資本論の邦訳について呟きました

資本論の邦訳(新日本出版社の上製版)についてつぶやきました。

これが11月5日の呟き。

  • 新日本出版社上製版137ページ後ろから3行目のP=P、P=P’は直前の生産資本循環の範式の最初のPと最後のPまたはP’が等しいという意味ではなく、最後のPがPである場合はこう、P’である場合はこうと、場合分けをしていると解釈しなければ意味が通じない。 posted at 18:44:23
  • だから、ここは「もし〔最後の〕PがPであるならば、2のGは〔1の〕G’マイナスgに等しい。もし〔最後の〕PがP’であるならば、2のGは〔1の〕G’マイナスgよりも大きい」と訳さなければならないはずだが、これまでそんな邦訳にお目にかかったことがない。 posted at 18:46:23
  • あ、資本論第2部についてのツイートです。 posted at 18:55:16
  • 新日本出版社上製版資本論第2部147ページ最終行から148ページ4行目まで。現行訳は、abzusehnとdarzustellenとを一括りにし、それらの結果so daß以下の文章になると解釈、さらにそのso daß以下の文章までum so leichterにつなげている。 posted at 21:53:36
  • しかし、そうなると最後のseiがうまく解釈できない。そのために、現行訳は意味が通らない。ここは、そうではなく、abzusehnと、so daß以下を含むdarzustellenとがundで結ばれて、um so leichterにつながっていると読むべきだろう。 posted at 21:53:38
  • じつは、インターナショナルパブリッシャー英訳版(98ページ)がそういう英訳になっている。なお最後のteils 〜, teils 〜の部分はマルクスの草稿をみれば明らかなように、生産物を他の生産物と最大限交換するだけにかかっている。 posted at 21:53:38

これが11月6日の呟き。

  • 新日本上製版資本論第2部152ページ5行目「生産資本の循環の定在」。原文をみるとin ihrem Kreislauf。ihremは女性か複数だが、この文には女性名詞も複数名詞もない。生産資本は男性単数だから「生産資本の循環中」とは訳せない。一体このihremは何を指しているのか? posted at 20:34:09
  • で草稿を調べてみたら、マルクスの文章では「個別貨幣資本の循環も個別生産資本の循環も、それらの循環の中でそれら自身の定在を前提する」となっていて、ihremが個別貨幣資本と個別生産資本の両方を指していることが判明。MEGA II/11 634.4-6参照。 posted at 20:45:10
  • そうなると、新日本出版社の訳だけでなく、これまでの邦訳は全部間違っていたことになるのだが、誰もihremの問題に気がつかなかったのだろうか? posted at 20:47:54
  • あえて訳せば「最終極を別にして、それらの循環において、個別貨幣資本の循環は貨幣資本一般の存在を前提にしておらず、個別生産資本の循環は生産資本の存在を前提にしていない」となる。初見では「それらの」が何を指しているかわかりにくいが、読めば意味は通じる。 posted at 20:58:38
  • もちろん、エンゲルスがマルクスの文章を、個別貨幣資本の方は循環の中かどうかを問わず貨幣資本一般を前提としないのに対して、個別生産資本の循環が生産資本を前提としないのは循環の中だけと考えて現行版のように書き直したのかも知れない。その場合はihremを直し忘れたということになる。 posted at 21:03:59
  • こんな読み方をしていたら、1日に1ページも進まない。^^; posted at 21:14:22
  • 実際、資本論第一部をこんな調子で精読してたら、5、6年かかった。最初はどんなふうに読んで行ったらいいのかもわからなかったけど、読んでいくうちにネットで手に入れたPDFで初版から仏語版、英語版を対照し既訳を対照しながら、なんとなく自分なりの読み方ができた。 posted at 21:25:57
  • とくに第二部はマルクスの未完の草稿各種からエンゲルスが編集したもの。エンゲルスのは残された草稿の中から、その問題を取り扱ったなるべく新しい草稿を使って、苦労して第二部をまとめ上げた。 posted at 21:32:37
  • ただ第二部の場合、残された草稿はマルクスが自己了解を深めるために書いた文章がほとんど。だから、müssenが出てきても、客観的な事柄として「〜でなければならない」と言っているのか、認識の発展として「〜となるはずだ」と言っているのか、判断に迷うことが多々ある。 posted at 21:37:45
  • また第二部では時々話の筋を追いづらいところが出てくる。マルクスの文章そのものが飛躍していることもあるが、エンゲルスが草稿をまとめる時にマルクスが注のつもりで書いたものを本文に繰り入れてしまったために話が前後したりつながらなくなったりしていることもある。 posted at 21:41:22
  • そういう時は新MEGAでマルクスの草稿を確かめると、脚注だったり、備忘録的にカッコで括って別の話を論じていたり、いろいろ謎が溶けることもある(解けないときもあるが)。ただ新MEGAは脚注や追加の文章は追加先などに組み込まれているので、厳密には草稿にどう書かれていたのか分からない。 posted at 21:45:08
  • 例えば、エンゲルスは概ね草稿の順番通りに原稿をまとめているのだが、時々、ぽっと(新MEGAでは)離れたところにある文章が続いていることがあって、なぜそんなふうにエンゲルスが編集したのか分からないことがある。その謎が新MEGAだけではわからないのが歯がゆい。 posted at 21:48:20
  • 例えば新日本上製版資本論第二部137ページには、この部分の文章はエンゲルスが書き足したものとの訳注があるが、これは誤り。第二章末尾に付された注から取られた文章なのだが、新MEGAを見る限り、なぜエンゲルスが草稿で1ページも後の注の一部だけを、この部分に挿入したのか、分からない。 posted at 21:56:54
  • こういう詮索をやって見ても、資本論の解釈そのものが根本的に覆るなんていうことはまずない。だけど、邦訳を読んでいるだけだとよくわからず、モヤモヤが残るので、それを可能な限り一個一個潰しているだけ。でもエンゲルスが省略した草稿の文言を復活させるだけで、モヤモヤが晴れることもある。 posted at 22:04:54
  • マルクスの文章は込み入っているし、厳密に書かれているが、訳のわからないことを書いているわけではない。だから、マルクスなりの論の運びがわかると、筋道だって話が展開されているので、決して難解ではない。そこが、凡百の「学者」の文章と違うところ。(一応「」をつけておきます)。 posted at 22:09:20
  • ただ、いまの邦訳の多くは、独文の字面に拘泥して、必ずしもマルクスの論の運びに叶った日本語になっていない。nunかnurかで論争になる場合もあるが、nunは大部分は訳しても訳さなくてもいい言葉。それをいちいち「さて」と訳すから意味が通らなくなる。 posted at 22:12:35
  • こんだけつぶやいても、資本論研究者を名乗る人からは何の反応もない。まあ、そんなもんかも知れんけどさ。 posted at 22:17:46

