日本古代の「氏(うじ)」と家(「戸」)を論じた本。著者は奈良大学教授。
「氏」が「始祖を共有する父系系譜で結ばれた集団」(8ページ)であることをわかりやすく解き明かしている。氏姓は制度のもとで、中央の豪族(「氏」)は「連」や「造」などの「姓」を天皇から与えられる。そして、たとえば大伴連に従属する地方の豪族は「大伴直」という氏姓が与えられる。もちろん、大伴連と大伴直は血縁関係はないし、各地の大伴直同士にも血縁関係はない。
日本古代の「氏(うじ)」と家(「戸」)を論じた本。著者は奈良大学教授。
「氏」が「始祖を共有する父系系譜で結ばれた集団」(8ページ)であることをわかりやすく解き明かしている。氏姓は制度のもとで、中央の豪族(「氏」)は「連」や「造」などの「姓」を天皇から与えられる。そして、たとえば大伴連に従属する地方の豪族は「大伴直」という氏姓が与えられる。もちろん、大伴連と大伴直は血縁関係はないし、各地の大伴直同士にも血縁関係はない。
久しぶりに本屋さんで、まとめ買いしました。と言っても、新書、文庫のたぐいだけですが。^^;
手前右から
高橋秀直氏の『「資本論」研究――労働価値論・貧困の蓄積論・経済学批判』(弘前大学出版会)についてつぶやいたものをまとめました。途中から、段々と読みやすいか読みにくいかという話ばかりになってしまいました。スミマセン…
日曜日(6/10)の「しんぶん赤旗」の読書欄で、木暮太一さんの『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』(星海社新書)が取り上げられましたが、僕には上から目線で切って捨てるような乱暴な評に思えてなりませんでした。
ということで、少々呟きました。
今日は新書・文庫の類ばかり。
右から
久しぶりの散財をしてしまいました。(^_^;)
岩波新書の日本古代史シリーズ最終巻の古瀬奈津子『摂関政治』。オビにあるとおり、藤原道長を中心に、9世紀から11世紀ぐらいまでを対象にしています。
以前に、講談社の『天皇の歴史』シリーズでも書いたことですが、摂関期ぐらいになってくると、描かれている時代のスケールがうんと小さくなってしまいます。古代律令国家で権力の頂点にあった天皇が、この時代になると、ほとんど内裏から外へはでなくなり、政治もほんの近親の公卿たちによって担われてゆきます。
そのことを、本書でも著者は、天皇との私的関係によって政治がおこなわれるようになると表現するのですが、国のまつりごとが私的な関係によって処理されてゆくというのは、いったいどういうことなのでしょうか?
大瀧雅之『平成不況の本質』(岩波新書)。読み終わったけれど、感想を書いてなかったので、あらためて。
結論から言えば、本書はマルクス経済学とはまったく異なる立場からのものだけれども、「公正な所得配分」を実現することこそが、実は「経済効率の上昇の礎」となるという立場から、小泉首相以来の「構造改革」を真正面から批判したもの。
だから、「構造改革」路線、「格差と貧困」の拡大に反対だと思っている人はもちろん、「そうはいっても、企業が儲からなかったら、どうしようもないのだから、規制緩和・構造改革は仕方ない」と思っている人にも、ぜひ一度読んでもらいたい。
140字という制約があるので、ちょっと言葉足らずのところもありますが、個々の中身が問題なのではなく、この著者の問題にたいするアプローチの仕方が問題なのです。
島田顕『ソ連・コミンテルンとスペイン内戦』についてつぶやきました。
いずれも出たばかりの新刊。左から順番に、
しりあがり寿さんの『あの日からのマンガ』(エンターブレイン)
「朝日新聞」夕刊の連載マンガ「地球防衛家のヒトビト」は、普段あまり読んでないのですが、あらためてマンガでないと表わせないものがあることに気がつきました。
やっぱりきわめつけは、カバーに印刷された3月14日付のマンガ。
もういまではすっかり忘れられていますが、幕末・明治維新の12年間(1863〜75年)にわたって、イギリス軍、フランス軍が駐屯していました。本書は、その英仏駐留軍を中心にして、欧米列強による幕末日本の「植民地化の危機」や、当時の日本をめぐる英仏独露などの国際関係をヨーロッパの国際関係(クリミア戦争、普仏戦争、等々)とのかかわりを考察しています。
といっても、難しい理論問題としてではなく、当時の資料に即して具体的に検討されているので、へえ、ほ〜と思いながら読み進むと、日本の幕末・維新変革が、欧米列強の駆け引きやら緊迫した国際情勢のなかで展開していたことがよく分かります。
