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2004年2月28日(土)

桜が咲くまで、あと1カ月もなくなってきました。駅前の桜を見上げると、枝の先の花芽が、本当にわずかですがふくらみ始めたことが分かります。夜は、そんな花芽に街頭の灯りが反射して、夜空に浮かび上がっています。

フリーターへの課税強化の動き。今日の東京新聞の報道によると、政府税調の基礎問題小委員会は、所得税増税の一環として、フリーターなど非正規雇用労働者にたいする課税強化を課題とすることを決めたそうだ。たとえば、現在は、基準額(月給8万7000円)未満の場合、源泉徴収の対象とならないので、複数のアルバイトを掛け持ちして少額の所得を得た場合、合計が基準額を超えていても実際には所得税を納めていないということがあったが、これにたいして確実に課税しようと言うのだ。政策的に正規雇用を減らしてきたくせに、ここにきて、非正規雇用でのわずかな所得にさえ課税しようと言うのはあまりにひどいとしか言いようがない。怒れ、全国のフリーター諸君!

昨日、日本中世史研究者の網野善彦氏が亡くなられました。NHKのニュースでも写真入りで報道するなど、マスメディアでは大きく扱われました。網野さんの業績からすれば当然なのでしょうが、そのNHKのコメントで「天皇を頂点とする稲作中心史観に反対し・・・・」(記憶なので不正確かも知れませんが)とあったのは、どうなんでしょうか? むしろ、研究を通じて、中世の職人などが天皇につながっていたということを強調したのが網野さんだったのではないでしょうか。古代から、中世史の対象を豊富化したということや、単一の日本国家なるものを前提とした“日本史”というイメージにたいするアンチテーゼというのはありますが、しかし、網野さんの「専売特許」ということはできません。出版業界での“売れ筋”イメージに引きずられたというのは、NHKとしてはいかがと思います。今日付の「日経」の訃報でも、「天皇を頂点とする国家観を問い直した」という趣旨のことが書かれています。また主著として、『無縁・苦界・楽』とともに『異形の王権』があげられていますが、『異形の王権』が主著というのでは網野さんも残念がるのではないでしょうか。代表作といえば、やはり『中世東寺と東寺領荘園』(東大出版会、1978年)、『日本中世の非農業民と天皇』(岩波書店、1984年)などがあげられてしかるべきでしょう。『無縁・苦界・楽』については、故・安良城盛昭さんの批判に答えることなく、増補版(平凡ライブラリー、1996年)が刊行されたことを私はいまでも疑問に思っています。

2004年2月27日(金)   裁判の判決

東京地裁は、オウム真理教の元代表・麻原彰晃こと松本智津夫に死刑判決を下しました。坂本弁護士一家殺害事件、地下鉄サリン事件などを考えると、当然の判決だと思います。弁護側が即日控訴したことについては、憤慨する声もありますが、被告の権利を守るのが弁護士の役割だという立場からすれば、やむを得ないものだと思います。他方で、公判途中から弁護団は被告との意思疎通ができなくなっており、全員が辞任したのもやむをえないでしょう。裁判の長期化を問題にする声もありますが、かつてなかった犯罪だけに時間がかかるのも仕方ないと思います。

ところで今日はもう一つ、判決がありました。小泉首相の靖国神社参拝を憲法違反と訴えた「大阪靖国訴訟」の大阪地裁の判決です。村岡寛裁判長は、小泉首相が公用車を使い、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳した以上、「参拝は内閣総理大臣の資格でおこなったと認めるのが相当」と認定しました。「原告らの具体的権利が侵害されたとはいえない」として住民の請求を退け、憲法判断に踏み込まなったことは残念ですが、公用車を使い、「内閣総理大臣」の肩書きで記帳すれば、公式参拝にあたる――こういう判断が裁判で下されたことは重要だと思います。

2004年2月25日(水)

読売新聞(夕刊)の報道によれば、1996年以来上野の東京文化会館館長をつとめてきた三善晃氏が、石原都知事の文化行政に抗議して、昨年夏頃に辞意を表明していたそうです。“文化人”都知事は、日本を代表する世界的な作曲家の批判に答えるべきでしょう。

仕事帰りに、渋谷でデンマーク映画「しあわせな孤独」を見てきました。“突然の不幸に見舞われた2組のカップルのせつなくもひたむきな愛の形をじっくりと見すえていく”という謳い文句ですが、僕には、男の情けなさが目立つ作品でした。

今日買ってきたもの。キリがない・・・・・

2004年2月24日(火)

数日前から、少々鼻の調子が悪いです。少しすると鼻がず〜〜〜っと・・・・タレてきて、仕方なく、ずずっとやって、またしばらくするとずずっとやるという状態です。とくに風邪を引いたという症状もないのに、なぜ? ひょっとして花粉症? 困った〜〜〜〜 (T_T)

