河島みどり『ムラヴィンスキーと私』(草思社、2005年5月刊)とヨアヒム・フェスト『ヒトラー 最期の12日間』(岩波書店、鈴木直訳、同6月刊)をとりあえず読み終えました。
河島さんの本は、もともとムラヴィンスキーが好きな指揮者だったので、一気に読んでしまいました。特に印象に残ったのは、スターリン支配下の息苦しい時代に、ショスタコーヴィッチと交わした音楽的な交流です。たとえば、彼の交響曲第8番についてムラヴィンスキーが書いていることを読むと、僕の聴き方なんて(当然のことですが)全然甘いなぁと痛感。もう一度、じっくりと聴き直してみたくなりました。テープレコーダーが登場すると、ショスタコーヴィッチがすぐに買って、自分の曲の演奏を録音して、一音一音にこだわって聴き返し、ムラヴィンスキーにもすぐテープレコーダーを買うように勧めたりしたエピソードも紹介されています。
また、ムラヴィンスキーのチャイコフスキーへの傾倒ぶりも、初めて知りました。ちょうど、職場の先輩であるT代さんから、珍しく西側でムラヴィンスキーが振ったチャイコフスキーのCDの話を聞いたところだったので、今日、そのCDも買ってきてしまいました。(^_^;)
フェストの本は、映画「ヒトラー 最期の12日間」の原作ともなった著書です。邦訳では映画と同名のタイトルになっていますが、原題は『破滅――ヒトラーと第三帝国の最期』。
で読み終わったところでは、映画同様、なかなか評価の難しい本だというのが率直な印象です。映画と同じように、ヒトラーに焦点をあてながら、4月末のベルリン包囲戦からヒトラーの自殺、降伏までを、さまざまな証言や研究をふまえて再構成した「歴史ドキュメンタリー」です。とはいえ、映画よりは距離をとって、ヒトラーを描いているように思いましたが、そうはいっても、やっぱり、ヒトラーが政権についてから何をやったのかということは直接には書かれていません。そして、ベルリンを徹底的に破壊しつくすまでたたかった第三帝国の最後を、ヒトラーとナチズムが最初から持っていた「破滅への意志」、破壊性の現われとして描くのに傾きすぎた、という感じがします。だから、「ヒトラーをはじめてここまで人間的に描いた」(帯の宣伝文句)といわれる割には、なぜそこまで破滅的だったのか、またそんなヒトラーとナチズムがなぜドイツ国民の支持を得ることができたのか、結局のところよく分からないまま、終わっていると思いました。
そのあたりのヒトラーの描き方については、実は、フェストは、純粋な中立的な研究者という訳ではなく、すでにこれまでにも、ヒトラー個人に焦点を置いた著作を著し、やはり同様の議論をよびおこしていたことが、芝健介氏の解説で紹介されています。その意味でも、フェストのこの著作をどう位置づけたらよいかは、なかなか微妙な問題をはらんでいるように思いました。
ちなみに、芝氏のていねいな解説は、ドイツにおける「論争」の適切な紹介ともなっていて、末尾に記された注はこの問題に関する日本語文献のリストとしても役だちます。