その後も、筑摩版『資本論』をたらたらと読んでいます。また、いろいろ疑問な箇所を見つけました。
- 上246ページ終わりから2行目「資本家のサナギ」
- 原語はKapitalistenraupe。Raupeは辞書をひく限り、「幼虫、いも虫、毛虫」でサナギの意味はありません。サナギはPuppe。
- 上251ページ終わりから5行目「社会的生産の古い諸形態」
- これはFormationenだから「諸構成体」の間違い。Formと勘違いしたんでしょうか?
- 俗流経済学と通俗経済学
- 鈴木直氏の担当部分は、すべて「俗流経済学」になっていますが、今村仁司氏・三島憲一氏が翻訳を担当した部分は、なぜか「通俗経済学」と訳されています。どっちでもいいんですが、訳の統一ができてません。(^^;)
- Stoffwechsel
- 「物質代謝」というような意味の単語ですが、これも訳の不統一です。鈴木氏担当部分は全部「新陳代謝」という訳になっているのですが、今村氏の担当部分では「素材のやりとり」(上67ページ3行目)、「物質変換」(上130ページ注38の4行目、6行目)となっています。なお、三島氏担当部分には、この言葉は出てこないみたいです。
それから、前に書き込んだときに指摘した強調(ゴチック)がいっぱい出てくる件ですが…
新MEGAでぱらぱらと見くらべた限りでは、初版にはいっぱい強調(イタリック)がありますが、第2版で、そのほとんどが消えています(第3版、第4版も同じ)。したがって、「この現行版〔Werke版〕には、いっさいの強調(隔字体、イタリック)がない」というのは、Werke版に限らないと考えられます。
そうなると、逆に、「この翻訳では文章のリズムとアクセントをつけるために、古い版にあった強調(この翻訳ではゴシック体で示す)を付加する」とあるのが、一体何を基準にしたのか、「古い版」とは何を指しているのか、という問題が生じます。筑摩版の強調の一部は初版の強調と一致していると思われますが、初版とそれ以降では相当に書き直った部分もあります。そうした部分は、何が基準になったのでしょうか。1953年刊普及版を参照したとありますが、では1953年普及版は何を基準にしたのかということになる訳です。