日本古代史の文献をあれこれ読みました

吉川真司『<シリーズ日本古代史3>飛鳥の都』(岩波新書)吉川真司『<天皇の歴史2>聖武天皇と仏都平城京』(講談社)
左=吉川真司『飛鳥の都』(岩波新書)、右=同『聖武天皇と仏都平城京』(講談社)

日本古代史のシリーズを読んでいます。1つは、岩波新書ではじまった「シリーズ日本古代史」。「農耕社会の成立」から「摂関政治」までを対象とした全6冊のシリーズで、先月、3冊目の『飛鳥の都』がでました。著者は京都大学の吉川真司氏。「七世紀史」というくくりで、推古朝の成立から遣唐使の派遣、「大化改新」、白村江の戦い、近江大津宮への遷都、壬申の乱、飛鳥浄御原令の制定・施行、藤原宮遷都あたりまでを取り上げています。こうやって概略を書き並べただけでも、激動の時代だったことが分かります。

もう1冊は、講談社が刊行中の『天皇の歴史』第2巻、『聖武天皇と仏都平城京』です。著者は同じ吉川氏で、こちらは天智朝、壬申の乱(672年)あたりから書き起こして、承和の変(842年)あたりまで。こちらは「天皇の歴史」ということなので、天智系と天武系の系譜問題や、近江令、飛鳥浄御原令から律令制の成立、さらに天皇と仏教の関係などが取り上げられています。

さて、岩波新書の「シリーズ日本古代史」。第2巻は買ったままにしていたので、吉川さんの『飛鳥の都』を読んだあと、第2巻の『ヤマト王権』(吉村武彦著)を読みました。

吉村氏は、「倭王権」「倭政権」という言い方をせず「ヤマト王権」と呼んでいるが、それは、魏志倭人伝など中国側の史料にでてくる「倭」と、日本側の史料や遺跡などから確かめられる「ヤマト政権」とが同じかどうか分からないから。そして、ヤマト王権の成立過程は、次のように位置づけられる、としています(51ページ)。

  1. 倭国としての統合の展開(1世紀末から2世紀初頭)
  2. 近畿地方を中心とする定型的規格を持つ前方後円墳秩序の形成(3世紀後半)
  3. ヤマト王権の成立(4世紀前半)

ここでは、「倭国」と「ヤマト王権」とは歴史的に段階が違うということになっています。邪馬台国にかんする記録も、直接、ヤマト王権には関係ない、としています(53ページ)。

では、なぜヤマト政権の成立が4世紀前半なのか、というと、それがはっきりしません。吉村氏は、ヤマト王権の最初の「天皇」は「はつくにしらすスメラミコト」と呼ばれた第10代・崇神天皇からだとします。日本書紀の紀年にしたがうと、紀元前になってしまいますが、一方で崇神の没年の干支を繰り下げ ((日本書紀によれば、崇神の没年の干支は戊寅。これを信用すれば318年または258年にあたる。))、他方で、5世紀後半の稲荷山鉄剣の記名(「ワカタケル」)から第21代・雄略天皇からは年代が明確に確認される、ということで、3世紀後半とされているのだろうと思います。

また、倭王権とヤマト王権を区別すると言っても、5世紀の『宋書』倭国伝に出てくる「倭の五王」(讃・珍・済・興・武)については、吉村氏は、ヤマト王権と見なしています。ここらあたりが、吉村氏の議論の分かりにくいところ。

前方後円墳についても、ヤマト王権成立以前の統合過程だと言ってみたり、「ヤマト王権の象徴」と言ってみたり、今ひとつ位置づけがはっきりしません。前方後円墳がまとまってつくられる場所から政権の中心がどこにあったかという議論をすることにたいして、吉村氏が、前方後円墳はあくまで墳墓であって、政権の中心は「宮」の所在地で考えるべきだという指摘は納得できます。

もう1つ、講談社の「天皇の歴史」シリーズ。第1巻(大津透『神話から歴史へ』)、第2巻、第3巻(佐々木恵介『天皇と摂政・関白』)までは、なかなかおもしろく読みました。ただ、佐々木恵介氏が9世紀前半の天皇について、「天皇としての権能を行使しうる者が天皇一人に限定され、その天皇の手足となって律令制官僚機構を動かす直属の官僚群が形成されると同時に、天皇自身はそれらの官僚群などに囲まれ、人前にはあまり出ていかない存在となっていった」、天皇は「生身の権力者から、権力の中枢に位置しながらも、その存在感を希薄化させた一個の装置、あるいは制度へと変貌を遂げていく」(序章、23ページ)という評価は、はたしてそれでよいのだろうか。検非違使や蔵人所など令外官の成立を、天皇の手足となって律令制官僚機構を動かす直属の官僚群と言えるのかどうか。またそれを、佐々木氏は「天皇の制度化」(327ページ)とも言っていますが、実態としては、文字通り権力の中枢であった7世紀・8世紀の天皇にたいして、権力の中枢としての実態を失っていくのにともなって、佐々木氏が言われるように、天皇が「多くの群臣の前に姿を現わす機会」がますます減っていくのであり、それとともに、天皇は殿上人、公卿などとの「うちわの君臣関係」のなかでのみ生きながらえることになるのではないでしょうか。

このように、天皇が現実政治の中心からだんだんと離れて、「うちわの君臣関係」のなかに閉じこもれば閉じこもるのにつれて、「天皇の歴史」として日本の歴史を描くことの意味が失われてきます。それにもかかわらず、その「天皇の歴史」をなにか重大な意味があるようなものとして書こうとすると、どうしても「無理」が生じてくるのではないでしょうか。第4巻『天皇と中世の武家』(河内祥輔・新田一郎著)を読んでいると、とりわけそうした疑問を感じずにはいられません。

【書誌情報】
著者:吉川真司(よしかわ・しんじ、京都大学教授)/書名:飛鳥の都 シリーズ日本古代史3/出版社:岩波書店(岩波新書新赤版1273)/発行:2011年4月/定価:本体760円+税/ISBN978-4-00-431273-4
著者:吉川真司/書名:聖武天皇と仏都平城京 天皇の歴史第2巻/出版社:講談社/発行:2011年1月/定価:本体2600円+税/ISBN978-4-06-280732-6

作成者: GAKU

年齢:50代 性別:男 都道府県:東京都(元関西人) 趣味:映画、クラシック音楽、あとはひたすら読書

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください