平頂山事件というのは、1932年9月16日未明に起きた日本軍による虐殺事件。住民が中国側の抗日軍に協力していたとして、村民を集め機関銃による銃撃を浴びせて虐殺、翌日、遺体を焼き、崖を崩して虐殺の事実を隠したもの。
訴訟では、国側は、原告が主張するような事件があったか否かを含め一切争わなかったため、一審判決は原告の主張に沿って事実を認定。二審も、この一審判決を踏襲しました。
平頂山事件、生存中国人の控訴棄却 東京高裁
旧日本軍が1932年に中国遼寧省の平頂山村で住民を虐殺したとされる「平頂山事件」で、生存者の中国人3人が日本政府に計6000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が13日、東京高裁であった。
宮崎公男裁判長は「戦争による賠償問題は政府間で決められるべき問題で、個人が賠償を求めることはできない」と述べ、請求を棄却した1審・東京地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。
訴えていたのは楊宝山さん(82)ら。国側は1、2審を通じて、事実関係の認否をしておらず、判決は1審同様、事件があり原告らが被害を受けたことを認定した。
そのうえで、1審判決同様、旧憲法下で国の不法行為は責任を問われないという「国家無答責の法理」を適用。「旧日本軍は原告に極めて悲惨な体験をさせたといえるが、賠償請求は認められない」とした。
判決によると、旧日本軍は32年9月、中国側の自衛軍に協力していたとして、平頂山村の住民の大半を銃殺。旧日本軍関係者によると、死者数は700?800人。中国側の発表では約3000人が死亡し、生存者は30?40人だったとされている。[2005/5/13 12:48 読売新聞]