偲ぶ会

今日は、大学院ゼミで指導していただいた恩師・佐々木潤之介先生の「偲ぶ会」が開かれました。会には、歴史研究者や大学関係者、ゼミ生など約300人が集まりました。

最初に、同じ大学の安丸良夫先生による故人の業績についての講演がありました。
安丸先生は、佐々木先生の研究を60年代の「軍役」論から、60年代後半の「豪農・半プロ」論と「世直し状況」論、さらに70年代末からの「『社会史』と社会史」論まで広く見渡した上で、日本の戦後マルクス主義歴史学を見る視角として「社会構造論」と「変革主体論」という2つの軸をすえて、「社会構造論」であった軍役論から出発し、「変革主体なき構造論だ」との批判に答え、「変革主体論」としての「豪農・半プロ」論、「世直し状況」論を展開した、しかしそのなかでも佐々木氏は一貫して「社会構造論」から「変革主体」を位置づけようとしたと指摘し、佐々木先生独特の「人民闘争」史観の成果として、岩波新書『世直し』や「『社会史』と社会史」論などを評価されました。

安丸先生は日本思想史が専門で、研究上の方法論的な立場なども異なりますが、非常に大きな視野で佐々木先生の研究を位置づけ、回りの方も頷きながら聞いておられました。佐々木先生の論文にしばしば登場する「本来なら、あるべき歴史的役割を果たさなかった」云々という叙述がたんなる当為論や道徳的批判ではないと強調されていたことが印象的でした。

そうこうするうちに、40分にもなりなんとする安丸先生の話も終わり、山口啓二先生の発声で献杯。山口先生は、先日亡くなられた網野善彦氏とともに、かつての学生だった二人が先だってしまったことを大変残念がられておりました。
そのあとは、故人を「偲ぶ」というより、歴研大会のあとのレセプション?とでもいう感じで、あっちこっちで佐々木先生の学説をめぐって盛り上がっていました。僕も大学院ゼミの先輩、同輩をはじめ、その頃研究会などで議論をした人たちと久しぶりに会い、昔を思い出しました。

じつは先生は、ずいぶんと前から体調を崩して入院され、近くに住んでいながらずっとお会いしていなかったうえに、1月に亡くなられたときお葬式は近親者でということで、告別式にも行かなかったため、いまだに先生が亡くなられたということがピンと来ません。「偲ぶ会」に出席して、ますます先生の“不在”にたいする非現実感のようなものが強くなってしまいました。

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