マルクスの年譜というと、大月書店から出版された『マルクス=エンゲルス略年譜』がよく知られているが、こちらは、戦前、改造社から発行された『カール・マルクス年譜』(広島定吉訳、1936年刊)。ソ連のマルクス・エンゲルス・レーニン研究所からアドラツキーの監修で出されたロシア語版(1935年)の翻訳。
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マルクス年譜
『共産党宣言』を手に入れました!!
的場氏よ、嘘をついてはいけません
的場昭弘氏(神奈川大学教授)の翻訳で、『共産党宣言』の新しい翻訳が出ています。
これまで様々な翻訳が出版されてきた『共産党宣言』ですが、なぜ的場氏は新訳を出版したのか? 同書は表紙に小さい文字で「初版ブルクハルト版(1848年)」と書かれており、そのことについて、的場氏は「凡例」で次のように説明しています。
翻訳のテキストは、『共産党宣言』(『宣言』)の初版とされるブルクハルト版全23頁のものを使用した。第5篇研究篇の歴史で述べるように、この初版にも数種類のバリアントがある。これまで邦訳されてきたものの多くは1933年のアドラツキー版旧メガ(Marx Engels Gesamtausgabe)所収のものからの翻訳である(最近の浜林正夫監修版、大月書店、2009年ではかつて初版といわれ、今では第2版といわれる30頁版が使用されている。……) 〔同書、11ページ、強調は引用者〕
つまり、「これまで邦訳されてきたものの多く」は30ページ本を底本としていたのにたいして、自分の新訳は23ページ組みの「ブルクハルト版」を底本にしている。そこに新訳の意味があるというのです。
しかし、いわゆる23ページ本にもとづく邦訳といえば、東北大学の服部文男氏が、1989年1月に新日本出版社から新日本文庫の1冊として出版したものがすでにあります。同氏の翻訳は、その後、1998年に同じ新日本出版社から「科学的社会主義の古典選書シリーズ」の1冊として刊行され、現在も入手可能です。
それにもかかわらず、この画期的な服部文男訳は、的場氏の新訳では一言も言及されていないのです。
今の時代が幸せかどうかは「腹の据え方」
不破さんが、昨年10月、11月に東京大学駒場キャンパスでおこなった連続セミナーの講演記録です。
平凡社新書の『マルクスは生きている』をベースにした講演で、1回目はマルクスの自然観と社会観、2回目は資本主義論と未来社会論ということになっています。しかし、目の前にいる人たちに直接語りかけているという点でも、その人たちが大学生だという点でも、また違った趣があります。(たとえば、1回目は「大学時代にマルクスが必読な理由」という角度から、マルクスの自然観、社会観が取り上げられています)
また、参加者からの質問にも答えていて、それが東大らしく(質問者が東大生かどうかは不明ですが)、「アインシュタインやボーアは唯物論者ではないのに、偉大な成果を上げているのは、どう説明したらよいのか」とか「人間の精神がDNAやニューロンによって左右されるのだったら、私の『主体性』はどこに行ってしまうのか」など、かなり突っ込んだ質問が出ていて、それにたいする不破さんのずばりと切り込む回答がまたおもしろいのです。
ヘーゲル『小論理学』 概念論を読む(2)
第163節?第164節。
まず「A 主観的概念」。第162節でいえば、形式論理学の概念。分類としては形式論理学の概念にあたるが、内容は、決して形式論理学の概念ではない。そこに注意。
a 概念そのもの
【第163節】
ここで、普遍・特殊・個別が出てくる。普遍が、「規定態」として現れ出たのが特殊。その特殊がもういっぺん反省されたのが「個別」。個別は、概念の否定的統一。否定的統一というのは、一度自分を否定して特殊へ行って、もういっぺん戻ってきたものという意味。
この否定の動きは、一方では現実(客観)の運動であり、他方では認識の働き(主観の動き)なのだが、ヘーゲルの場合、それが区別されていないことに注意。ヘーゲルの弁証法が観念論だという場合、それは、「理念」が主体に据えられているという意味とともに、このように、事物の客観的な発展と、主観的な人間の認識の発展とが区別されない、という意味がある。
ヘーゲル『小論理学』 概念論を読む
自転車のバンク修理のあいだに手話について学ぶ
「ライン新聞」編集部へのマルクスの手紙
『前衛』誌上で、不破哲三氏の「講座 マルクス、エンゲルス革命論研究」の掲載が始まりました。昨年おこなわれた研究講座の「誌上再現」ということになっていますが、連載第1回ですでに、研究講座のときよりさらに詳しく突っ込んで書かれている問題が出てきます。
その1つに、「ライン新聞」を舞台にしたマルクスの活動があります。マルクスは、1842年4月から「ライン新聞」に論説を掲載し始め、同10月には主筆として編集に全責任を負うことになりました。これによって、「ライン新聞」は面目を一新されました。
同紙でマルクスがたたかう目標としたものの1つに、プロイセンの検閲制度があります。そのために、マルクスは戦術も注意深く考えたのです。論文では、そのことを示すマルクスの手紙が2つあると指摘されていたので、その手紙を読んでみました。
まだまだ続くヘーゲル弁証法
ヘーゲルの弁証法(まだまだ続く)
さて、ヘーゲルの続きです。
ヘーゲル弁証法のお勉強
あり方いろいろ(続き) existierenをどう訳すか

学習の友社から、こんな本が出ました。まだ読み始めたばかりですが、『資本論』第1部にそって、マルクスが弁証法的に論を展開している部分をとりあげて、弁証法的なものの見方、考え方、あるいは論述の展開の仕方について解説をくわえられています。
ということで、いま少しずつ読み始めているところですが、それはそれとして、「おっ」と思ったのは、「まえがき」に書かれた「凡例」の部分です。













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