中山成彬文部科学相が、4月から、性教育の全国実態調査に乗り出す考えを表明。これは、4日の参院予算委員会で自民党の山谷えり子議員の質問を受けたもの。
中山文科相:性教育全国調査、4月から実施を表明(毎日新聞)
小学校の各学年でどのように教えるべきかということはさまざま議論もあるだろうけれど、山谷議員の質問は、特定の事例を取り上げて、バッシングするだけのもの。そんな質問に答えて調査をやれば、「実態調査」というより、現場を萎縮させるだけでしょう。やりようによっては、国による教育内容への介入になります。
先日の厚生労働省の調査でも、性教育の必要性については、多くの人が認めています。真剣で冷静な議論を期待したいのですが。
中山文科相:性教育全国調査、4月から実施を表明
中山成彬文部科学相は11日の閣議後会見で、4月から性教育の全国実態調査に乗り出す考えを正式に表明した。4日の参院予算委員会で山谷えり子委員(自民)の質問を受け、検討する意向を示唆していた。
性教育の実践事例集の作成・配布とともに、都道府県教育委員会からのヒアリングも行い、中央教育審議会義務教育特別部会での議論に反映させる意向だ。また、今月中旬?5月末、性教育を含めた教育指導の在り方や学校の安全、問題行動への対応などをめぐる疑問や意見、優れた取り組みを募集するため、文科省のホームページ上に専用サイト「教育御意見箱(仮称)」を開設する。【千代崎聖史】[毎日新聞 2005年3月11日 10時34分]
この調査にどれほど意味があるのか疑問です。
ただお金を使うだけで終わるかもしれません。
なぜなら学校の性教育現場に実際に問題があるとしても、現在街中に氾濫する性情報のほうが質量共に圧倒的だからです。こうした状況下で子どもたちに「自分の体を守る」ことを教えるなら、性教育の内容が具体的になることは当然必要なことです。氾濫する情報に接するとき、子どもたちには基本的な知識や一定のリテラシー能力がなければいけないのですから。
養護学校での性教育にはより具体性が求められると言うことも、こうした議論の中でなかなか言われていないと思います。知的障がいを持つ生徒たちにとって、言葉の上での観念的な説明では理解がなかなか進みません。彼らのハンディキャップにつけこんだ性犯罪が存在することを知らない人が多すぎます。
「自慰行為の仕方を教えた」「コンドームを配った」などということだけに過剰に反応して、具体的、実践的性教育を問題視するのは、かえって巷に氾濫する偏り、時には誤った性情報を子どもたちに信じ込ませることになりかねません。
避妊具だってなにも「これで性交しなさい」などと言って配布しているわけではないのですから、性教育はただ表層を捉えるのではなく授業内容を吟味した上で評価すべきだと思います。
>D.D.さん、コメントありがとうございます。
問題になった吹田市の性教育の副読本ですが、実は、18年も前から使われていて、基本的な内容はとくに変わってないので、地元では「何で、いまさら…」の声もあるそうです。
テレビでやってましたが、市民の6割は、こうした授業内容に「良かった」と回答していました。つまり、D.D.さんが書かれているように、世間には間違ったり歪んだりした「情報」が溢れてるわけですから、それに振り回されるようになる前にきちんと勉強できて良かったと、親も子どもも思っているんじゃないでしょうか。
全国調査で、お金のムダづかいだけで終わってくれれば、まだマシかも知れません。むしろ、これまでいろいろ努力して築いてきた「性教育」のいろんな教育実践が、あれこれヤリ玉に挙げられて、台無しにされてしまうんじゃないか。僕はそれを心配しています。
>GAKUさん
レスをいただきありがとうござます。遅れた返信になってしまって、申し訳ありません。
18年間もですか…。それは知りませんでした。本当に、「なんで今さら」ですね。
知人が教師をしている関係から、教育現場の話を聞く機会が比較的多いのですが、今教育ほど現場の声が無視されている分野は無いと思います。
「詰め込み」にしても「ゆとり」にしても、現場はいつも反対の声を上げてきました。しかし文部省や文部科学省のごり押しによって強行され、そのたびに教室は荒廃し、その責任は教師たちが負わされてきました。知人がいるから、と言われればそれまでなのでしょうが、わたしは現在の、何か問題があればすべて教師や学校の責任となる論理には反対です。
現場の教師たちの多くは半日以上を学校で過ごしながら、さまざまな工夫を凝らして、心に病を抱えながらも、子どもたちと向き合っています。そうした努力も行政の身勝手な要求や、メディアが無責任に流す歪んだイメージ、そしてそれに感化された人たちの更に無責任な糾弾によって一瞬で無に帰してしまいます。今回の性教育弾圧がまさにその典型だと思います。
努力しているんだから、という理由だけで現場の教師すべてを免罪する気はありません。現在の教育現場に足りないものもあるかもしれません。でも教師たちだけに責任のすべてを被せておいて、それで本当に充実した教育が出来るのでしょうか。
子どもたちを育てるためには、教師だけではなく、保護者、教育行政、地域の人々、そしてメディアにあるすべての大人が連帯して取り組むのが筋のはずです。具体的には教師を増員した上で少人数学級制を導入して、子ども一人一人に対するきめ細かな対応を、これらの人々の間での連絡を密にしながらやっていくしかないと思うのです。
教育にはお金がかかります。政府は教育予算を削っておいて、子どもには健やかに育って欲しい、なんてそんな都合のいい言い草が通用して良いわけがありません。