1956年10月、日ソ共同宣言の最終交渉のメモが明らかになりました。メモは、日本側通訳・野口芳雄氏によるもので、河野一郎農相の元秘書・石川達男氏が保管していた。
野口芳雄氏のメモ要旨 日ソ共同宣言
1956年10月の日ソ共同宣言交渉の日本側通訳、故野口芳雄氏のメモ要旨は次の通り。(敬称略)
【15日 河野一郎農相・イシコフ漁業相会談】
イシコフ 歯舞、色丹の問題を協定(共同宣言)中に決めれば、将来平和条約を締結する場合、領土問題は再び起こさぬと解釈してもよろしいでしょうか。
河野 米国が沖縄を日本に返す時でなければ、国後、択捉は日本としては問題にしないつもりだ。従って米国が沖縄も小笠原も日本に返すという時は、国後、択捉のことを考えてほしいと思っている。【16日 河野、フルシチョフ・ソ連共産党第一書記会談】
フルシチョフ われわれは取引をしているのではない。これ以上譲歩はしない。歯舞・色丹を譲ることに同意すると書いてもいい。しかしその場合は、将来平和条約を締結する時「領土問題うんぬん」ということは許されない。歯舞、色丹譲渡で領土問題は一切解決と見なすからである。私の言っていることをお分かりでしょうか。
河野 米国が沖縄を返す時は国後・択捉も返していただきたい。ソ連は広大な領土を持っておられるのだから。
フルシチョフ 日本人はなんて頑固なんだろう。
河野 国後・択捉はこれからの発展上、そう必要だとは思っていない。実はこれから米国に対し、沖縄返還について大いに運動をしたいので、そのためにも返してほしいのだ。
フルシチョフ 歯舞・色丹も大して価値はない。国後・択捉も同様だ。ソ連側としては持っているだけで損になる。問題はプレステージ(威信)とストラテジー(戦略)にある。こんな島を引き渡せば、それだけ予算が助かるわけだ。
河野 米国から沖縄などを吐き出させるためにも、国後・択捉を返していただいて運動を有利にしたい。
フルシチョフ これは最終的なものだ。
河野 よく分かるが国民的な感情、世論も考慮されたい。東京へこんな案を相談したらわれわれは帰れない。
フルシチョフ われわれの立場も考えてほしい。あなたたちはさっさと帰る。われわれはクレムリンから追い出されるということに…。
河野 われわれだって羽田で飛行機から降りられませんよ。
フルシチョフ われわれだって、何だ政府は日本人になったのかと国民からたたかれますよ。【17日 河野・フルシチョフ会談】
河野 自民党内には鳩山(一郎首相)、河野がソ連を訪れることには絶対反対の分子があり、この連中は協定に調印するからと心配し、訪ソを手段を尽くして妨害した。
フルシチョフ あなたと2人だけの紳士協定としてこう決めたい。すなわち共同宣言中には、われわれは平和条約が署名され、米国が沖縄など日本の領土を返す時(歯舞、色丹を引き渡す)としておいて、実際は平和条約ができた時に日本に渡すこととしたい。このことは書き込まないで2人の紳士協定としたい。必ず守るから。【17日 鳩山首相・ブルガーニン首相会談】
ブルガーニン まだ申し上げていなかった事情を申し上げたい。世論のことです。歯舞・色丹を譲ることを入れるのは大変な問題でした。本当に率直に申し上げますが、政府が決意するのは大変だったのです。
鳩山 くどいようだが、平和条約を結べば歯舞・色丹は返してくださるのですね。
ブルガーニン そうです。【10月18日 河野・フルシチョフ会談】
フルシチョフ (共同宣言の日本側案を読んで)これは受諾できると思う。ただ、前段最後の「領土問題を含む」を削除したい。そうしないと歯舞・色丹の他にさらに何か別の領土問題があるようにとられるからだ。
河野 これは昨夜あなたの方からいただいた案文をそのまま採用した。そして本国の承認を取り付けたものだから、直されると困る。
フルシチョフ こうした方がより良くなる。昨日の案文よりは今日の方が良い。より正しい。そういうことはあり得る。
河野 電報を打ち閣議決定までしたので、わが方の案を入れてほしい。
フルシチョフ これで決めて乾杯することにしましょう。
河野 いや、これではまた東京へ聞かねばならない。
フルシチョフ われわれは日本が5行加えてきたのに半行だけの譲歩を求めているのだ。日ソ関係が円満に運ばれるために解釈上何の疑義もないようにしておきたい。日本案では2島のほかに何かあるようにも取られ、日本外務省の、ソ連の外務省もだが、へ理屈屋が何のかんのと問題にしたがる恐れがある。
河野 今更直すことが困るのだ。
フルシチョフ 5行と言ったが8行だ。こちらは8行譲り、日本は半行譲るのだ。
河野 これでは東京へ帰ってしかられますよ。
フルシチョフ 初めはののしっても後でほめられるでしょう。
[中国新聞 First upload: 3月14日18時53分]