先日読んだ坂上康俊『平城京の時代』でしばしば言及されていたので、続けて鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』(吉川弘文館、2008年)を読んでみました。
坂上田村麻呂の名前ぐらいは日本史の授業で習いましたが、それ以上はよくわかないという人は多いでしょう。古代蝦夷というと、むしろ高橋克彦氏の『火怨』のような小説の題材というイメージが強いかも知れません。本書は、和銅2年(709年)から弘仁2年(811年)までの「征夷」(律令国家のおこなった「東北戦争」)を取り上げ、限られた史料から「征夷」戦争の具体的なプロセスや、蝦夷(えみし)の実態、そしてそもそも律令国家はなぜ征夷をおこなったか(おこなうことを必要としたか)という問題を丁寧に明らかにしています。
シェイクスピア4大悲劇の最高峰といわれる『リア王』、読み終わりました。
いやあ、何がすごいって、リア王次々とつきまくる悪態、すごいですねぇ〜 あんなひどい悪態、落語にだって出てきません。リア王は悲劇のヒーロー? ということになるのかも知れませんが、末娘コーデリアを口べただというだけでいきなり勘当してしまうあたりは、我が儘すぎます。そして、ゴルネリとリーガンがいきなり手のひらを返したように父王に冷淡になったり、いろいろご都合主義的なストーリー展開。
それでも、諌言のために追放されながらリア王を守るケント伯爵、エドマンドの計略で乞食に身をやつすエドガーと失明させられたグロスター伯爵、などなど、魅力的なキャラクターがいっぱい登場して、飽きさせないところはさすがシェイクスピアです。狂気におちいったリア王と道化の掛け合いはほんとにおもしろかったです。
笑わせるところは笑わせて、泣かせるところは泣かせる――。さしずめ、藤山寛美の松竹新喜劇といったところ。←年取った関西人にしかわからない (^_^;)
左=松岡和子訳、シェイクスピア『テンペスト』(ちくま文庫)、右=池上永一『テンペスト』第1巻<春雷>(角川文庫)
松岡和子さん訳の『オセロー』のあとは、『テンペスト』を読み終えました。
ミラノ公国の大公位を奪われ、孤島に追いやられたプロスペローのもとに、嵐で遭難して流れ着いた簒奪者である弟のアントニオ、ナポリ王のアロンゾとその弟セバスチャンら一行。いまこそ12年前の復讐の時が来たる…。
ご存じシェイクスピアの(単独著作としては)最後の戯曲。みずから魔法を修め、嵐を起こし復讐を遂げんとする老いたるミラノ公は、精霊たちをあやつり、アントニオにナポリ王弟を唆せて、かつての自分のように兄を裏切らせようとしたり、一人娘ミランダとナポリ王の息子フェルディナンドとが恋するようにしむけたり、さらには間狂言のようにナポリ王の賄い方と道化のドタバタ騒ぎがあったりと、にくいほどの筋立てと演出です。
いま話題の、京都大学工学部原子工学科卒、日本共産党衆議院議員の吉井英勝さんの最新著『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』(新日本出版社)です。
昨年10月に発行された本ですが、実は、吉井さんがこれまであちこちの雑誌などに書かれた論文集かと思って、こんどの原発事故が起こるまで手にとってみることもしていませんでした。しかし、読んでみたら、全然違っていて、吉井さんが長年暖めていた構想にしたがって全編書き下ろされたもの。原発の危険性だけでなく、地球温暖化対策のエネルギー政策を地域経済の再生と結びつけて、どう具体化していくかが、一つ一つ分かりやすく解き明かされていて、一気に読んでしまいました。
くり返しますが、本書は昨年10月に書かれたもの(上の写真の帯は最新のですが)。ところが、本書を読んでいると、原発事故が起きたあとの現在にそのまま重なる話ばかりでした。たとえば、「はじめに」ではすでに原発トラブルによる電力不足のことが書かれています。東京電力がたびたびくり返してきた事故隠しの問題や、電力会社、原発メーカー、官僚などの「利益共同体」の話も出てきます。核廃棄物の最終処理の問題、廃炉の難しさなども明らかにされていて、つくづく今度の事故が「想定外の津波」でたまたま起こったなんていうものでないことを思い知らされました。
岩波新書「シリーズ日本古代史」の4冊目。坂上康俊氏(九州大学教授)の『平城京の時代』です。
対象は、697年の文武天皇の即位からほぼ8世紀いっぱいぐらいまで。ということで、以前に紹介した講談社『天皇の歴史』第2巻『聖武天皇と仏都平城京』とほぼ同じ時期が対象になっています。
それでも、天皇中心の前書にくらべ、本書では、第2章「国家と社会の仕組み」や、第4章第3節「荘園と『富豪の輩』」などで、この時代の国家と社会を支えた庶民の姿が取り上げられていて、おもしろい。