今日買ってきたもの。軽めの新刊書ばかりです。

『メキシコから世界が見える』は、グローバリズムの問題を取り上げたもの。最近のラテンアメリカの動きに注目が集まっているので、とりあえず読んでみるかと・・・・。『ニューヨークを読む』は、一昨年ぐらいに同じような趣旨の本が岩波新書から出ていたような気がしますが、さて・・・。で、あとは、寝っ転がってお気楽に読む本として。(^^;)

2004年2月21日(土)

今日は、渋谷のユーロスペースで「息子のまなざし」という映画を見てきました。ネタ晴らしになるので事件の中身は書けませんが、なかなか重いテーマを扱っています。

2004年2月19日(木)

フルートを吹くオブジェ
オーチャードホールの入り口にて

東京フィルハーモニーの定演に行ってきました。プログラムは、ブラームスのピアノ協奏曲第1番とリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」。前半のピアニストは、ウクライナ出身のコンスタンチン・リフシッツ。柔らかいタッチですが、演奏そのものはなかなか強い(というか骨格のしっかりした)印象でした。後半は、R・シュトラウスが、自分こそ英雄だといって、その「生涯」(といっても作曲したときはまだ34歳でしたが)を音楽にしたというものなので、内容的にはそんなに深い思想性がある訳ではありません。しかし、ホルンやトランペットがブンチャカブンチャカやるし、大太鼓やティンパニも活躍する派手な曲。同時に、コンマスがバイオリン・ソロで優しいメロディを弾いて、音楽的には派手。指揮の高関健氏はムーミンパパのような小さい体を、思いっきり大きく動かして、熱の入った演奏をされていました。

演奏会データ ■プログラム:ブラームス=ピアノ協奏曲第1番/R.シュトラウス=交響詩「英雄の生涯」■指揮:高関 健■ピアノ:コンスタンチン・リフシッツ

携帯電話が壊れました。(^^;) 少し前から、いくら充電してもすぐ電池切れになっていて、「そろそろ危ないかな・・・」と思っていたのですが、今朝気がついたら、電源が入らなくなっていました。修理してもよかったのですが、もういい加減古くなっていたので、新しい機種に乗り換えることにしました。しかし、「新世代」のCDMA1 WINはさすがに高いし、調べてみたら、WIN単体では2M以上でアクセスできても、パソコンなどにつなぐと従来と同じ144kbでしかでないし、月4000円の定額制もパソコンなどに繋いで使ったときには効かないことなどが分かったので、WINはやめ。結局、少し型落ちした機種にして、ポイントも活用して3600円(+機種変更手数料2000円)ですみました。電話帳は、そろそろヤバイかもと思って、昨日、バックアップを取っておいたので、被害は最小ですみました。

置塩信雄氏の『マルクス経済学 2』を読み始めました。1が主に価値論と生産価格論をめぐる議論だったのにたいし、2は再生産表式分析と恐慌論が中心。均衡成長の条件を検討しながら、2部門の均衡成長率を決定要因を明らかにしています。また、「第1部門の優先的発展」は、表式の初発の数値の置き方によるものであって、絶対的法則ではないことも明らかにされています。また、マルクスは、第1部門の剰余価値は第1部門へ、第2部門の剰余価値は第2部門へ投入されると想定していますが、この仮定には道理がないとも指摘されています(資本家は使用価値には無関心なのだから、第2部門の剰余価値を第1部門に投下することもありうると考えるべき。そうであってこそ、両部門の均衡的発展が可能になる)。さらに、生産価格をもとにした再生産表式が示されていますが、そこでは、有機的構成が高い部門が低い部門と同じ拡大率で拡大再生産していくときに生じる各部門での剰余価値の過不足が、実は価値の生産価格への転化によって調整されていることなども明らかにされています(これは、再生産論としても大切な論点ですが、マルクスの「転化」論が正しいことの証拠でもある)。さらに、恐慌論の問題として、市場経済の生産の無政府性にもとづく不均衡だけでは恐慌の根拠にはならず、市場の調整作用にもかかわらず不均衡が累積していく過程を明らかにしなければならないということが指摘されています。拡大再生産がすすみ、不均衡が累積していく過程は、実は社会にとっては蓄積のための犠牲を強いられるhardな時代であるにもかかわらず、資本主義のもとでは、資本家にとってはもちろん、労働者にとっても失業が低下するなど、喜ばしい時代になるという指摘もあります(100ページ、注10)。これらの点は、不破『マルクスと「資本論」』などの論点と共通するものも多く、興味深いです。

