学習会の感想

過日、若者相手に「『科学の目』と古典学習」をテーマに喋ったものの感想文をどっさりといただきました。準備不足で、レジュメの「一」の(一)だけで1時間もかかってしまうというとんでもない講義だったのに、「よかった」「学習の意義が分かった」「古典を読んでみようと思った」などなどの感想をいただき、うれしいやら申し訳ないやらです。

共通していたのは、学習の大切さということで、私たちの活動にとって「正確な理論」が大切だということがよく分かったという感想が多かったこと。特段特別なことを話したわけではないのですが、最近、この手の話が珍しいのか、いろいろと感想が書かれていました。

また、独習と集団学習の結合、ということを強調したけれども、それにもいろいろと反応がありました。このごろは、学習=独習(個人学習)というイメージが定着?してしまっているのか、あらためて集団学習の重要性とか、どうやって集団学習をすすめたらいいかとか、そういうことも説明するし、解明もしなければいけないと思いました。これは、その場の質問でもあったのだけれども、仕事が忙しくて疲れて帰ってくる、そういう青年に、古典の集団学習会といってもなかなかピンとこないし、続かない、というときに、どうやったら学習会がうまく行くか、簡単にアドバイスできないけれども、そういう疑問や要望に応えなていかないといといけないなとあらためて思いました。

ノートの取り方については、レーニンの「哲学ノート」やマルクスの「資本論草稿」のような立派なノートをつくろうと思わずに、日記のようでいいから、今日は、ここからここまで読んだ、この点が面白かった、ここが分からなかった、そういうことを書いておくだけでいい、と紹介したら、「今日からがんばります」という感想がいくつもありました。昔と違って、本を手元に置いておくのは容易なのだから、中身を丸々書き写すことに精力をとられては損。気取らず、気張らず、しかし、自分の学習記録はしっかり残す。これが大事ではないかと思っています。

そういう意味では、継続して学習会をおこなっていくときには、毎回、「今日は、こういうことを学習した。こういう質問が出され、こういうことを議論した。この点は、今後の課題に残った」というような簡単なまとめをつくって、次回の学習会のときに配るようにしたらいいと思うのですが、どうでしょうかねえ。担当は、参加者が交替でやったらいいと思いますが、いまはパソコンやメールが使えるのだから、A4で1ページ分ぐらいでいいと思います。学習会を欠席した人に届ければ、励みにもなるだろうし、後々学習会の記録として役に立つのは間違いありません。

もう1つは、少々オーバーかなと思ったけれども、「いま、科学的社会主義の理論が音を立てて発展している」といって、この間の『資本論』を中心にした理論的探究の“さわり”を駆け足で紹介したのですが、ここへもいろんな反応やら感想やらがあって、興味深く読みました。多くは、この2、3年ぐらいに勉強を始めた若者だから、最近の研究を興味深く読んではいても、科学的社会主義の理論史のなかで、どれほど重要な意味をもつのか、どれぐらい画期的な研究なのか、というのは、なかなか分からないのは当然。そこを、いろんな角度から、多彩に紹介していくのが大事だと思いました。

それにしても、かなりの人数が、僕が「楽しそうに講義をする」と書いていたけれども、そんなにうれしそうに喋ってたのかなぁ…? まだまだ未熟ということか。反省、反省。(^_^;)

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