富士火災海上保険の52歳の男性社員が、営業成績によって給与が増減する制度によって、6月の給与が額面11万5000円、手取り2万2000円になったのは憲法違反だ、と仮処分を申請しました。
しかし、3?5月の平均給与が約21万9000円(勤続23年)というのも、あまりにひどい話です。成果主義の名の下に何をやってもいいという訳ではありません。
富士火災海上保険の52歳の男性社員が、営業成績によって給与が増減する制度によって、6月の給与が額面11万5000円、手取り2万2000円になったのは憲法違反だ、と仮処分を申請しました。
しかし、3?5月の平均給与が約21万9000円(勤続23年)というのも、あまりにひどい話です。成果主義の名の下に何をやってもいいという訳ではありません。
一昨日、Six ApartからMovable Type 3.171日本語版が公開されましたが、今日、ようやくアップグレード作業を完了しました。
ちょっといじっているので、アップグレードのたびに何カ所かソースの書き換えが必要になります。ちょっと面倒…。(^_^;)
Six Apart – MovableType News: Movable Type 3.171日本語版の提供を開始
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言及リンクのないトラックバックを弾くPlug-inを使う理由の1つとして、スパム・トラックバック対策があげられています。
僕は、この手のスパム対策に、MT-BlacklistというPlug-inを使っています。
これを入れると、指定されたNGワードやURLを含むTBを自動で削除してくれます。対象となるNGワードやURLなどのリストは、随時、自動でアップデートされますが、自分でNGワードを追加登録することも可能です。
英文ですが、インストールはきわめて簡単です。スパム・トラックバックでお困りの方に、お薦めします。
永原先生の『荘園』(吉川弘文館、1998年)は、土曜日のシンポジウムの帰りに読み終えました。この本は、荘園に焦点をあてて、8世紀半ばの初期荘園から16世紀末の荘園の事実上の消滅までをフォローしています。いろいろおもしろい話もたくさん登場します。たとえば、荘園を寄進するとき、普通は、在地領主が自分の得ている地代の一部を寄進先の貴族に上納すると思われていますが、そうではなくて、国衙からの公租部分を寄進していたというのは、けっこう穴かも知れません。もう少し詳しくまとめたいのですが、おいそれといかないので四苦八苦しています。
で、いまは『日本封建社会論』(東京大学出版会、新装版2001年)を読んでいます。
今日の「読売新聞」の論点欄で、元駐米大使の栗山尚一氏が「反日デモの教訓 過去を直視する勇気必要」と題して、首相の靖国参拝問題について意見を述べられています。
栗山氏は、まず10年前の政府談話(いわゆる村山談話)を紹介し、これは「自虐的なものではない」「若い世代はぜひ……この談話の意味と背景を学んでほしい」と指摘。続けて、こう書かれています。
筆者は、政府の責任ある立場にいるものの靖国参拝には異論がある。韓国や中国が反対しているからでも、戦没者の慰霊が大切と思わないからでもない。同神社の博物館(遊就館)の展示などに示される歴史観が、政府談話の認識と相いれないと考えるからである。
外務事務次官、駐米大使などの歴任された方が、このように靖国問題の本質をずばり真正面から批判されているのは、重要な指摘だと思います。
インターネットに繋がっていない環境でも、ローカルに投稿記事を書いて保存しておいて、あとで投稿できるというubicast Bloggerを試しています。書式の指定などもできて便利なのですが、いまいち上手く使いこなせていません。
どうしたらいいんでしょうねぇ。(^_^;)
7月13日までの各地の「九条の会」の記事です。
警官としてあるまじきこと、とか、ついに警官までが…などと言ってみても、問題は少しも明らかにならない。これだけ、誰も彼もが子どもを性的嗜好の餌食としているご時世に、警官や学校の先生だからといって、その影響から免れているなどということはありないのだから。
むしろ問題は、なぜ、こう誰も彼もが無力な小学生を狙うのか? その心理的・精神的な“歪み”にメスを入れることを考えないと。
その点で、精神科医の斎藤学氏が、覗きをする男性の心理として、無力感、絶望感を取り上げているのが参考になるかも。自分が圧倒的な他者に虐げられ、無力感に押しつぶされているようなとき、人は、自分より無力な人間に攻撃をむけるという指摘は、いまどきの社会のイライラ感、もやもや感をうまく言い当てているように思う。→MSN-Mainichi INTERACTIVE こころの世紀
日本の国連常任理事国入りを狙ったG4案に、アメリカが反対を明言。
「従軍慰安婦はなかった」発言の中山文科相が、自分を支持してくれたメールを得々と紹介したそうな。
しかし、「戦地にある不安定な男の心をなだめ、一定の休息と秩序をもたらした存在と考えれば、プライドを持って取り組むことが出来る職業だった」とは! そこまでいうなら、ぜひともこのメールを送ったというご本人がサマワへ行って、男性自衛隊員の心をなだめられたらどうだろう? いや、自由と民主主義のために果敢に闘っているアメリカ兵(男性)のためにも、プライドある仕事に励まれたらいかがだろうと言いたくなるぐらい、馬鹿げた発言。それを得意げに紹介する政治家はなにをか言わんやです。