2004年2月18日(水)   やっぱりトッドは・・・・

フランスの歴史・人類学者エマニュエル・トッドのインタビューが、今日付の毎日新聞に掲載されています。前に、『帝国以後』についての感想でも書いたことですが、本当に彼は日本のことが分かっていません。インタビューで彼はこう言っています。

――イラク戦争への日本の対応について。

短期的にはあまり批判する点はないと思う。ブレア英首相は「有罪」だが、小泉純一郎首相は「無罪」だ。


――日本の対米関係の今後はどうなりますか。

米国に引きずり込まれる形で日本が自衛隊を派遣したことは、むしろ日本の自立機運を加速することになると思う。(毎日新聞、2004年2月18日付)

同じインタビューのなかで、彼は、自衛隊のイラク派兵をきっかけにして、「イラク戦争に巻き込まれた日本は対外安保政策を問い直し、日米同盟が棄権であるとの結論にたどりつかざるを得ない」「日本国民が自らの道を決めるためには、米国の事実上の『保護領』としての地位に終止符を打たなければならない」(同前)と述べています。これ自体は間違ったことではないのですが、彼の議論から抜け落ちているのは、日本の国家的な対米従属の問題です。それが分かっていないから、「小泉首相は『無罪』だ」とか、「短期的にはあまり批判する点はない」という判断になるのです。つまり、あくまで日本の自主的、自立的な判断として自衛隊を派遣したという前提に立っているのであり、問題は、そういう自立的な判断をおこなったときの判断基準のナイーブさにあるという議論なのです。このことは、対米従属的な軍国主義の復活・強化、アメリカの戦略的な要請を機動力とした自衛隊海外派兵体制づくりという問題が視野に入っていないということでもあります。

しかし、それは、トッドの責任とばかりいえない側面もある。つまり、フランス人の常識からすれば、日本ほどの「大国」が国家的な対米従属にあるというようなことは、まったく想像もつかない異常な事態なのです。だから、小泉首相のような政治家も含めて、自衛隊のイラク派兵によって、かえって日米同盟の危険性への自覚を強めて、自立傾向を強めるに違いないと考えるのです。それほど、日本の政治的支配勢力の対米追従ぶりはひどいと言うことでもあります。

2004年2月17日(火)   98(キューハチ)といっても・・・・

今日は、古いパソコンが立ち上がるか調べてほしいと頼まれて作業してきました。なんと、NEC PC-9801 VXです! 昔、98(キューハチ)といえば、Windows 98ではなく、NECが誇る16bitパソコン、PC-9801シリーズのことでした。たぶん、17、18年前のマシンだと思います。いまでもちゃんと動くのは、はたして何台あるんでしょうねえ?

で、電源を入れてみると、懐かしいN88-Basicの画面が出てきます。ハードディスクを認識していないようですが、どうすればいいのか分からない・・・。ディップスイッチの設定を確認しようと思っても、PC-9801のディップスイッチの設定なんて、全然覚えてない・・・・(^^;) マニュアルもないし、半ば諦めつつインターネットで検索すると、ディップスイッチの設定を解説したページを発見しました(どこかの中古PC販売店のページらしい)。それを参考に、SW2-5をOFFに戻して再起動すると、無事、MS-DOS3.30C が起動しました。\(^^@)/ なにごとも、やればできるもんですね〜〜〜

桐野夏生の『玉蘭』(朝日文庫)を読み始めました。

今日、買ってきたもの。

2004年2月16日(月)

風邪を引きました。日曜日から調子が変だったので“怪しいなあ”とは思っていましたが、今朝、体温を測ったら、36.7度。普段は35.5度ぐらいなので、ちょい微熱というところです。昼ごろからは鼻水たらたら状態になってしまいました。しかし、市販の総合感冒薬を飲んだら、夜には35.6度に戻りました。これで治まってくれるといいのですが・・・。

2004年2月15日(日)    辛い!

韓国製ラーメン辛(しん)の包装

昨日、韓国映画「気まぐれな唇」を見に行ったとき、映画館で「先着のお客様に差し上げてます」といって韓国製のラーメン「辛(シン)」を貰ったので、昼食に食べてみました。麺はちょっと太め。日本のインスタントラーメンと違って、最初からスープや薬味も一緒に入れてぐつぐつ5分間煮ます。薬味のなかには乾燥唐辛子もはいっていて、煮ている間からかなり辛そうな匂いがしてきます。食べてみると、実際、かなり強烈に辛い! 食べられないほどではありませんが、頭の中にもかなり汗をかいてしまいました。で、味はまあまあです。(^^;) 辛い物好きの方は、一度お試しあれ。

2004年2月13日(金)

