江戸時代と価値法則

2012年6月17日 (日) at 11:37:48 Posted in 歴史学

どうも、話はうまく理解してもらえなかったようですが、昨日の、江戸時代に価値法則が段々と貫徹するようになるという話の続きです。

  • @hirofreak マルクスの議論は労働力の再生産に必要な使用価値総量を生産するのに必要な労働量が賃金を規定するというものです。下人は奴隷、長年季奉公人はその解体形態なので、この段階では価値法則は貫徹しません。 posted at 09:38:21
  • @hirofreak 江戸時代は資本主義初期でもなければ単純商品生産社会でもありません。封建制社会です。 posted at 09:39:13
  • @hirofreak 封建社会でも価値法則は貫徹するのかというのは、江戸時代に「諸色高値」で武士が窮乏していったというふうに見れば貫徹しています。しかし、ある時期のある商品を取り上げて、その価格が価値法則によって規定された価格になっているのかと言えば否です。 posted at 11:10:55
  • @hirofreak 歴史とは常に具体的なものであって、単純商品生産社会などというものは決して実在したことがありません。したがって、前資本主義社会で価値法則がどうなるかを論じるには、あらかじめ問題の整理や一定の抽象が必要。それをやらずに一足飛びの議論をやることこそ図式主義でしょう posted at 11:20:28
  • @hirofreak 資本論は資本主義を対象としたものですが、同時に資本主義以前も視野に収められています。だから封建制社会を生産力・生産関係の視点で捉えることがドクマになるとは思わないし、批判的革命的実践的マルクス理論に反するとも思いません。 posted at 11:26:39
  • @hirofreak そういうことです。なぜなら、封建社会では、労働力の再生産は、大部分が商品生産・商品交換の外部で行なわれているからです。しかし部分的にせよ商品交換が始まれば、それはその社会に反作用的に作用します。江戸時代の「諸色高値」はまさにその具体的な現われだと思います。 posted at 11:32:40
  • @hirofreak 「すべての事象を生産力ー生産関係で説明しようという視点」などというものが存在しないことはあなたも認めておられるとおり。にもかかわらず、そういうもにが存在するかのように考え、つぶやくというのは、あなた自身が言葉に踊らされているように私には思えます。 posted at 11:40:34
  • @hirofreak 明治維新変革が国内的な要因によるものか黒船・開国の影響によるものかは戦前から論争のある大テーマ。とても140字ではお答できません。御家人の窮乏の理由はいろいろ。鎌倉?戦国時代は、私は、社会構成体的な転換・激動期だと思うので、中々1つのことだけでは説明不能です posted at 12:04:41
  • @hirofreak アルチュセール的な意味での最終審級での決定とか開発独裁とかはマルクスの概念ではなく、それ自体論争のある概念です。それを持ち出して、そのようなものかと問われても答えようがありません。言葉はいろいろご存知のようですが、それでは議論は深まりません。 posted at 12:11:42
  • 江戸時代に時代が下るに連れて年季奉公人の年季が短くなりやがて日傭となり、その給金が高くなっていくというのは、労働力の再生産費がだんだん高くなって行くという単純な話ではなく、商品生産の外部で行われていた労働力の再生産が段々と商品経済の中で行われるようになるということ。 posted at 12:55:39
  • 初期の下人などは、主人から土地を与えられ、それを耕して生活しながら、主人の必要に応じて主人の耕作を手伝わさせられたり、諸々の作業をさせられた。こういう場合、下人の労働に対価は支払われない。 posted at 12:59:08
  • それにかわる長年季奉公人も、当初は30年季とか15年季とかべらぼうに長い。奉公に出る際に一定の球給金が支払われるが、30年分の再生産費には程遠い。実際には主人が日々奉公人の食い扶持を提供していた。 posted at 13:01:50
  • それが日傭になると、食事なども日傭が自分で賄うことになり、長年季奉公人の場合のようなわずかな給金では食べてゆけない。おのずと使う側も、一日食べていけるような手間賃を払わざるを得なくなる。だから給金が高騰する。結果として、労働力の再生産費に近づく。 posted at 13:05:01
  • しかし江戸時代には自由な労働力商品の所有者にはなりえなかった。だから土地を失い日傭の手間賃で暮らしてゆかざるをえない農民(半プロレタリア)は農村に滞留し貧困を極める。この点でも、価値法則の全面的貫徹は体制的に拒絶されている。封建制の封建制たる所以。 posted at 13:09:20
  • 明治維新を経て地租改正を行い、初めて本格的な本源的蓄積過程、つまり直接的生産者と生産者との歴史的社会的な分離過程が始まる。これによって、上からか下からかはともかく、日本で本格的に資本主義が始まることになる。 posted at 13:20:53
  • とはいえそれも一筋縄にはいかず、一方で寄生地主制のもとでの過小経営があり、他方で隷属的な雇用関係があり、これらが結びつき植民地インド以下的低賃金・肉体損耗的労働が広がる。これが健全な国内経済と農業生産力の発展を阻害し、第1次大戦後には米不足・米騒動と中国侵略へとつながる。 posted at 13:28:15
  • 以上、ごく常識的な日本経済史の話でした。 posted at 13:38:39
  • 日本史の続き。下人を奴隷とみるか農奴とみるか、日本史の分野では、これまた大変な大論争。主人から土地をあてがわれて農業を営み、主人のために無償労働していたといえば、労働地代段階の農奴だが、夫婦になるのも主人の命令、生まれた子どもも主人のものだった。その意味では奴隷そのもの。 posted at 20:11:19
  • 歴史的に実在した下人は、まったくの奴隷から限りなく農奴に近いものまで千差万別。時代によっても違うし同じ時代でも違いがあるが、それを概念としてどうつかむか。それが学問の役割。 posted at 20:34:24
  • 概念としての奴隷と実在した下人。その関係を、資料に基づきながら具体化してゆくというのは、現実を概念化する作業であると同時に、概念が正しいかどうかを現実によって検証する過程でもある。現実と理論との往復運動。そこが学問の醍醐味。 posted at 21:12:57
  • マルクスも絶対的剰余価値生産の概念を、労働日・工場法をめぐる階級闘争の歴史によって検証し、相対的剰余価値生産の概念を協業・マニュファクチュア・大工業の歴史によって検証し、蓄積の概念を一般的傾向や本源的蓄積の歴史によって検証している。たんなる歴史的叙述ではない。 posted at 21:18:03

しかし、やり取りの中で飛び出した言葉、「批判的革命的実践的マルクス理論」って一体なんのでしょうか? マルクスに依拠してものを考えよう、考えたいという気持ちは分からなくはないですが、実際には、あれこれの言葉を振り回している、あるいは言葉に振り回されているだけのように思えてなりません。それにしても、歴史の議論は「批判的革命的実践的マルクス理論に排他する」とは。この人のなかでは、歴史研究は「批判的革命的実践的マルクス理論」には入らないとでもいうのでしょうか。まったくもって失礼な話です。

晩年のエンゲルスが、「私なら、事に通じる方を選ぶ」「それがマルクス主義ならマルクスは『私はマルクス主義者ではない』と言っただろう」というエピソードを思い出してしまいました。

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