現在、立教大学教授の伊勢崎賢治さん(正確には、伊勢崎の「崎」は上が「立」)は、国際NGOのシエラレオネ現地事務所長を皮切りに、西アフリカで4年間活動した後、1999年10月に始まった東チモールでの国連PKOに参加し、インドネシアと国境を接するコバリマ県で国連暫定政府から全権委任された知事として地方行政と、国連平和維持軍、文民警察を統括。2001年5月からは、ふたたびシエラレオネの国連PKOのミッション(UNAMSIL)のDDR(Disarmament〔武装解除〕、Demobilization〔動員解除〕 & Reintegration〔社会再統合〕)の責任者として、武装解除を遂行。帰国後、2002年4月から立教大で教鞭を執るが、2003年2月から1年間、日本政府がアフガニスタンですすめる「復員庁構想」の統括者を務めた、という経歴を持っておられます。
最初、書店でこの本をみたときは、帯に書かれた「職業:『紛争屋』」というコピーから、勝手に“軍事オタク”の本だと思い込んで手にも取らなかったのですが、5月13日付「東京新聞」夕刊にのった同氏の「軍事のコストと文民統制」を読んで認識を一新。さっそく買い込んで読んでみました。
伊勢崎氏は、厳格な文民統制のもとで、たとえば自衛隊幹部が国連PKOミッションの軍事監視団(非武装)に参加するということはありうるという立場であり、ぱっとみには、「憲法9条を守れ」という平和勢力とは随分と距離があるように思えるのですが、しかし、この本で氏が下している結論は、憲法前文と第9条は一句一文たりとも変えてはならないというもの。
海外派兵はおろか軍隊の保持も禁止している現行の憲法下でさえ、こうなのだから、たとえ平和利用に限定するものであっても海外派兵を憲法が認めてしまったら、違憲行為にさらに拍車がかかるのではないか。……
つまり、現在の政治状況、日本の外交能力、大本営化したジャーナリズムをはじめ日本全体としての「軍の平和利用能力」を観た場合、憲法特に第九条には、愚かな政治判断へのブレーキの機能を期待するしかないのではないか。
日本の浮遊世論が改憲に向いている時だから、敢えて言う。
現在の日本国憲法の前文と第九条は、一句一文たりとも変えてはならない。(本書、236?237ページ)
こんなふうに結論だけを抜き出されるのは、たぶん伊勢崎氏にとって不本意だろう思いますが、平和維持活動、紛争解決・復興のためには国際社会の軍事力の活用が必要だと考える氏が、どうしてこういう立場に立つにいたったのかは、とても興味深い問題です。それが何なのかは、ぜひ本書全体を読んでほしいと思いますが、イラク戦争とイラクへの自衛隊派遣が1つのきっかけになっているようです。また、文民統制とは何か、国連PKOと「多国籍軍」との違い、軍事のエキスパートとしての役割、軍事と外交の区別、NGO活動と日本政府としての外交の関係、などなど、現場で活動してきて人ならではの指摘もいっぱいあって、その面でも勉強になります。
憲法をめぐる“神学論争”にあけくれてきたとして、“左”にたいする批判も登場するし、日本のNGOや貧困克服のとりくみにたいする厳しい評価もあって、その全部を受け入れる必要はないと思いますが、それにしても、「憲法九条改悪反対の一点での共同」を考えるならば、外務省の外交官や自衛隊幹部とも一緒になって活動してきた伊勢崎さんのような人とも、どうやって共同をつくっていくか。それを考えないといけないことだけは確かです。
→伊勢崎賢治プロフィール(立教大学伊勢崎研究室のホームページから)
【書誌情報】著者:伊勢崎賢治/書名:武装解除 紛争屋が見た世界/出版社:講談社(現代新書1767)/定価:740円(税別)/ISBN4-06-149767-7