今日は、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の定期演奏会で、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリアス」(作品70)を聴いてきました。「エリアス」は、1846年(メンデルスゾーン37歳)のときの作品。キリスト以前の予言者エリヤの話を旧約聖書などから選び、2部構成、全42曲にまとめたものです。演奏は第1部、第2部それぞれが1時間を超える超大作です。会場につくと、「プレトーク」ということで指揮者の飯守泰次郎氏がピアノで主旋律を弾きながら曲を解説しておられました。で、氏いわく、「メサイア」のハレルヤ行進曲のような“ヤマ場”がない、だから人気が出ない。しかし、実は、「メサイア」などに匹敵するか、それ以上の堂々たる宗教音楽なのだと力説されていました。

コンサートでは、飯守氏が指揮台の上で、飛び跳ねたり腕をぐるぐる振り回したりと、全身を使っての大変な熱演。オケのみなさんも、合唱団のみなさんも、2時間、緊張し続けで、ほんとご苦労さまでした。ただ、座席が前から4列目だったため、肝心のソリストの歌や、オケのなかでも管や打楽器の音がみんな頭の上を素通りしていってしまって、よく聞こえません。その代わり(?)、弦楽器は、弓が弦をこする音まで直接に聞こえてきて、音のバランスが変。いまいち迫力が出ません。緑川まりさん(ソプラノ)や寺谷千枝子さん(アルト)のお顔も、オケの楽器の隙間からはるかにうかがうような状態で、これも残念でした。そのうえ仕事の疲れで、前半(第1部)の途中で寝てしまいました・・・・。(^^;)

実は、この曲は初めてだったので、CDを買って予習していたのですが、そのCD(サヴァリッシュ指揮/ゲヴァントハウス交響楽団)が実はなかなかの名演で、“ナマの演奏とCDの演奏とをくらべてはいけない”という掟を忘れて、ついつい期待過剰になっていたようです。しかし、前後半合わせて2時間超の演奏、本当にご苦労さまでした。

演奏会データ ■指揮:飯守泰次郎/■演奏:東京シティ・フィルハーモニック交響楽団/■ソプラノ:緑川まり/アルト:寺谷千枝子/テノール:松浦健/バス:鹿野由之■合唱:東京シティフィル・コーア/混声合唱団 明響/■東京文化会館大ホール

2004年2月11日(水)

信販会社クオーク(QUOQ)の新しいTVコマーシャル(転校生篇)、休み時間になって隣の席の女の子(ゆうこちゃんという名前がついているらしい)が読んでいたのは、なんと「大菩薩峠」でした! 渋い・・・・渋すぎる。(^^;)

小泉首相が、靖国神社に「A級戦犯」が合祀されていることについて、「私は抵抗感を覚えていない」「A級戦犯がいようがいまいが、多くの戦没者の犠牲のうえに今日の日本の平和と安定がある」と答弁したらしい(10日の衆院予算委員会、毎日新聞の報道による)。

これを聞いて、つくづく小泉首相はものが分かってないと呆れてしまいました。誰も、首相の「抵抗感」を聞いてなんかいません。日本の総理大臣が「A級戦犯」を合祀した靖国神社に参拝することにたいして、彼らの指導した戦争によって侵略された国の人びとが「抵抗感」を覚えている――それを一国の首相としてどう思うのか? ということが問われているのです。さらにいえば「A級戦犯」は決して戦争の犠牲者ではないし、靖国神社は戦争犠牲者をまつっているわけではありません(靖国神社がまつるのは、あくまで天皇のために功績をあげた“軍神”のみ)。本当に首相は、こういう“はぐらかし”答弁で中国や韓国の批判をかわせると思っているのでしょうか? 本当にそう思っているとしたら、かれの“国際感覚”はそうとうなものです。

2004年2月9日(月)

今日、また病院に行ってきた。先週採血して検査した結果、やはり帯状ヘルペスだという診断でした。しかし、薬が効いたのか、発疹はすでにほとんど治まっています。ということで、とりあえず投薬は終了し、あとは経過観察ということに。高い薬を何週間も飲まされたら大変だなあと思っていたので、とりあえず一安心しました。(^^)v

ついでに、血液検査の結果、コレステロールや血中脂質などが正常値に戻っていたことが判明しました。万歳!

