解放後に伊「イル・マニフェスト」紙に掲載されたジュリアーナ・ズグレーナ記者の手記です。この事件後、イタリア政府はイラク派遣軍隊の段階的撤退を表明し、すでに事態は次の段階に向けて動き始めていますが、だからといって、この銃撃の原因があいまいにされてよいと言うことではありません。
この事件の後には、イラク軍副司令官が米軍によって射殺されるという事件も起こりました。はたして米軍はイラクで何をやっているんでしょう?
速報478号 「私の真実」解放後に米軍に銃撃された記者の手記 050316
米軍に銃撃された前後のくだりは、以下の通り。
車はガード下を走り続けた。水溜りを避けようとしてスリップしそうになりながら。みんなバカみたいに笑った。なんという解放感だ。ここまできて、バグダッドの泥道でスリップした上に、交通事故でも起こしたら、そんな話、かっこ悪くて誰にも話せない。ニコーラ・カリーパリは私の横に座りなおした。運転手は二度ほど、空港に向かう途中だと大使館とイタリアに報告していた。米軍がそこらあたりを厳重警備していたのは明らかだった。空港から1キロ足らずにさしかかったころ、ああ・・火花しか思い出せない。火と銃弾の雨を浴びせかけられ、その1、2分前までの楽しそうな声は押し殺されてしまった。
運転手がイタリア人だと怒鳴り始めた。「イタリア人だ、こっちはイタリア人だ」ニコーラ・カリーパリは私を守ろうと私に覆いかぶさってきた。そしてすぐさま、そう、すぐさま息を引きとったのがわかった。私の上で。私も体に痛みが走ったはずなのだが、わけがわからなかった。とその瞬間、拉致犯たちの言っていたことが稲妻のように頭によみがえった。彼らは私を解放することに最後までとことん責任を持つと約束していたが、気をつけるようにとも忠告していたのだ。「あんたが帰還することを望まないアメリカ人がいるから」と。あの時は、それを偏見に満ちた、取るに足らない言い草だと切り捨てていた。ところが今や、そのことばに、何よりも苦い真実の味を感じつつあった。
[TUP-Bulletin 速報478号 「私の真実」解放後に米軍に銃撃された記者の手記 050316より]
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