JR西日本の記者会見で、記者から罵声が飛んだり、机をバンバン叩いて「覚えてないことはないだろう!」と怒鳴った記者がいたとか。
真相追及はメディアの大切な役割ですが、怒鳴ったり机を叩いたりというのは、ちょっと違うのではないでしょうか。“溺れる犬を叩く”という諺がありますが、どこからどうみても悪いに決まっているJR西日本にたいして、自分が社会的糺弾の最前線に立っているかのように思っているとしたら、勘違いしているとしか言いようがありません。
会見大荒れ 罵声交じる中、JR平謝り
相次ぐ不祥事発覚で、JR西日本は5日も記者会見を行ったが、前日夕からこの日未明にかけて行われた会見と同様に大荒れとなった。「とんでもない会社や」「申し訳ございません」。記者から飛ぶ罵声(ばせい)交じりの質問に、JR側は平謝りを続けるだけだった。
不祥事だけでなく、その情報をつかみながら、なかなか公表しない体質。大阪市での会見は、取材陣も一問一答にとどまらず、JR西日本を糾弾するトーンに変わっていった。
「あんたたちは、ちゃんと仕事してるんか!」。記者が声を荒らげる。「申し訳ございません」とJRは消え入りそうな声で謝罪するだけだった。
厳しい質問攻めには「記憶にございません」。不誠実極まりない答弁を徳岡研三・鉄道本部長が繰り返すたび、取材陣はいら立った。事故直後のJRの調査の際に「垣内剛社長は一緒にいたのか」などの質問が出ると、再び「記憶にございません」とし、型をはめたような答えに終始した。
この繰り返しに、記者の1人はついに机をバンバン叩いて声を荒らげた。「覚えてないことはないだろう!」
ボウリング問題については、JR西日本は参加した43人の聞き取り調査を行ったと発表。しかし記者が質問すると度々、答えにつまった。さらに、事故直後の社員の招集について問われると「管理部門の社員全員に非常招集をかける“第1種A体制”をかけた」と説明。この発令は10年ぶりで阪神大震災以来だったという。そんな中、ボウリング大会は開催されたことになり非常識な会社の体質があらためて浮き彫りに。「とんでもない会社や」と記者はあきれ果てた。
4日から5日未明まで行われた会見も大荒れだった。当初、垣内社長は出席していなかったが、ボウリング問題の発覚に取材陣が「社長を出せ」と要求。日付が変わってようやく社長は現れた。ボウリング問題を知りながら、遺族の弔問をしたことについて記者から「どの面下げて遺族の家に行ったのか」と問い詰められ「申し訳ない気持ちでいっぱいでした」と答えるのが精いっぱいだった。[スポニチ 2005年05月06日付]
ピンバック: いぢろーぐ
確か国鉄民営化のときに民営化による安全性の議論がなされていたと記憶しています。そのときに民営化しないと鉄道がダメになると最前線の論陣を張ったのが当のマスコミです。今また安全性云々の報道をしていますが,まったくもって無責任です。
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報道内容には、問題定義から結論まで内容を濃くしないと一般視聴者に納得されないから、記者も「こんな会見じゃ記事にならない」というあせりやイライラもあったのでしょう。
もしかしたら、記者の中に知り合いや親戚で事故に巻き込まれた人もいたかもしれないよ? 犠牲者の多かった事故だから。
若い記者もいただろうと思われるので、彼らの経験の中でも、今回の事故はあまり無かったパターンだったかも? それに会見はTV放送だよね? 偏って場面がカットされるから、罵声や怒号がトータルではそれほど視聴者が感じるほど多くはなかったかもしれないし。
それに元々こういった事故の会見は、見ている方も絶対気分のいいものじゃない。大企業ほど自己弁護に汲々とすることは、過去の事件を見れば判りきっているからね。
マスコミも人間だから絶対じゃない。
マスコミだけに報道のあり方を問うのではなく、昨今の事件・事故・世界情勢について、視聴者側の受け止め方も問われているんじゃないかと思う。
>Nokkoさん、コメントありがとうございます。
記者の側に「つい怒鳴ってしまった」事情があったのかも知れませんが、それを斟酌しだしたらきりがありません。問題は、記者会見場で怒鳴るのが、新聞記者の取材のあり方に適っているかどうかだと思います。「マスコミだけに報道のあり方を問うのではなく」という言い方で、「マスコミの報道のあり方」を不問に付すことはできないでしょう。