仕事の関係で、マスメディア(新聞)の報道ぶりを調べました。1つは、日本経団連が、政策評価にもとづいて評価の高い(つまり大企業の要望をよく聞いてくれる)政党への企業献金(の斡旋)を再開するとしたことについて、新聞の社説を比べてみると、まっこうから問題を指摘したのは、「結局、政策をカネで買うのと同じではないか」(東京新聞)、「『金も出すが、口も出す』というやり方がどこまで一般国民の理解を得られるかは疑問だ。……むしろ企業献金の全面禁止の方が理にかなっている」(高知新聞)、「カネにモノを言わせるようなやり方は、ルール違反と言わざるを得まい」(京都新聞、いずれも1月31日付)ぐらいで、積極的に評価する「読売」はいうまでもなく、「朝日」「毎日」でさえ腰の引けた論評にとどまっています。

もう1つは、1月29日に共産党の赤嶺政賢議員が、防衛庁の内部文書を暴露して、自衛隊イラク派遣先遣隊の「調査報告」なるものが実は現地に到着する前から準備されていた事実を明らかにした問題。「大分合同新聞」「京都新聞」「高知新聞」「琉球新報」「熊本日々新聞」などは、この問題を1面トップで大きく取り上げています。ところが、全国主要紙は、いずれもこの問題の扱いは小さく、しかも、報告書を事前準備し、国民の目を欺いたという問題の核心を取り上げるというよりも、“共産党の内部文書暴露に政府側はのらりくらりの答弁を繰り返した”といった“政治ショー”的な取り上げ方でした。

日本の進路にかかわる重要問題で、まともに報道もしない、論評もしない――。これで、“木鐸”としての役割が果たしているつもりなのでしょうか。

2004年2月6日(金)

CDジャケット
ゲルギエフ指揮キーロフ管弦楽団/ラフマニノフ交響曲第2番 作品27

今日のBGMは、先日買ってきたラフマニノフの交響曲第2番(ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、キーロフ管弦楽団)。ラフマニノフの名前はもちろん知っていましたが、交響曲に限らず、彼の曲をじっくり聴いたのは正直初めてです。ロシア的というか、なめらかな旋律ですが、チャイコフスキーほど甘ったるくないので、好みかも知れません。それにしても、ゲルギエフは、曲の組み立てがよく分かる見通しのいい指揮をするので、非常に聴きやすいし、音楽全体がくっきり見えてくるように思えます。

帯状ヘルペスの方は、薬が効いているのか、広がる気配はありません。むしろ、発疹も少し軽くなってきたような感じです。しかし発疹に核のようなものが出来てきたのか、こすれたり触れたりするとピリピリと痛みが走ります。しかも、発疹が左側に出て、首を一日中右に傾けているためか、首が痛くてたまりません・・・・。(^^;)

2004年2月5日(木)   フセインが世界をだましたのか?

ザグ

アメリカがイラク攻撃の理由としたイラクの大量破壊兵器が見つからない問題について、とうとうあのラムズフェルド米国防長官が「可能性は低いが、開戦時に大量破壊兵器がなかったのかも知れない」と、もともと存在しなかった可能性を認めたそうです(日経夕刊)。ラムズフェルド国防長官は、ほかに、(1)他国に移送した(2)全国に分けて隠した(3)戦争直前に廃棄した(4)少量の生物化学兵器だけが存在し、急激に量産する能力を持っていた(5)そもそも大量破壊兵器がなかったにもかかわらず世界をだましていた、という可能性を上げたらしいが、世界をだましたのはいったいどちらなんでしょう?

すでに、大量破壊兵器の捜索にあたっていた米イラク調査グループ(ISG)責任者のデビッド・ケイ中央情報局(CIA)特別顧問は、「大量破壊兵器は存在しない」と明言し、辞任しています。パウエル米国務長官も態度を変え、大量破壊兵器保有の事実関係について「未決着だ」と言い始めています。アメリカの言うことを鵜呑みにして(いや、ひょっとしたら飲み込むことさえせずに、オウム返しにしたのかも知れない)「イラクは大量破壊兵器を持っている」と断定した某国総理大臣は、イラク戦争終結後に理由を問われて「フセインが見つからないからと言って、大量破壊兵器がなかったとは言えない」という珍論を展開して失笑を買っていましたが、いよいよもって苦しい言い逃れに終始しています。

自民党の中川秀直・前官房長官が、「フォーカス」(新潮社)を訴えた裁判で、内閣官房が長官在任中の2000年7〜8月に官房機密費(「内閣官房報償費」)から2億2000万円を中川氏に支出したという文書を広島地裁に提出していたと報道されています。新潮社側が「右翼団体幹部が女性問題で中川氏を恐喝し、官房機密費から多額の金を受け取った」として文書提出を申し立て、地裁が内閣官房に要請していたもの(読売新聞のインターネットニュースによる)。5回にわけて3000万円から5000万円ずつ受け取ったことが分かっています。しかし、その2億円あまりが何に使われたかは秘密のまま。福田官房長官は「使途を明らかにすることはあり得ない」と答えたそうですが、税金である官房機密費から右翼に金を払ったとしたら、とんでもない話。中川氏は「支出は通常のペース。私的流用はしていない」と言っていますが、何の証拠もありません。巨額の税金が“掴み金”として使えるということ自体、日本の政治の“野蛮性”の証拠です。

