西都原古墳群で最古級の前方後円墳

宮崎県の西都原古墳群の調査で、纒向型前方後円墳から、3世紀中頃と見られる土器が出土。

3世紀中頃というと、畿内で前方後円墳が造られ始めた時期。同じ時期に南九州でも前方後円墳が造られたとしたら、古代史の枠組みを揺るがせる大発見かも…。ただし、畿内での前方後円墳の出現時期についても、現在、いろいろ論争があるし、土器の型式による編年そのものを見直さないといけないのかも知れないし。難しい…。

南九州に国内最古級の前方後円墳 宮崎大など発掘調査(朝日新聞)

南九州に国内最古級の前方後円墳 宮崎大など発掘調査

 九州最大の古墳群で、特別史跡の「西都原(さいとばる)古墳群」(宮崎県西都市)から、国内最古級とみられる前方後円墳が確認された。宮崎大学などの発掘調査でわかった。出土した土器から、築造は3世紀中ごろと考えられ、南九州では最古。大和政権があった畿内でも、このころ古墳が造られ始めており、本土の南端でも同じ動きがあったことになる。これまで、大和政権が主導したとされてきた古墳文化成立に、再考を迫ることになりそうだ。
 確認されたのは西都原81号墳。長さ52メートルで、卵形の後円部と短いバチ状の前方部を持つ「纒向(まきむく)型前方後円墳」と呼ばれるタイプだ。本格的な巨大古墳の登場に先立つもので、3世紀中ごろまでに造られたとされる奈良県桜井市の纒向石塚などと同じ形。後円部からは、弥生時代と古墳時代の過渡期にあたる土器が出土した。このため、4世紀とされてきた西都原古墳群の築造開始も、半世紀前後さかのぼることになる。
 纒向型は全国で30例を超えるともいわれるが、南九州での発掘は初めて。南九州は「地下式横穴」など独自の埋葬文化を持ち、のちに「隼人(はやと)」と呼ばれる人々が中央政府に反乱を起こすなど、長く中央とは一線を画してきた土地柄だ。
 近年、大和政権は全国の有力豪族の連合体だったとの見方もあり、発掘責任者の柳沢一男・宮崎大教授(考古学)は「南九州の勢力も、古墳文化の成立に参画していた可能性を考えなくてはならなくなったのではないか」と話している。
 宮崎大では夏にも発掘を再開する予定。[朝日新聞 2005年05月18日08時03分]

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