見に行かないといけないもの

しばらくサボっていた美術館通いですが、いろいろ見ないといけないものが溜まってしまいました。忙しい…

マルセル・デュシャン

ジョン・ベラミー・フォスター『マルクスのエコロジー』

マルクスのエコャ??ー表紙

ジョン・ベラミー・フォスター氏は、『独占資本主義の理論』(鶴田満彦監訳、広樹社、1988年)などの著書で知られるアメリカの経済学者。現在はオレゴン大学教授(社会学)。

で、この本は、最初は「マルクスとエコロジー」という題名で書かれる予定だったが、執筆の過程で「マルクスのエコロジー」に変わったという。著者によれば、マルクスに対するエコロジーの側からの批判は、次のような6点にかかわっている。

  1. マルクスのエコロジーにかんする記述は「啓発的な余談」であって、マルクスの著作本体とは体系的に関連づけられていない。
  2. マルクスのエコロジーにかんする洞察は、もっぱら初期の「疎外」論から生まれたもので、後期の著作にはエコロジーにかんする洞察は見られない。
  3. マルクスは、結局、自然の搾取という問題へのとりくみに失敗し、それを価値論に取り込むことを怠った。
  4. マルクスは、科学の発展と社会変革がエコロジー的限界の問題を解決し、未来社会ではエコロジー的問題は考える必要がないと考えた。
  5. マルクスは、科学の問題やテクノロジーの環境への影響に関心を持たなかった。
  6. マルクスは、人間中心主義である。

著者は、こうした見方が、マルクスが批判した相手の議論であって、マルクスのものではないことを明らかにしていくのだが、その詳細は省略せざるを得ない。

面白いのは、こうした問題とかかわって、著者が、自分のマルクス主義理解を問題にしていること。「私のエコロジー的唯物論への道は、長年学んできたマルクス主義によって遮られていた」(まえがき)と書いて、次のように指摘している。

私の哲学的基礎はヘーゲルと、ポジティヴィズム〔実証主義〕的マルクス主義に対するヘーゲル主義的マルクス主義者の反乱に置かれていた。それは1920年代にルカーチ、コルシュ、グラムシによって始められ、フランクフルト学派、ニュー・レフトへとひきつがれたものであった。……そこで強調されたのは、マルクスの実践概念に根ざした実践的唯物論であり、……このような理論の中には、自然や、自然・物質科学の問題へのマルクス主義的アプローチが入り込む余地はないように思われたのである。……私が自分の一部としたルカーチやグラムシの理論的遺産は、弁証法的方法を自然界に適用することの可能性を否定した。それは基本的に領域全体をポジティヴィズムの手に譲り渡すことになると考えたのである。……私の唯物論は、完全に実践的な、政治経済学的なものであり、哲学的にはヘーゲルの観念論とフォイエルバッハによるその唯物論的転倒から知識を得たものだったが、哲学と科学内部における唯物論のより長い歴史については無知だった。(本書、9?10ページ)

著者はまた、「唯物論を実践的なものにする際に、マルクスは自然の唯物論的把握への、つまり存在論的および認識論的カテゴリーとしての唯物論への一般的な関わりをけっして放棄しなかったということである」とも指摘している(同、23ページ)。
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目の眩むような思い ミシェル・コルボ/マタイ受難曲

ミシェル・コルボ日本公演チラシ

今日は、ミシェル・コルボ指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルの日本公演を聴きに行ってきました。ということで、一昨日についで、またまたサントリーへ。今日は、LB1の最前列ということで、舞台に向かって左手奥の席で、合唱団の斜め後ろから舞台を眺めるかっこうになりました。

演目は、バッハ:マタイ受難曲。午後6時開演で終演は9時を回る一大プログラムでした。

特徴的だったのは、第1部につづけて第2部に入り、第40曲のコーラスが終わったところで、休憩をとったこと。いちおう会場にその旨の張り紙があったんですが、お客さんにはほとんど伝わってなかったんでしょうね。第40曲が終わってもなかなか拍手が起こらず、コルボ氏が指揮台を降りて舞台袖に戻り始めて、ようやく拍手がわき起こるという次第になりました。
第40曲のところでというと、要するに、イエスが捕まってペテロが3度「あんな人は知らない」と言った直後に鶏が鳴く、それで「鶏が鳴く前に、あたなは3度私を知らないと言うだろう」というイエスの予言が成就したことを知り、ペテロが「私を哀れんでください」と泣いた後のところまでです。第41曲からあとは、いわゆる「処刑」の場面になるので、ここで休憩をはさんだというのは、ストーリー上は十分納得できるものです。

コルボ氏は明後日で71歳、一昨年大病をされたということでしたが、音の強弱、大小がはっきりしていて(それはコーラスも同じ)、メリハリを効かせた指揮で、全体としての演奏の流れが非常に分かりやすいと思いました。ソプラノの谷村由美子さんは、少し内にこもった(というと印象が悪いのかな)、丸みのあって、音が低くなるとちょっと聞こえにくくなったところはありますが、温かい声を響かせていらっしゃいました。カウンター・テナーのカルロス・メナも、高音で透き通った声を響かせ、なかなか印象的でした。
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