山本義彦「野呂栄太郎と日本資本主義史研究」(『経済』3月号)を読みました。野呂が日本資本主義を研究し、その正体に迫った意義を、民主主義とのかかわりで読み解こうという論旨は、なかなか斬新な視角です。絶対主義天皇制の解明にしても、はじめに「絶対主義ありき」ではなく、民主主義の実現を阻んでいたものの正体に迫ってみたら、それは実は絶対主義天皇制だったというふうに明らかにされていて、そこに明治維新論や地主制論、産業革命論、「プチ帝国主義」批判などが重なり合ってくるのは新鮮でした。同時に、まずブルジョア民主主義革命を達成し、それをプロレタリア革命に強行転化させるという戦前の戦略的展望について、民主主義の独自的意義の位置づけがなかったことが、レーニン、ロシア革命、コミンテルンにまで遡って検討されており、そこに今日的な新鮮さも感じられました。

同じ号に掲載されている土井洋彦「野呂栄太郎と侵略戦争の時代」は、野呂が日本の軍国主義と侵略戦争にどう立ち向かったかに焦点を当てています。山本論文と噛み合って、今日的な問題意識から新鮮な野呂像が描かれていると思います。

今日買ったもの。

昨日買ったもの

相変わらず本の買い過ぎ。いったいいつ読むというのだ?

2004年2月4日(水)    “春、立ちぬ”

今日は立春。今日から暦の上では春。「立春」など二十四節気を、よく「旧暦」という人がいます。最近も、「旧暦で暮らす」というようなことをタイトルにした書物が本屋に並んでいますが、二十四節気は、「月の満ち欠け」とは何の関係もありません。

月の満ち欠けの周期は29.5日なので、太陰暦では、1カ月は29日(小の月)か30日(大の月)になり、1年12カ月は平均で354日になります。つまり、太陽暦と約11日のズレを生じ、3年で約1カ月分、18年でまるまる半年以上、暦と季節がずれてしまいます(太陰暦の方が季節より先へ行ってしまう)。このずれを調節するために、適当に「閏(うるう)月」をはさむようにしたのが「太陰太陽暦」で、ふつう旧暦といわれているのは、この太陽太陰暦をさします。しかし、これだけでは、いつ、どこに何月の閏月をはさんだらよいか決まってこないので、太陽の動きをもとにして、24の「節気」を設け、1カ月に2つの「節気」があるのを原則とし、「節気」が1つしか含まない月ができたときには、そのあとに閏月をおく。これが、おおよその旧暦のルールです。だから、立春などの「節気」は、太陽の動きにもとづいて設けられているのであって、月の満ち欠けにもとづいて設けられているのではありません。その証拠に、立春は太陽暦では毎年2月4日ないしは3日で、ほぼ決まっていますが、旧暦だと1月の何日になるか分かりません。ときには、12月のうちに立春を迎えることもあります。

ちなみに、二十四節気というのは中国河北地方で生まれたものなので、名称と日本の季節とは合いません。また、「立春」というのは、“これまでは寒くなる一方だったが、ここからはもう寒くはならない、これからは季節はだんだん暖かくなっていく”という意味です。だから、「春」が「立つ」といいます。裏を返していえば、「立春」の頃が一番寒いと言うこと。したがって、「立春なのにまだ寒い」というのは、正しくありません。

石川康宏「財界のアメリカへの従属と過度の依存」(『前衛』2004年3月号)を読みました。日本の財界・大企業がどうしてここまでアメリカに追従、従属するのかを、経済を中心にしながら歴史的にふり返っています。この疑問は、日本の対米従属の問題を話すと、必ずといってよいほど出されるものです。「なぜアメリカに従属するのか」を実証しない限り、日本の対米従属を認めないというのではなく、誰の目にも呆れるほどの対米従属ぶりに、「どうして、そこまでアメリカの言いなりにならなきゃいけないのか?」「アメリカ言いなりになって、なにか得することがあるのだろうか?」と素朴に疑問に思ったという感じで、よく質問されます。石川氏の論文は、この点を戦後すぐの財閥解体から財界「復活」へのアメリカの戦略転換から説き起こして、分かりやすく解き明かしています。

