元慰安婦の名前を記録した日本の軍属名簿が見つかる

日本軍の元従軍慰安婦・金福童(キム・ボクドン)さん(79)の名前を記録した日本軍の軍人軍属名簿が発見されました。名簿は、1947年9月に作製された「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿 第4課南方班」。金さんが南方軍第10陸軍病院の軍属の中で最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたとされています。

元日本軍慰安婦・金福童さんの実名記録が発見(朝鮮日報)

元日本軍慰安婦・金福童さんの実名記録が発見

 生存する日本軍従軍慰安婦被害者の実名記録が初めて発見された。
 韓国挺身隊研究所のカン・ジョンスク研究員は国家記録院の軍人軍属資料を調査途中、従軍慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(79)の実名記録を発見したと11日、明らかにした。
 名簿に記載されている金さんの本籍や生年月日などの内容が挺身隊研究所が1997年に発行した『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たちの証言2集』に収録された金さんの証言と一致するという。
 今回発見された軍属名簿は、1947年9月に作成されたもので、「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」と書かれている。
 この記録によれば、1945年8月31日、当時19歳だった金さんが南方軍第10陸軍病院の軍属の中で最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたとされている。金さんは97年の「証言集」で「15歳で連れて行かれ中国の広東、マレーシア、インドネシア、シンガポールで日本軍の慰安婦として生活した」と明らかにしている。
 カン研究員は「戦争が終わった時点で朝鮮人女性を看護婦として雇ったことは日本軍の慰安婦制度を隠蔽、または最後まで朝鮮の女性労動力を収奪しようとした日帝の意図と解釈することができる」と主張した。
 同研究員はまた「軍属名簿には金さん以外にも299人の朝鮮人女性の名前が残っており、国に慰安婦被害者として登録していない実際の被害女性がかなり多数いるものと見られる」と推定した。
 同研究所のイ・ソンスク所長は「新年に入っただけでもキム・サンヒさん、キム・ブンソンさんが亡くなるなど、日本軍の慰安婦被害女性が相次いでこの世を去っており、この資料の持つ価値はそれだけに大きい」と話した。
 韓国政府に登録されている日本軍の慰安婦被害女性は合計215人で、これまでに88人が亡くなった。
 韓国挺身隊問題対策協議会などが日本軍慰安婦に対する日本政府の公式謝罪と賠償を要求している中、この記録は日本軍の慰安婦制度を否認する日本右翼の主張を反駁し、日本政府の責任と賠償の義務を問う重要な根拠になると見られる。
キム・ユンドク記者 sion@chosun.com [朝鮮日報 2005/01/11 20:23]

元慰安婦の名前を記録した日本の軍属名簿が見つかる」への2件のフィードバック

  1. 慰安婦と挺身隊を間違えているのですね、挺身隊なら名簿は残ると思います。
    それにしても当時19歳の人が15歳でマレーシヤ、シンガポールと言われても1941年には挺身隊は編成されて居ないでしょう、又シンガポール、マレーシヤは未だ陥落していないのではないでしょうか?
    1945年迄15歳から19歳まで慰安婦をしていたと言う事なのでしょうか?良く判らんのですが。

  2. >猪さん
    韓国では、慰安婦問題は、一般に挺身隊問題と言われています。なぜそういわれるのかということのなかには、誤解もあるのかも知れませんが、それ以上に、犠牲となった女性を「慰安婦」と呼ぶのを憚るという発想があるのだろうと思います。また、挺身隊だといって連れ出されて慰安婦にされたと主張する人もいます。もちろん、そのことは、挺身隊の人すべてが慰安婦とされたかどうかという問題とは別問題です。

    いずれにしても、このニュースは、韓国で従軍慰安婦されたと訴えている女性が、1945年の時点で、日本軍の軍属だったことが明らかになった、要するに、彼女の身柄は日本軍の管理下にあったということが日本軍の資料によって裏付けられたというところに意味があるのだと思います。

    追記:
    どうも、僕のこのコメントを含めて、従軍慰安婦と言われているが、本当は「女子挺身隊だ」、挺身隊のことを間違えて従軍慰安婦だと言っているのだというふうに受け取られいてるようですが、僕がコメントしたのは、<1>従軍慰安婦だった人たちが、「慰安婦である」と名乗ることを憚って、「女子挺身隊」という名称を使っていること、<2>それ以外に、純粋に挺身隊として強制連行された人もいること、の2点であって、従軍慰安婦は誤解だったなどと主張している訳ではありませんので、誤解のないように。

    また、猪さんが「1941年には挺身隊は編成されて居ないでしょう、又シンガポール、マレーシヤは未だ陥落していないのではないでしょうか」という発言について、さらに一言。確かに挺身隊の結成は1943年ですが、最初どういう名目で連れ出されたかは分からないが、途中で「挺身隊だ」ということにされたことも十分考えられますので、それだけで、金福童さんの発言を否定することはできないと思います。また、彼女は最初、広東に連れて行かれたと言っており、1941年からシンガポールやマレーシアに連れて行かれたと発言している訳ではありません。金福童さんの発言が、この記事だけからはよく分からないのは仕方のないこと。それは、金福童さんの証言そのものをご確認ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください