大阪・伊丹空港に太閤検地、条里制の跡?

Twitterでつぶやいた記事ですが、日本経済新聞大阪版にちょっと面白い記事が載っていました。

大阪・伊丹空港の敷地内に、池田市や兵庫県伊丹市の飛び地が入り組んでいるというのです。原因は、秀吉が太閤検地をおこなったさいに実施した「村切り」だというのですね。さらに、その飛び地の境界が真っ直ぐなのは、さらにさかのぼって奈良時代の条里制の跡だというのです。

21世紀の現代になっても、古代や近世の時代の跡が残っているなんて、おもしろいですね。

大阪・伊丹空港、飛び地また飛び地の謎 起源は「太閤検地」?:日本経済新聞

大阪・伊丹空港、飛び地また飛び地の謎 起源は「太閤検地」?

[日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2011年11月9日付]

 大阪国際空港(伊丹空港)近くへ取材に行こうと周辺を地図で確認した際、奇妙な境界線を見つけた。空港ターミナルビル近辺で大阪府豊中市と池田市、兵庫県伊丹市の市境が複雑に入り組み、多数の飛び地がある。ターミナルビルを端から端まで歩く場合、10回以上も市境をまたぐことになる。3市にまたがる空港とはいえ、なぜこれだけ境界が込み入っているのか。

大阪・伊丹空港、飛び地また飛び地の謎(日本経済新聞2011年11月13日付)

 詳細な地図でみると、豊中市と伊丹市に囲まれた池田市の飛び地が6カ所ある。この中にさらに豊中市の“二重”飛び地が存在する。このほか伊丹市の飛び地が府県境を越え、豊中市にある。どれも定規で引いたような多角形だ。
 「飛び地は江戸期からありました」。かつて空港の歴史展を開いたことのある伊丹市立博物館を訪れると、小長谷正治館長が意外な事実を教えてくれた。確かに見せてもらった「享保16年小坂田村絵図」には、現在の伊丹市の飛び地がすでに、地元ゆかりの貴人の墓所として記してある。享保16年は1731年だから、280年前から飛び地が存在したことになる。

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 明治初期の絵図にも飛び地があった。この当時、ターミナルビル近辺には北今在家村や小阪田村など村が5つほどあったが、段階的に現在の3市に集約された。3市が飛び地の境界線を画定させたのは、空港拡張工事が進んでいた1967年のことだ。
 飛び地が多数存在する歴史的背景について、池田市立歴史民俗資料館の田中晋作館長は「江戸期、一帯に似た名称の村が多数あり、それらが合併を重ねたことが関係しているようです」と説明する。
 例えば池田市にはかつて「東今在家村」と「西今在家村」があり、1880年に合併して「今在家村」となった。だが現在豊中市にあたる地域にも「今在家村」があり、混乱したためそれぞれ「北今在家村」「南今在家村」に村名を変えたという。「村境もかなり曖昧だったのでしょう」と田中氏。
 なぜ似た名称の村が近接して存在したのだろうか。「太閤検地の際に徴税しやすくしようと、大きな村を細かく分割したのが原因ではないでしょうか」と近世の幕藩領主支配を研究する大阪大学の村田路人教授は見る。「検地で別の村となったところに自分の田畑があった場合、飛び地として代々引き継いだ可能性もあります」
 飛び地の境界が直線である点について、小長谷氏は「奈良期の条里制の名残」と推察する。条里制は水路などで直線的に土地を区画するのが特徴。「享保16年小坂田村絵図」にもそれらしい形跡がみられ、村田氏も「近畿には今も条里制の区割りが残っている地域が多い」と賛同する。

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 複雑な境界線は空港の運営に影響しないのか。空港を管理する国土交通省大阪航空局大阪空港事務所に聞くと「航空機の運航に支障はなく、特に問題はありません」。
 各地の飛び地を調査し「日本列島飛び地の謎」の著作もある地図研究者の浅井建爾氏は「伊丹空港は国有地で、市境が税収入に直接は関係しません。境界線が複雑なまま残っているのは、そのためでしょう」と指摘する。
 人工島である関西国際空港にも飛び地があるが、こちらは民間企業。税収入などの点から陸側の大阪府泉佐野市、同田尻町、同泉南市の境界を海を越えて延長する形で3分割されたとされている。
 伊丹から飛行機で飛び立つ際、遠く奈良時代に思いをはせつつ、窓から見下ろす風景に見えない境界線を引いてみるのも楽しそうだ。(大阪社会部 舩越純一)

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  1. でも、戦後、小作に土地を分け与えることで、殆どの江戸時代からの地主は戦後はいなくなって、豪農?大きな田畑を耕す農家が残ったとはおもいますが、、
    このような飛び地の複雑な所有関係をそのままにしておくなんて、GHQより強い権限を持っていた人たちがいたということでしょうか?

  2. takokuroさん、初めまして。
    ここまで複雑な飛び地はめずらしいですが、飛び地の問題は地籍の問題ですから、戦後の「農地解放」とは直接には関係しないと思います。

    江戸時代の初めに、各地で「村切り」ということが行なわれました。中世の時代の村は規模の大きな村でしたが、それを、いくつかの村に分けたわけですね。そのときに、所有者の居住地にしたがって、ここはA村、その隣はB村、向こうはC村、その奥はまたA村ということが生じたわけです。で、それが、明治以降の町村合併で、A村は池田市、B村は豊中市、C村が伊丹市というふうになったために、地籍が入り組んだ複雑な飛び地になったのだと思います。

    記事にもあるように、こういう飛び地はいろんな機会に、双方の市が土地を入れ替えたりして解消されていったのですが、伊丹空港が国の施設であるため、伊丹空港の場所は市境が固定資産税などの税収入に関係しなかったため、飛び地を解消しようとする動きもなく、飛び地がそのまま残ったものと思います。

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