そのなかで、アメリカの「対日支配の核心は軍事的な支配にある」が、「すべてが単純に権力的な支配・従属に還元されるものではない」「権力的な従属と、経済的な依存は同じものではない」と指摘し、そのうえで「二国間の権力的な支配・従属の関係が重なるときに初めて、経済的な依存はその支配のための『手段』という位置づけを得る」と述べているのは、権力的な従属と経済的な依存との関係としてツボを押さえた指摘です。さらに、1990年代以降の「構造協議」に関連して、日本の金融市場「明け渡し」劇の背景――円高圧力の緩和とひきかえに、日本の金融市場「明け渡し」をはかった――を論じた部分は、「今日の財界中枢部がなぜこれほどにまで、金融業界の窮境に冷淡でいられるか」の「筋のとおった理由付け」として興味深い。

2004年2月3日(火)

今日は節分。夜になって、天気予報にはなかった雨に降られました。初めは小雨だったので大丈夫と思っていたら、自宅に着く頃には大分本降りになって、かなり濡れてしまいました。昨日は雨だというので傘を持って出かけたら、大して降らないし・・・。天気予報屋さんは、しっかりしてくれ〜

傘と言えば、僕が使っている折り畳みは、超軽量です。三つ折りで、ひろげれば半径50cmありますが、たたむとと22cmほどで重さも180gぐらいしかありません。もちろん計れば携帯電話より重いですが、見た目や持った印象では、携帯電話と同じか、それ以上に軽く感じられます。これぐらいだと、出かけるとき、持っていこうかやめようかと悩まずに、とりあえず鞄に入れていけるのでとても重宝しています。新宿高島屋タイムズ・スクエア東急ハンズ店で購入(値段、忘れた・・・)。もっと軽いものもありましたが、こっちは傘の半径45cmで、さすがに小さすぎました。

帯状ヘルペスは、今日はあまり悪化した様子はありません。薬が効いているのでしょうか? 腫れも少し軽度になったみたいです。水疱になる気配もありません。このまま治まってくれるといいのですが・・・。

2004年2月2日(月)    高校生がんばれ!

首の左側にできた発疹を診てもらいに病院へ行ってきました。やはり「帯状発疹」(帯状ヘルペス)のようです。検査のため採血され、バルトレックスという抗ウィルス剤を処方されました(処方は以下の通り)。

薬剤名 処方量 備考
バルトレックス錠500mg 1回2錠、1日3回 抗ウィルス剤
レチコラン錠500μg 1日1錠、1日3回 ビタミンB12剤(痛み止め)
エルタシン軟膏 1日2回程度塗る 抗生物質の塗り薬(化膿予防)

で、発疹はというと、まだ水疱は出来ていないようですが、鏡に映しても盛り上がっているのが分かるほど大きくなってきました。少し熱っぽい感じもします。水疱が出来ると、ちょうど襟やマフラーとこすれる位置なので、かなり痛いだろうなあ・・・・・(;>_<;)ビェェン

ところで診察を終わって会計へ行くと、診察料3000円。“3割負担で高くなったなあ”と思っていたら、薬の方は、7日分で8500円もかかってしまいました。バルトレックスが高いようです。これまでは、3割負担になったといっても、風邪ぐらいで、「ちょっと高いなあ」と思う程度ですんでいたのですが、今回のように高額な薬剤が必要となると、たちまち診察料と薬代で1万円を超えてしまいます。同じ薬を2度、3度と処方されれば、薬代だけで2万円を超えてしまいます。あらためて3割負担の“痛み”を実感しました。

今日買ったもの。

CDカバー
ゲルギエフ指揮キーロフ管弦楽団&ロッテルダム・フィル/ショスタコービッチ交響曲第7番

最初の2枚は、ゲルギエフの指揮。ショスタコービッチの第7番は、キーロフ歌劇場管弦楽団とロッテルダム・フィルのメンバーとの合同演奏。曲は、ナチス・ドイツの包囲戦に耐え抜いたレニングラード市民のたたかいをテーマとしたものですが、そこに、ソ連崩壊後“略奪されたロシア”といわれた荒廃に文化の分野でたちむかってきたゲルギエフの気持ちが重なっているようで、不思議な新鮮さが感じられました(深読みのし過ぎかも知れませんが)。しかし、せっかくのスケール大きな演奏がCDに収まらなかったみたいで、もったいない感じです。今月、ショスタコービッチの交響曲第5番&第9番のカップリングが出るそうなので、こちらも大いに期待できます。

カーディナー指揮のフォーレ「レクイエム」は、店にあったCDの中で唯一対訳がついていたという消極的な理由で選んだものですが、聴いてみたら非常にいい演奏。フォーレの「レクイエム」は、ヴェルディのものなどと違って、非常に静謐で清明な感じの曲ですが、ガーディナーの演奏はその透明感が非常によく出ていると思います。

