旧日本軍の遺棄毒ガス兵器損害賠償訴訟で、旧軍属の男性が、終戦間際に実際に化学兵器遺棄に携わった体験を証言することに。
旧日本軍遺棄化学兵器の除去については、すでに日中政府間での合意にもとづき、自衛隊が作業にあたっていますが、裁判の争点は、組織的遺棄の有無。実際に遺棄作業に携わった人の証言は初めてだそうです。
中国毒ガス訴訟:元日本軍属の男性が法廷での証言決意(毎日新聞)
中国毒ガス訴訟:元日本軍属の男性が法廷での証言決意
旧日本軍が中国国内に残した毒ガス弾などで死傷した中国人住民の遺族や被害者が、日本政府に損害賠償を求めている訴訟の控訴審で、実際に化学兵器遺棄に携わったとする元日本軍属の男性(77)を が証人申請した。採用されれば、近く東京高裁の法廷に立つことになる。訴訟は旧日本軍による組織的遺棄の有無が争点で、弁護団は「戦後60年を経て証言者が減る中、貴重な証人」と重視している。
男性は宮崎県出身で、現在も同県在住。中学卒業後、1942年に旧満州(現・中国東北部)の黒竜江省に渡り、学びながら開拓に従事した。43年10月ごろ、軍属としてハルビン市郊外の関東軍駐屯地に派遣され、兵士と一緒に弾薬庫の警備にあたった。
男性の話では、45年8月ごろ、上官の命令で兵士たちとともに赤や黄の目印がついた毒ガス弾を弾薬庫内から選び出し、敷地内の古井戸に木箱ごと投げ入れた。宿舎に暦がなかったため日付は不明だが、遺棄の数日後にソ連軍が進駐したため、終戦前後だったとみられる。男性はシベリアの捕虜収容所に抑留され47年に帰国した。
03年8月、黒竜江省チチハル市で見つかったドラム缶から毒ガスが漏れ、現地の人が負傷する事故が発生。「自分が捨てた毒ガス弾は処理されているのか」と心配になった。昨年9月、中国の毒ガス被害を描いた映画「にがい涙の大地から」を新聞で知り、監督を務めた海南友子さん(34)に連絡を取った。
男性は同11月、海南さんらとともに駐屯地跡を訪ね、遺棄した古井戸などを探したが、当時の建物などは確認できなかったという。男性は「つらい記憶が多く、戦争体験を話すことを避けてきた」と法廷での証言をためらってきたが、最終的には弁護団の説得に応じ、「証言を事故防止につなげたい」と決意した。
訴訟は96年12月、遺族や被害者計13人が日本政府を相手取り、総額約2億円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴。03年9月の1審判決は「日中国交回復後、日本政府は可能な限り情報を収集し被害を防ぐ義務があった」と国の責任を認め、国側は不服として控訴した。【吉永磨美】◇ことば…旧日本軍遺棄化学兵器
皮膚をただれさせる「マスタード」や「くしゃみ剤」など数種類があり、日本政府は計約70万発と推定。日中両国は91年6月から調査し、既に3万7000発を発掘・回収した。中国人の被害は03年8月のチチハル、昨年7月に吉林省敦化で起きた事故だけで死者1人、負傷者45人。[毎日新聞 2005年5月14日 15時00分]