JR宝塚線の脱線事故以来、メディアでは、JRのオーバーランをこと細かく報道しています。たとえばこの記事。
JR西、またオーバーラン 6日連続、見習い運転士が(共同通信)
しかし記事を読むと分かるように、オーバーランは4メートルで電車に遅れはなかった、しかも運転手は見習い中で、指導のための運転手が同乗していたという。つまり、記事にするような事件性は何もなかった訳です。たぶんこの見習い運転手は、この4メートルのオーバーランを体験して、ブレーキのタイミングを学習したことでしょう。オーバーラン自体は確かに運転ミスだけれども、何のミスもなしに完璧な運転ができるようになるなどということはありえないのだから、こういうミスは認められて良いはず。
にもかかわらず、なぜ、こういうことまで記事にするのでしょうか? こういうことを記事にすると、オーバーランは一切許されないというプレッシャーをますます運転手にかけるだけです。しかし、運転手に余計なプレッシャーをかけてみても、安全には役立たない、というのが今回の事故の一番の教訓ではなかったでしょうか。メディアは、いったいなぜこうした記事を流すのか、ぜひ再考を求めたいと思います。
JR西、またオーバーラン 6日連続、見習い運転士が
30日午後5時ごろ、大阪府高槻市富田町1丁目のJR東海道線摂津富田駅で、西明石発京都行きの普通電車が停止位置を約4メートル行き過ぎた。JR西日本では、尼崎脱線事故を起こした快速電車のオーバーラン以降、6日連続の発生。
JR西日本によると、見習い中の運転士(22)がブレーキのタイミングを誤ったという。指導のための運転士(26)が同乗していた。電車に遅れはなかった。
[共同通信 4月30日20時48分更新]
もしそこまで問題にするなら、自社の記者が自動車を運転したときに、スピード違反はないか、停止線できっちり停止したか、それをいちいち記事にすべきでしょう。「○○新聞社記者、赤信号で停止線を1メートルオーバー」というように。こう言えば、自分たちがどれだけ馬鹿馬鹿しいことを記事にしているかということが分かると思うんですけどね。