中国で、紀元前4000年前の遺跡が発見されたとか…。
夏王朝というと、昔は、「想像上の王朝」って習ったんですけどねえ。
4千年前か、中国「夏王朝」最初の都跡?発見
【北京=佐伯聡士】8日の新華社電(電子版)によると、中国河南省新密市の「新砦遺跡」から、中国の伝説で最古の王朝とされる夏王朝(紀元前21世紀―同16世紀ごろ)の都跡がこのほど発見された。
今年7月には、夏王朝の中心地と見られてきた同省偃師市の「二里頭遺跡」で3600年以上前の古代都市跡が見つかり、「中国最古の都市」とされてきた。
今回発見された都跡は二里頭遺跡よりもさらに300年以上も古い約4000年前から約3900年前に造られたとされることから、夏王朝最初の都跡と見られる。
新砦遺跡の面積は約100万平方メートルで、三重の堀のほか、内部に大型建築物があるのが特徴だ。骨器を加工する作業場や精巧な出土品も多数発見された。
発掘に当たった中国社会科学院考古研究所では「夏王朝初期の帝王、啓の都である可能性が高い」と指摘している。夏王朝は、帝王の舜から禹が位を受け継いで建国したとされている。(読売新聞) – 10月8日21時57分更新
夏王朝最初の都市跡発見か:4000年前に創建
(中国通信=東京)8日発中国新聞社電(電子版)によると、中国が現在進めている「中華文明の起源をさぐるプロジェクトの予備研究」が、河南省新密市にある新砦遺跡は、中国の考古学界が長年にわたりさがし求めていた夏王朝の開祖、夏啓の都である可能性が高いとの考えを示した。
新華社電が伝えたもので、新砦遺跡発掘調査の責任者である中国社会科学院考古研究所副研究員の趙春青氏は次のように話した。夏啓は堯舜禹時代の禅譲制度を廃止し、世襲制度を確立した人物で、ある意味から、夏王朝の真の開祖と言える。「夏啓の居」の初歩的な確定は、早期夏文化を解明するための重要な発見、大きな成果であり、中国の早期国家の起源、つまり中華文明の形成を解明することにとっても重要な意味を持っている。
古文書に記載されている「黄台の丘」の近くにある「夏啓の居」は、夏文明の謎を解明するため多くの考古関係者がさがし求めてきた遺跡である。有名な古文字学者である丁山氏は1920年代に、「夏啓の居」は新鄭市と新密市の間にあり、「黄台の丘」は黄台岡で、黄台岡は「夏啓の居」に近いとの学説を発表していた。
第10次5カ年計画(2001?05年)の重点科学技術難関攻略プロジェクト「中華文明の起源をさぐるプロジェクトの予備研究」がスタートしてから、考古関係者は夏代早期の文明をさぐる的を新砦遺跡にしぼり、2年に及ぶ発掘調査を行い、大きな成果を収めた。新砦遺跡は三重の堀と大型の建築物がある、面積約100万平方メートルの夏代早期の大型の都市跡である。考古関係者は遺跡の内部で宗廟的性格を備えた大型の建築物を発見したほか、骨器を加工する作業場も発見した。精巧な遺物も数多く出土しており、新砦遺跡が都市跡であることを物語っている。
炭素14年代測定法によると、新砦遺跡が創建されたのは紀元前2000年から同1900年の間で、夏王朝が建国された年代を紀元前2070年と考えても、また紀元前2000年前後と考えても、夏啓が新砦を創建した可能性は排除できない。
趙副研究員は次のように話した。夏代早期の都市跡には、防御的機能を備えた三重の堀があった。この重大な発見は夏文化の遺構に城壁がなかった空白を埋めるものである。夏文化早期の集落の形態を再認識し、夏文化の上限を確定し、夏文明の誕生をさぐる一連の重大な学術問題にとって、重要な意味を持っている。
夏啓が出生・活動した場所については、歴史書にも多くの記載が残されており、考古学界の先達も詳しい考証を行っている。専門家は次のような考えを示した。新砦遺跡の位置は「水経注」に記載されている「夏啓の居」のある場所に完全に一致している。都市創建の年代は夏代早期で、遺物の規格は王都であることを物語っている。
専門家らは遺跡の年代と歴史書の記載に基づき、この都市遺跡が「黄台の丘」の近くにある「夏啓の居」、すなわち夏啓の都である可能性が高いとしている。