一昨日、朝の電車の中で『東アジア共同体』を読み終えてしまったので、次は、岩波書店のポストモダン・ブックスの新刊『ハイデガーとナチス』(ジェフ・コリンズ著)を読み始めました。といっても本文は80ページだけの薄い本なので、その日の帰りの電車の中だけで読み終わってしまいましたが。(^^;)
ハイデガーとナチス(あるいはナチズム)については、これまでもいろんな論者がたくさん論じていて、重要なテーマだと思うのですが、僕のような素人には、何が議論されているのか、とてもじゃないですが全体が見渡せない状態になっています。本書は、それを実に手際よくふり返りつつ、なぜこの問題がそんなに重要なのかを分かりやすく明らかにしています。
著者の主張をまとめると、
- ハイデガーのナチスへの関与というのは、資料的には動かしがたい事実である。ナチスへの関与は1933?34年のごく短い時期だけだったとか、ハイデガーは政治的にナイーブだったからだという説明は成り立たない。
- また、ハイデガーのナチスへの関与は、彼の思想とは無関係だと言って片づけられるような問題ではない。著者は、それを、ハイデガーの思想がナチズムにたいする思想解除の役割を果たしたという側面と、彼自身が彼の思想の「存在」という用語をナチスの「民族精神」と言い換えていたという事実から指摘している。
- だからといって、ハイデガー=ナチスとして片づけてしまえばすむ、というような問題でもない。
ということで、ではどうしたらよいのか? それは読者自身が考えるべき問題だというのが、本書の結論です。いずれにせよ、リチャード・ウォーリン(『存在の政治』)、ヴィクトル・ファリアス(『ハイデガーとナチズム』)などの議論で何が問題になったか、ハーバーマースやデリダが何を論じてきたか、などがよく分かります。
【書誌データ】著者:ジェフ・コリンズ/訳者:大田原真澄/出版社:岩波書店/ISBN:4-00-027079-6/定価:本体1500円/発行:2004年11月
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