現象学について

木田元氏の「反哲学」あるいはハイデガー、ニーチェについて呟きました。木田元氏の著作からハイデガーやフッサール、ニーチェを読んだのは随分と昔なので、細かいことはすっかり忘れてしまいましたので、印象論めいた話になってますが、お許しあれ。

  • しかし、木田元のニーチェ解釈も中途半端だし、ハイデガー解釈も中途半端。 posted at 00:41:12
  • @redtweetpea いえ、木田元氏の「反哲学」は、いまの哲学界の動きを反映していて、研究対象としては面白いと思いますよ。 posted at 00:59:29
  • 木田元の主張を、ニーチェの主張そのもの、ハイデガーの主張そのものと比較してみると、彼がどこでニーチェやハイデガーの思想を弱め、現実との辻褄合わせをしているかがわかっておもしろい。 posted at 01:03:34
  • ハイデガーそのものを読むと、彼は現象学として本気で主観的観念論を展開しようとしたことがわかる。しかし客観的実在の成り立ちまで主観的な現象としたのでは、この世で生きてゆけないから、どこかでそれをごまかさなければいけない。ハイデガーの苦渋の哲学はそのごまかしの歴史。 posted at 01:08:11
  • ニーチェも、徹底して、価値とか意味というものの一般的普遍的妥当性を否定し主観化しようとした。ニーチェは凡人のルサンチマンを嫌って超人たらんとしたが、僕には、そういう発想そのものがニーチェのルサンチマンに思える。 posted at 01:12:17
  • いまの御時世、主観的観念論を唱えうる余地はますます狭まっており、そのために、木田氏のハイデガー解釈も不徹底とならざるを得ない。しかし、不徹底であるがゆえに、いまの人には、より理解しやすいものになっている。そこが、木田氏の言ってることが何か凄いことのように誤解される最大の理由。 posted at 01:15:52
  • 生活世界のなかで事象が生まれ出るという言い方をしても、僕らはついついその生活世界を成り立たせている事物や社会的諸関係は客観的に存在していると考える。しかし、ハイデガーを読むと彼はそれさえ否定していることがわかる。 posted at 01:25:06
  • この点は、フッサールに遡るともっと徹底して、現象から世界の客観的実在生を論証しようとしていることがわかる。しかし、フッサールにせよハイデガーにせよ、主観から客観の実在を証明することは不可能なので、いろんな議論を展開するが、最終的に完結・完成されることがない。 posted at 01:27:32
  • そこで残された道は、主観的観念論をどう現実と採用させるかということになる。フッサールやハイデガー、メルロ=ポンティなどの研究者に共通しているのは、それをどこいらへんで妥協させるかという問題。それを巡って、またもや果てしない堂々巡りが始まる。 posted at 01:30:34
  • フッサールやハイデガーの研究の未完成性、未完結性と、現実との辻褄合わせをめぐる堂々巡りが、こうした思想家を研究する研究者にとって最大の魅力であり、次々と論文を書き続ける材料を無限に提供してくれる源泉になる。 posted at 01:33:30
  • 【訂正】「フッサールやハイデガーの研究の未完成性、未完結性」を「フッサールやハイデガー自身の研究の未完成性、未完結性」に訂正。 posted at 01:35:28
  • 平たくいえば、わけのわからないこと、つじつまの合わないことを書き残した思想家ほど、研究者にとって格好の研究対象はないということ。経済学の分野で、宇野理論がいつまでも廃れないのも同じ理由。 posted at 01:37:59
  • 以上、私はそう思うというお話でした。 posted at 01:39:57

なお、タイトルを現象学としましたが、別にニーチェを現象学だというつもりはありません。フッサール、ハイデガー、木田元氏を中心とした話なので、現象学についてとしたまでのことですので、あしからず。

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投稿者:

GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

「現象学について」への3件のフィードバック

  1. 久しぶりっす。オガちゃんです。
    岩波文庫で最近、ザミャーチンの「われら」が出たので読みました(このタイトル、「我々」と訳したらもっと良かったでしょう)。おそらく、木田元氏の人間中心主義への批判(懐疑?)はニーチェとかハイデカーとかと関係のないところで展開していて、木田さんの読んだニーチェとはハイデカーを裁断しているんじゃないかとNHKの爆問を見て思わされたんですけど、それでも、中沢新一氏が『はじまりのレーニン』(岩波書店)で提起した問題は現在も深刻でして、そこに木田さんの現代性があるだろうと勝手に思ってます。
    えーと、で言いたいのはアドルノの「フッサール現象学における物的ノエマの超越」(こぶし書房)でも読んでみてくださいましw

  2. オノヨーコとか現象学の知的雰囲気を継承している最後の世代なのかなと、想像するんですけれども、誰かオノヨーコ語録でも編纂してくれないかなぁ。
    それでもって、訂正です。
    ×木田さんの読んだニーチェとはハイデカーを裁断しているんじゃないかと
    ○木田さんの解釈したニーチェとかハイデカーとかで歴史を裁断しているんじゃないかと

    アーレントとヤスパースの往復書簡集が、みすず書房から出ていて、欲しいんですけれども、まだ買っていません。手紙の方がモチーフがはっきりしていて分かりやすいことを期待しているんですが(手紙から入るのもありかと)

  3. ×オノヨーコ
    ○オノ・ヨーコ
    オノ・ヨーコの「想像する」というビヘイビアへのこだわりは、アーレントの「生み出す」というキーワードを踏襲しているように私には見えます。マルクスの言葉を借りれば一般的労働(発明・発見などのクリエイティブな労働)へのこだわりということになるのでしょうが。

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