アジアプレスの記者2人がイラクに

アジアプレスの記者2人が、先月下旬、イラクに入国したそうです。混乱したイラクだからこそ、現地取材が必要なのですが、無事に取材を終え、貴重な成果を上げてくれることを願います。

伝えねば…イラクで大阪のフリー記者2人取材(朝日新聞)

伝えねば…イラクで大阪のフリー記者2人取材

 イラク戦争開戦から20日で2年になる。テロや誘拐事件など混乱が収まらない現地に、先月下旬、大阪の2人のジャーナリストが入った。フリージャーナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」に所属する坂本卓さん(38)と玉本英子さん(38)。日本人人質事件で紛争地での民間人の活動に厳しい目線が向けられたのは1年前。安全確保と取材の両立というジレンマを抱えつつ、2人はそれでも伝えるべきことがある、という。

 2人がイラク北部、クルド人自治区の主要都市アルビルに入ったのは、2年前の戦争が人々の暮らしをどう変えたのか取材するためだった。
 市民の一人は「生活は厳しいが、(1月末の)国民議会選挙後少しずつよくなってきた」と希望を語った。一方で、米軍協力者を標的にしたテロが相次ぐ近隣の街から逃げてきた避難民も目立った。武装勢力に父親を殺されたという少年(8)は「フセイン時代の方がまだよかった」と言った。
 15日には約100キロ南のキルクークへ。フセイン時代、多数のアラブ人が移住し、米軍制圧後、クルド人帰還民が押し寄せた町だ。自らの「縄張り」を示すかのように多くのクルド語の看板が林立。「クルド人とアラブ人は一触即発に見えた」
 2人は昨年春にもイラクを約2カ月間取材した。だが、今回は町中をほとんど出歩いていない。街から街に移動する際は、重さ数キロの防弾チョッキを着用。キルクークではカラシニコフを抱えた護衛7人を雇った。坂本さんは「武装した護衛を伴うと相手は本音を語りにくく、取材倫理上の問題もある。でも、自らと運転手らの命を守るぎりぎりの選択だ」。
 1日数回、衛星携帯電話で日本のオフィスのメンバーに電話を入れ、現地では得られない安全情報を仕入れる。リスクと効果を第三者の目からはかるため、危険地帯に入る際は必ずメンバーと相談する。
 今月上旬、外務省の担当者が玉本さんの携帯に「退避(出国)しなさい」と求めてきた。人質事件後、外務省はイラク入国の意思を持つ民間人には思いとどまるよう「説得」をする。2人は周辺にしか取材を打ち明けていなかったが、マスコミからの問い合わせで同省は入国を知った。
 玉本さんは「安全に最大限配慮するのは取材者の義務。ただ入ること自体が無謀というなら、声なき声を伝えることができなくなる」という。
 今回、忘れられない出会いがある。バグダッドからアルビルに逃れてきたクルド人のダナ君(11)。昨年暮れ、学校帰りに武装勢力に誘拐され、父親が身代金を支払って解放されたが、ショックからずっとうつむいたままだった。母親は「警察に訴えたが『テロ対策で忙しい』と取り合わなかった。こんな状態はいつまで続くの」と天を仰いだ。
 「戦争から2年たち、メディアの関心も薄れ、『テロ』の犠牲者の数でしか現状がはかられなくなってしまった。数字の向こうにあるものに触れるには、現地に入る努力が必要だ」。坂本さんはこう話した。

 ■イラク取材と自己責任論 昨年4月、フリー記者2人を含む邦人5人が武装勢力に拘束される事件が発生、「自己責任」をキーワードに被害者本人や家族のふるまいをめぐる論争が起きた。同年5月にはフリー記者橋田信介さんと小川功太郎さんが、10月には旅行中の香田証生さんが殺害されている。今年3月にはイタリア人記者が拉致から解放直後に米軍兵士に銃撃される事件も起きた。外務省は03年2月からイラク全土に「退避勧告」を出し、十分な警護措置を取れない場合は即時出国を求めている。昨年4月にイラクにいた自衛隊以外の日本人は約70人だったが、その後は「邦人の人数を示せば誘拐などを誘発する可能性がある」として公表していない。現在常駐する日本メディアはNHKのみという。
[asahi.com 大阪 2005年03月18日]

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