僕自身は、何かあるとすぐ「怒鳴る」という最近の風潮に辟易しているのですが…。
マスコミ連中とはそんなものです。当事者はカメラの奥の視聴者に頭を下げているのにかかわらず、そんな場を重ねるにつれ、連中は自分達に下げているものと勘違いしてしまう。豊田商事の会長宅に賊が凶器を持って侵入しようとしていても、警察へ通報もせず制止もせず諭すこともせず、次に起きることを期待しシャッターチャンスを逃すまいぞとその場を死守する。あげくの果てには、血まみれの瀕死の会長を衝撃的に撮影しようと、賊にこっちにも向けてくれと撮影アングルを要求している。この行動を「報道の使命」と言い訳しながら、「公共輸送の使命」を果たそうと事故現場から立ち去った運転士を非難している。記者やカメラマンが決して人格者ではないことを忘れてはならない。皆さんは、連中のうちの良識人はごくわずかで、その多くはノゾキ趣味の瓦版屋であることと、さらにはそれで得た連中の収入(初任給40万円)を知るべきです。
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>初めまして。おじさんさん
腹立ちは分からなくもないですが、私たちの社会がメディアの役割ぬきに成り立たない以上、私は「マスコミ連中とはそんなものです」ですませる訳にはいかないと思います。
おひさしぶりです。
僕も「同業者」なので一言。
記者というのは特権階級です。一般人が入れこめないところ(例えば「記者」会見)に行けるのです。
そして本来ならば、そこで得た「有益な」情報を一般大衆に伝達する使命があります。
JR事故についても、追及できるのは記者だけです。JRの隠蔽体質が明るみに出たのも、記者の「突っ込み」があったからでしょう。
厳しく追及するのは職業上必要でしょうが、だからと言って「暴力的」になるのは、記者である以前の人間性の問題でしょう。
もうひとつ僕が気になるのは、今回の場合JRに明かな落ち度があり国民も憤っているので、記者が「強気」になる条件があるのでしょうが、相手が政治家や政治化とつながりが深い企業などで、彼らが事件・事故を起こした場合に同じような「怒り」を表すことができるか、ということです。
マスコミは多くの「タブー」を抱えています。タブーに触れなければ、結構強気に出ます。しかし「タブー」の部分に、一般大衆の利益にかかわることが多いのです。「タブー」に踏み込めなければ、記者という名の「サラリーマン」でしかありません。
勝手にリンク貼りました。
>yoshiさん、コメントありがとうございます。
僕は、新聞記者に「追及するな」と言っている訳ではありません。今回の事件でも、もっともっと厳しくJR西日本を追及してほしいと思っています。
しかし、「厳しく追及する」というのは、罵声を浴びせたり机を叩いたりすることではないはずだと思うのです。文章を書いてアピールする人間が、怒鳴ってしまっては、最初から負けたも同然です。「タブー」や困難はいろいろあるでしょうが、それに負けない“事実”を掘り当てたとき、社会はメディアと記者を断然支持するのだろうと思います。
大変な職場であることは十分想像がつきますが、活躍を期待します。お体も大切に。
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>GAKUさんへ
肯定しているのか否定しているのかよくわかりません。できればもう少しご意見を。
>yoshiさんへ
特権階級でありつづけようとしていませんか。既得権への固執といってもいい。「追及できるのは記者だけです」と言い、ローカルでは各地の記者クラブへの新規参入を排除している。記者会見も、なぜ記者だけなのですか。記者ってそんなに特権なのですか。公務員が公僕であるように、記者も視聴者や読者の公僕でよくないですか。
>おじさんへ
私は、マスメディアのはたすべき役割を認めています。ですから、「マスコミ連中とはそんなものです」という意見には賛成できません。
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