阪神大震災から10年ということで、テレビでも新聞でもさまざまに取り上げられています。私は、あの日、朝7時のニュースで目を覚ましてから昼過ぎに実家と電話が通じるまでの、胸のつぶれるような感覚をいまでも忘れることができません。
目覚まし代わりのラジオのニュースの、神戸で大きな地震があったというニュースで目を覚まし、すぐにテレビをつけました。そのときは、大阪からの情報がようやく入り始めたばかりといった頃で、神戸の実情は分かりませんでした。そのうち、「阪神高速道路が倒れている」というニュースが入ってきて、アナウンサーが「これは、高速道路からすべりおちたタクシーの運転手さんが電話してきたということです」と言いながら、“そんなことがあるんだろうか”という顔つきでニュースを読み上げていたのをいまでも覚えています。
実家に何度も電話をかけましたが、まったく繋がりませんでした。テレビでは、「輻輳しますから、電話はひかえてください」と言っていましたが、そのときは“親が無事かどうかも分からないのに、そんなことは知るもんか”というのが正直な気持ちでした。
アパートにいても何も分からないので、そのままとりあえず出勤しました。職場についてからも実家に何度も電話しました。その横で、みんなはテレビを見て、「これはひどいねえ」などと言っていましたが、そのときの僕には、そうした言葉さえ恨めしく聞こえました。結局、昼過ぎに電話が通じて、「家はなんともないよ」と言われ拍子抜けしましたが、それまでの締め付けられるような気持ちは、いまでも忘れることができません。
僕も、それまで、大きな地震災害などをテレビで見たときには、「大変だなあ」「かわいそうに」と思っていましたが、それは、遠くのどこか知らない街で起こった大変な災害でしかありませんでした。自分の知っている街がつぶれ、燃えているのを見るというのは、それとは全く違う出来事だということをつくづく実感しました。
その他にも、神戸の震災では忘れられないことがたくさんあります。
震災後1週間してから現地の応援に戻りました。実家が無事だったので、現地で中古の自転車を手に入れて、毎日、実家から、その当時JRが西から復旧していた須磨駅まで電車で行き、そこから自転車で神戸に通いました。須磨駅前の国道2号線は歩道がガレキで埋まり、車道の端をたくさんの人が歩き、その隣を僕を含め自転車で被災地に向かう人たちが走り、さらにその内側をバイクが、そして真ん中を自動車が、被災地を目指して東へ、東へと、ほんとうにたくさんの人が通っていました。お年寄りがいたり、子どもがいたり、ヤンキーの兄ちゃんがいたり、ほんとにいろんな人が食料や水などの荷物を担いで、いっせいに被災地を目指していきました。それは、“ああ、こうやって被災地はささえられてるんだな”と思うような光景でした。
地震後10日ほどたって水道が復旧したとき、みんなの顔がホッと緩んだことも忘れられません。それまでトイレが流せないので、みんな口には出さないけれど我慢していたのです(僕もそう)。それが、今日からは自由にトイレに行ける! そう思うだけで、本当に気持ちが緩みました。
それから、現地から東京に戻ってきてからのことですが、ホームで電車を待っていると普通に電車が入ってくるのが、しばらくの間、不思議でしかたなかったことも覚えています。被災地の中では、市役所まで行って帰ってくるだけで1日がかりでした。どこへ行くにも自転車か歩くか、ともかく時間がかかりました。しかし、梅田まで出れば、電車も地下鉄もバスも動いているし、地下街をミニスカ、ハイヒールのお姉ちゃんが闊歩している。その“落差”も忘れられない体験でした。
あれから10年。復興と追悼という言葉では表せない現実があると思います。復興と称して、高層ビルが建ち並んでいく神戸の街は、昔に比べると、冷たく感じられます。
あらためて、震災で亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、被災されたすべての方へにお見舞いの言葉をおくります。
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初めまして、Tandoと申します。
トラックバックありがとうございました。
>復興と称して、高層ビルが建ち並んでいく神戸の街は、昔に比べると、冷たく感じられます。
とのお言葉が心に残りました。
域外に住む私としては、かつて以上の繁栄を取り戻して欲しい、と願う一方で、復興の有様には何所か無機的な印象を禁じ得ない部分も、胸中にはありました。
地元出身の方(…でよろしいのでしょうか)も、そう感じておられるのですね。
始めまして。TBありがとうございます。
当時のことは今でもありありと記憶に残っています。
書かれておられるように 梅田に出たらぜんぜん普段と変わらない風景が当たり前のようにあって
とても不思議な感覚にとらわれました。
被災地のみなさんの受けた傷はとてつもなく大きなものですね。
ダンナの実家が神戸市にあるのでよく出向きますが
繁華街だけではなくて 人々が住む町も活気付いて欲しいと思いますね。
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おはようございます!
初めまして「ブログ難破船」のだいっけと申します、
TBありがとうございました。
震災当日、
隣の大阪ですら普通の日常で、すごく違和感がありました。
今も各地で自然災害が多発していますが、防災や、助け合いの意識はしっかり持っておこうと思います。
今後も、このような災害が起こらないように願うばかりです。
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初めまして、よろしくお願いします。
TB有難うございました。
あの時は、水が全然なかったですよね。
水道管が破裂したとこから汲んだりしているのを、
テレビで見てました。
それに火事が発生しても水が無くて消せないという苛立ちも
ありましたね。
やはり水は人間にとって大切な物だと思いました。
都市化していくと、人とのつながりが薄れていきそうですよね。
そうなると意味ないですね・・・・・
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ゴリサです。早速お返事ありがとうございました^^
また、ちょくちょく覗かせていただきます!
ウチにもいらしてくださいんね☆
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TBとコメント、ありがとうございます。
また覗かせていただきます。
よろしくですー。(^o^)丿
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