中世史研究をふり返った『歴史評論』6月号に続いて、『歴史評論』5月号の特集「戦争認識と『21世紀歴史学』の課題」を読み始めました。
特集の目次は以下の通り。
- 荒井信一「学徒兵の戦争体験と『近代の歪み』」
- 岡部牧夫「15年戦争史研究の歩みと課題」
- 大八木賢治「戦後歴史教育における戦争」
- 滝澤民夫「歴史教育と高校生の戦争意識・戦争認識」
冒頭の2論文は、とても読み応えのある論文です。
世界史の荒井さんは、永原慶二氏(日本史)、田中正俊氏(東洋史)の手記なども手がかりにしながら、戦時下に大学で歴史学を志した世代の、戦争体験と歴史研究に立ち向かう姿勢をふり返られています。永原先生は1922年生まれで海軍へ、田中氏も1992年生まれで陸軍2等兵として中国へ、そして荒井さんは1926年生まれで、1945年4月に進学、1カ月だけ授業がおこなわれ、5月には新潟の農村に動員され、そこから陸軍2等兵になったということです。
印象に残ったのは、「学生は青年の花である。諸君は同年齢の高等教育に恵まれない青年に対して義務を負っている」という羽仁五郎の言葉に接して、「学問の目的は底辺の人たちの幸福にある」と思った話や、矢内原忠雄の「理性的なものは存在し、存在するものは理性的である」の言葉をノートに書き留めた友人の話を紹介されていること。戦前の限られた条件のもとで、書かれたこうした先人たちの言葉から、自らの研究姿勢を確立していく、そういう“立ち向かい方”の真剣さに、あらためて学ばされました。
同時に、そういう行論のなかで、学徒兵の「被害意識」の先行や、戦前世代の知識人がもった8・15の「解放」感のもつ「歪み」についても、率直に目を向けられているのが印象に残りました。
岡部論文は、前半では、60年代までと70年代以降に分けながら、15年戦争史研究の歩みをふり返られたあと、藤原彰先生と江口圭一氏の戦争史研究を取り上げられています。その前半の研究史の回顧は、限られた紙幅で非常に概括的なものですが、それだけにどういう研究がどういう立場でおこなわれたか、僕のような素人がふり返るには非常に分かりやすくなっています。
後半では、そうした前半でふり返った戦争史研究を、ある意味中心になってひっぱてこられた藤原・江口両氏の研究を紹介するだけでなく、藤原氏の研究については、講座派的な分かりやすい論理構成を、新しく公開された1次資料で裏づけながら、厚みのある歴史叙述を積み重ねるとともに、天皇制と日本軍隊、昭和天皇の戦争指導と戦争責任、宮中グループの役割、南京事件・沖縄戦、日本人反戦兵士の動向など個別の問題にも取り組んだ、江口氏については、「二面的帝国主義論」を中心に、そのいっそうの研究と理論化を指摘されています。
岡部氏の論文は、15年戦争史をあらためて勉強しようという人にとって、非常に役立つ研究史整理ともなっていると思いました。
ということで、『歴史評論』5月号も、絶対お薦めです。