三島靖氏の本は、昔『カメラアサヒ』に連載されたもの。木村伊兵衛氏も土門拳氏も有名な写真家で、ひょうひょうとした木村氏の作風にたいして、対象に執着しまくった土門氏の作品は強い迫力を持っています。現在、写真の分野は、何を写すかという点でも、どう写すかという点でも、マンネリ化というか行き詰りというか、なかなか難しい状態にあります。それだけに、あらためて偉大な2人の先人の業績をふり返ってみるのは学ぶところが多いと思いました。

今日の毎日新聞の夕刊に、宮崎の高校3年の女子生徒が「武力にたよらないイラク復興支援を」と、1人で集めた署名5358人分を首相宛に提出したと報道されています。イラク戦争反対での若い世代のエネルギーは、本当に素晴らしいものがあります。「平和的解決をめざし、各国軍隊撤退をよびかけ、これ以上イラク国民を傷つけないよう、一国の首相として、勇気ある行動をしてください」という請願には、何もつけくわえるものはありません。小泉首相は、この声にぜひきちんと答えてほしいと思います。

↑こう書いたら、小泉首相のコメントという記事を見つけました。それによると、小泉首相は「よくイラクの事情を説明して、なかなか国際政治、複雑だなあという点を、先生がもっと生徒に教えるべきですね」と言ったらしい(毎日新聞のネットニュースによる)。イラク問題を「なかなか複雑だなあ」と言ってすませられる総理大臣というのも困ったものです。それに、これは明らかに教育内容への介入発言。小泉首相にしてみたら、いつもの調子で軽くしゃべったのかも知れませんが、政治の教育への介入は絶対に許されません。

電子投票制度の推進を目指す超党派の議員連盟(「電子式投開票システム研究会」、会長・中馬弘毅自民党衆院議員)が、今夏の参院選に向け、国政選挙にも電子投票を導入するための法改正を目指す方針を固めたそうです(読売新聞のインターネットニュースによる)。しかし僕は、電子式投票には反対。紙の投票と違って、電子投票になった場合、たとえばプログラムのミスで集計がうまくいかなかったり、不正に投票結果が操作されたりした場合でも、それが分からないし、検証の仕様もありません。疑問が出されたときに検証不可能な投票制度というものが、どれほど民主主義への信頼を損ねるかは、3年前のアメリカ大統領選挙が実証して見せたばかりです。またすでに、電子投票の機器の操作が分からず、投票者の意図しない候補者へ誤って票を投じてしまったという事例も生じています。選挙の一票というのは、国民代表を選ぶもっとも大事な国民の権利。開票時間が大幅に短縮できるなどという卑小な理由で、この根本的な権利を危うくするなどということは絶対におこなうべきでありません。

2004年2月1日(日)  キンモクセイのお茶

桂花茶ティーバッグ
かすかに黄色く見えるのがキンモクセイの花をお茶にしたもの。

最近、「桂花茶」という中国茶にはまっています。キンモクセイの花を乾燥させたもので、なかなかいい香りがするし、お茶の色がキンモクセイの花の色のように少し橙色っぽくなります。少し前まで駅前のスーパーで、三角ティーバックに入った「桂花茶」を売っていたのですが、なぜか売り場から消えてしまいました。それで仕方なく、インターネットで探して注文してみましたが、こっちはちょっと香りが弱いようです。桂花茶は純粋100%桂花茶で飲むものではなく、普通のお茶の葉とブレンドして香りを楽しむもののようで(詳しいことは全然知らない)、同じ「桂花茶」といって売られていても、何のお茶とブレンドするかなど、かなり違いがあるようです。インターネットで注文したものは普通のお茶とブレンドしてあるのですが、烏龍茶とブレンドしたものもあって、後者の方がおいしいように思います。

どなたか、おいしい桂花茶の情報をお持ちの方、ぜひお教えください。メールをお待ちしています。

MDレコーダーの修理が出来てきたので、久しぶりにMDの整理をしました。MDプレーヤーはCDプレーヤーに比べて小型で便利ですが、いちいちCDからMDに音楽をコピーしないといけないのが不便です。しかも、そのとき面倒がって、タイトルを入力せずラベルも貼らずにいると、あとになってみると、ともかく聴いてみないことには何の曲が録音されているか分からなくなってしまいます。実は、あらためてMDをひっくり返してみると、ラベルのないMDがたくさん出てきました。(^^;) それらをいちいち何の曲が入っているか確認して、タイトルを入力して、ラベルを貼っていきましたが、中には、MDで曲を聴いてもにわかに何の曲か分からないものもあって、そうなるとCDをひっくり返して該当する曲を探す破目になり、結局、なんだかんだと半日ほどかかってしまいました

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