11月7日の呟き。

  • 資本論第二部、新日本上製版156ページ3?6行目も意味不明の翻訳。原文dadurch … daßを;までと解釈して訳しているが、ここは次の文も含めてdaßでくくられていると読まないと意味が通じない。 posted at 11:41:52
  • 資本論第二部続き。なぜ個人的消費が商品資本循環に入るのか。それは、個人的消費が対象とする日用品も資本主義社会では資本主義的に生産された商品であり商品資本であるから、そのかぎりで個人的消費は商品資本循環に含まれる、とマルクスは言っている訳だ。分かりやすい話。 posted at 11:46:38
  • 資本論第二部続き。しかし、その分かりやすい話が、これまでの邦訳ではみんな意味不明の翻訳になっている。独文の字面、この場合はセミコロンにとらわれて、マルクスが何を言おうとしているのかを見失っている。こんな翻訳を読まされるから、資本論は難しいと誤解されるのだ。 posted at 11:50:18
  • もしかすると、日本では、まだ完全に資本論をすみからすみまですっかり分かって読み通した人はいないのかも知れない、と思うほど、これまでの邦訳には意味不明の箇所が一杯。 posted at 23:47:23
  • にもかかわらず、資本論のあれこれの部分については、うんざりするほどたくさんの論文が書かれている。結局みんな、自分が読みたいところしか読んでないのではないか、と思ってしまう。 posted at 23:50:56
  • 例えば、資本論に出てくる村の名前でも、新MEGAを待つまでもなくインターナショナルパブリッシャー英訳版ですでに訂正されているのに、邦訳はずっと間違った地名のまま、なんてこともある。訳者がどこの村の話でもどうでもいいと思っている証拠。 posted at 23:53:54
  • いまはインターネットに地名を原綴りで放り込めば、たちどころに地図でどこにある村かわかる。そういう時代には、それに相応しい翻訳を! posted at 23:56:04
  • こう言ってみても、地名ぐらいどうでもいいじゃんと思う人がいるだろうなあ。そういう人には、資本論はどこの話でもかまわないのだろう。 posted at 23:59:46

そして、11月8日の呟き。

  • 資本論に出てくる地名を見ると、とりあえずインターネットで検索したくなる。これを「地名症」という。 posted at 08:30:00
  • ちなみに資本論に出てくる地名を調べるなら、google mapの英語版か、wikipediaの英語版が一番。wikipediaの英語版だと何州に属しているか、面積や現在の人口、主な産業、町によってはその歴史なども分かる。 posted at 08:34:03

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