期にもまた同じことに出合うにちがいない。
 疑いなく、それは事実から遠い。そして、そうこうするうちに、世界不況の脅威は、銀行が、そのためにデザインされた諸機能を果たしえないようなバブルの過熱にシステムを合わせることについてわれわれは慎重でなければならないというとを意味する。
 しかし、いつかここから抜け出すときが来るだろう。そのときには、冒険的な大銀行が資本主義には欠かせないという主張にたいして、多くの抗議の声が起こっているだろう。
 マルクスは、生産様式の前進は止められないと信じた。このケースでは、マルクスが間違っていたことをもう一度証明することができることを願うばかりだ。

金融関係の言葉はよくわかりません。だからとんでもない思い違いをしているかもしれません。そこはヘッポコ訳ですので、どうかご容赦を。

欧米の議論に共通しているのは、旧ソ連の崩壊をもって「社会主義の失敗」とみなす議論が根強いこと。しかし、マルクスが考えたのは、自由な生産者が共同の生産手段で自覚的に共同して労働する「自由な人々の連合体」。したがって、それとはまったく異質な、社会主義でも社会主義に向かう過渡期でもなかった旧ソ連の崩壊をもって「社会主義の失敗」とみなすことはできません。

しかし、その点を別にすると、欧米の主要メディアに次々とマルクスが取り上げられるーー資本主義の矛盾、破綻の「預言者」としてーーというのは非常に興味深い現象といえます。それは、直接にはウォール街を占拠せよという運動をきっかけとしたものですが、3年前のリーマン・ショックのとき以上に、いってみれば資本主義システムそのものの危機の問題として取り上げられているところに今日的な特徴があるといえます。

What Marx tells us about the future of banks

[FT.com November 6, 2011 5:12 pm By Tony Jackson]

As the anti-capitalist protesters cluster in their encampments across the western world, one pictures the ghost of Karl Marx wandering among the tents and nodding approvingly. It would be interesting to know what he made of it: for while Marx was wrong about practically everything, he could be productively wrong.

That is, while he drew the wrong conclusions from his premises, those premises could be suggestive. Take his notion that capitalism would be swept away because it would become “a fetter on the mode of production”.

Why that was wrong need not detain us. But the phrase was echoed in a recent speech by Andrew Haldane of the Bank of England (on which I touched last week) to the effect that most of the harmful developments in finance in the last century came from the banks’ desire “to break their balance sheet chains”.

Before taking that further, let me give an example of the concept in action. In the latter days of apartheid in South Africa, it seemed paradoxical that leading South African companies were actively conniving at its downfall with exiled revolutionaries.

But the logic of apartheid said that if the black majority were to be denied the vote, they must also be denied education. Meanwhile businesses were starved of skilled labour. So for South African capital, apartheid had become a fetter on the mode of production. It had to go.

With the banks, the story is rather less benign. For many decades, the mode of production for which they have been striving — until their recent setback — has been brutally simple. They must become bigger, and also riskier.

The two goals are, of course, mutually reinforcing. Over the years they have accounted for the scrapping of unlimited liability, for consolidation, leverage, the pursuit of volatility and much else.

Let me quote some figures from Mr Haldane to illustrate the point. In the 1880s, total UK bank assets were equal to 5 per cent of gross domestic product. At the bubble peak they were 500 per cent.

As to consolidation, the assets of the UK’s three biggest banks at the start of the 20th century were 7 per cent of GDP. By the end of it they were 75 per cent, and by 2007 — astonishingly — 200 per cent.

Leverage climbed from 3-4 times in the 19th century to 30 times in the bubble. And return on equity — unsurprisingly — went from modest single figures to 30 per cent at the peak.

Against that, some of the more recent innovations in banking might seem to have been designed to reduce risk. The securitisation of mortgages, for instance, was an ingenious method of tapping into institutional savings and spreading the risk of default across the wider financial system. Credit derivatives, in their original conception, aimed at the same thing.

But of course, it did not work out like that. Risk appetite found ways of bringing the two into malign combination, so that mortgage-backed derivatives became the trigger for collapse.

Part of this insane risk-seeking was due to the fact that in the bubble years, bank equity accounted for only 5 per cent of bank assets. If in those circumstances you reward chief executives according to return on equity, the deforming effect on behaviour is obvious. Leverage becomes ever more essential, and volatility is to be encouraged.

Another partial reason, of course, was that since banks were regarded as too big to fail, those risks were asymmetrical. But we must be careful here. Economists are prone to assume that financial actors are always rational. Thus, if we solve the too-big-to-fail problem, excessive risk-seeking will go away.

The facts are otherwise. Mr Haldane computes that in the US, the biggest equity holdings by banks were — in descending order — at Lehman, Bear Stearns and Merrill Lynch.

Alan Greenspan has been derided for his naive surprise that bank boards did not act in the best interests of shareholders. But if bank CEOs do not in the end act even in their own best interests, we are dealing with one of those stubborn flaws inherent in human nature. We must therefore expect to meet it again in the next bubble.

No doubt, that is far off. And in the meantime, the threat of world depression means we must be cautious about fixing the system with such enthusiasm that the banks cannot perform the functions they were designed for.

But we will be out of this one day. And then there will be plenty of voices again insisting that big, bold banks are essential to capitalism.

Marx believed the onward march of the mode of production was unstoppable. In this case, let us hope we can prove him wrong one more time.

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