今日は、オペラシティ・コンサートホールで、チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団の特別演奏会を聴いてきました。プログラムは以下の通り。
- ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第1、第2組曲
- ショスタコーヴィッチ:交響曲第5番「革命」ニ短調、作品47
前半の「ダフニスとクロエ」(1909?1912年作曲)は、ギリシアの牧歌を題材としたもので、若いダフニスとクロエは惹かれ合っているが、クロエが海賊に誘拐され、危機一髪というところでクロエを哀れんだ神々によって救われ、ダフニスと再会するというお話。しかし、曲はこういう文字通り牧歌的なストーリーとは違って、現代音楽風です。譜はラヴェル自身が編曲した組曲版。
で、後半は、あらためて説明するまでもないショスタコーヴィッチの第5番「革命」です。弦、とくにバイオリンの肌理が粗く、楽曲そのもののもつ不安定な印象とは別なところから不協和音的な音が聞こえたり、ホルンが肝心なところで音程を外したり…、まだまだ不安定なところが気になりましたが、しかし最後は拍手大喝采で、チョン・ミョンフンを5度にわたって呼び出した挙げ句に、いったん楽団がはけかけたところで、もう1度チョン・ミョンフンを舞台に呼び返した程でした。これは、この大曲に果敢に挑戦した東フィルへの激励を込めてということでしょう。
それにしても、「革命」ほど複雑な背景を持ち、あれこれ議論されてきた曲はありません。何年か前に、サントリーホールで聞いたとき(指揮者もオケも忘れてしまいましたが…)は、“この曲もようやくあれこれの議論を離れて、純粋に演奏できるようになったか”と思ったことがありました。しかし今日は、第4楽章に入ったところで、不覚にも涙が浮かんできてしまいました。第3章の鎮魂歌にも聞こえる哀調の楽章の後、一気に爆発する第4楽章の響きの中に、スターリニズムの圧政に対してあくまで人間の未来に希望を持ち続けるショスタコーヴィッチの“決意”(あるいは覚悟)を感じてしまいました。演奏の巧拙を超えて、そういう人間性の根本的なところで感動を呼び起こすところに、この曲の魅力があるように思います。