最近、菱山泉氏(京都大学名誉教授)の入門書的な本を2冊ばかり読みました。
- 『近代経済学の歴史――マーシャルからケインズまで』(講談社学術文庫、1997年。親本は有信堂、1965年)
- 経済学者と現代2『リカード』(日本経済新聞社、1979年)
なんで、こんなものを読んだのかというと、リカードやスラッファの経済理論を勉強してみたいのです。そもそもは、置塩氏の研究から触発されて、リカードを現代に再生したというスラッファの『商品による商品の生産』をずいぶんと前に飼ったのですが、そもそもリカードは『経済学と課税の原理』も読んだことがないので、全然歯が立ちません。そこで、ともかく周辺から探っていこうと、スラッファの代表作『商品による商品の生産』の翻訳者である菱山氏の本を読むところから始めた訳です。
『近代経済学の歴史』は昔読んだ形跡が残っていますが(^_^;)、そのときはたぶん訳も分からなかったんだろうと思います。『リカード』は最近古本屋で手に入れました。どちらも、非常に優しく書かれているんですが、しかし、やっぱり経済学の素養がない僕の手には相当にあまりそうな感じです。ただ、リカードの価値論が、国民所得分配論と関係がありそうなことが見えてきました。
リカードへの関心は、もう1つ、リカード派社会主義への関心というのがあります。ブルジョア経済学のリカードの経済理論を逆転させて社会主義を主張したという彼らの議論というのは、いったいどういうものだったのか、マルクスの社会主義理論をより深くつかむためにも欠かせないテーマではないかと思っています。
過日、友人と社会主義論をめぐって議論になったとき、あらためて分配の問題を考える必要がある指摘されました。僕は、生産過程の問題と切り離して分配の問題だけを考えるというのには賛成しないのですが、生産だけでなく分配の問題もきちんと理論に組み入れて経済の問題を考えるべきだろうとは思っています。その点でも、リカードの経済理論は研究してみる価値があるんじゃないかと思っています。
しかし、さっぱりわからん……。
※なお、菱山氏の研究を評価することと、鹿児島国際大学の3教員「懲戒解雇」問題での学長・理事長としての氏の対応の問題とはまったく別の問題です。
リカード左派という立場が流行した時代がありましたが、
カール・マルクスの剰余価値学説は、リカードの価値論を
批判的に摂取されているといえますね。