ちなみに、産経やら読売は、この部分を報道していません。これも、メディアとしていかがなものか。
町田市教育委員会が、小中学生を、靖国神社の戦争博物館「遊就館」に連れて行くツアーを後援していたことが明らかに。
市教委自身が「遊就館が靖国神社の施設とは知らなかった」と言っている以上、後援基準に照らして再審査すべきことは明らかでしょう。
今日の「朝日新聞」の「戦後60年 後藤田正晴さんに聞く」は一読の価値あり。
戦前は陸軍主計将校、戦後は警察庁長官、中曽根内閣の官房長官などを務めた後藤田氏が、靖国神社とA級戦犯問題について、朝日のインタビューに答えています。
サンフランシスコ平和条約第11条で東京裁判を受諾したことについて、「判決は受け入れたが、裁判を認めたわけではない」という議論にたいして、こう言われています。
負け惜しみの理屈はやめた方がいい。サンフランシスコ講和条約は、戦後日本が国際社会に復帰し、新しい日本を築く出発点だ。それを否定していったい、どこへ行くんですか。
東京裁判にはいろいろ批判もあるし、不満もあった。ただ、裁判の結果を受け入れた以上、それにいまさら異議を唱えるようなことをしたら、国際社会で信用されるわけがない。条約を守り、誠実に履行することは、国際社会で生きていくために最低限守らなければいけないことだ。
話題の映画「ヒトラー?最期の12日間?」を見てきました(渋谷・シネマライズ)。実を言うと、日曜日(7/10)にも見に行ったのですが(シネマライズは、日曜最終回はいつでも1000円!)、満員・立ち見で、あきらめて帰ってきました。今日は、約8割のお客さんというところでしょうか。普段、シネマライズでは見かけないような年配のお客さんも見かけましたが、やっぱり圧倒的に多いのは若いお客さんでした。(今年18本目の映画)
さて、見た感想ですが、圧倒的としか言いようのない作品でした。とくに、これでもかこれでもかと描かれる、ソ連軍の砲撃を次々に打ち込まれていくベルリンの街の様子からは、本当に戦争というもののもつ残虐さ、残酷さが伝わってきます。
また、安全な地下壕の中で、最期の作戦指揮をとろうとするヒトラーには“狂気”すら感じさせられます。そして、ヒトラーを取り巻く将校連中は、みんな、帝国の「最期」を目前に、どこかでヒトラーに引導を渡さなければいけないと思っているにもかかわらず、裏切り者として処刑されることを恐れ最期まで忠誠を尽くそうとする者と、何とか脱出して生き延びることを考える者との間で、無駄な当てこすりやかけひきに時間が空費されていく…。そこには、「国民」を守ることなどまったく登場せず、ヒトラーの狂気は、そのまま「第三帝国」の狂気を示していると思いました。
その狂気を浮き彫りにしてくれるのは、1人の軍医の冷静な目と、狂信的なヒトラーユーゲントの少年です。(プログラムや公式ホームページでは、この2人の俳優が誰なのか書かれてないのが残念です)
しかし他方で、この映画では、ヒトラーとナチスが何をやったかは、まったく描かれません。映画は、主人公のユンゲがヒトラーの秘書に採用された1942年11月から、いきなりベルリン陥落目前の1945年4月20日に飛ぶので、その間に起こったことは、すっぽり抜け落ちています。
鋼鉄製橋梁工事をめぐる談合事件が摘発されたあとも、道路公団幹部がメーカーへの天下りを求めていたそうな。しかし、天下りさせろという官僚が悪くて、企業は被害者というわけではない。経団連会長も「談合は慣習、一気になくすのは難しい」と発言。
しかし、経団連会長が「フェアな戦いをすれば、力の強いところが勝ち、弱いところは沈んでしまう」とお認めになったとは。だからこそ、「構造改革」は弱者切り捨てだとあれだけ批判してきたのですが。そのときは、まったくそんなこと耳も傾けず、いまになって「競争だけでは…」と言い出すなんて!
橋梁談合の公取調査後も天下り 公団幹部、渋る企業説得(朝日新聞)
「談合は慣習、一気になくすのは難しい」奥田経団連会長(朝日新聞)
金曜日、締め切り最終日の仕事をそそくさを終わらせて、日フィル定期演奏会に行ってきました。
ヴェルディのレクイエムは、レクイエムなどといいながら、超ど派手な曲。それを、炎のコバケンがいったいどう料理するのか? 興味津々でサントリーホールに向かいました。
昨日、明治大学で開かれたシンポジウム「永原慶二氏の歴史学をどう受け継ぐか」に参加してきました。プログラムは以下の通り。司会は、池享氏。
1年前に永原先生が亡くなられてから、いろんなきっかけもあって、先生の本をいろいろ読みました。とくに、ちょうど『荘園』(1998年)を読み終えつつあったこともあって、あらためて先生の研究の視野の広さ、奥深さ、がっちりした理論的な組み立てなどを強く思っていたので、中村先生のご挨拶といい、そのあとの3人の報告といい、なるほどとと思う部分と、それから自分の気づいていなかった新しい問題を教えてもらったり、大変勉強になった研究会でした。
少し前に、恵比寿ガーデンシネマで見てきた映画です。(今年16本目)
こっちのメリンダ(ラダ・ミッチェル)は、裕福な医者と結婚して子どもも2人いて、幸せだったはずなのに、カメラマンと浮気した挙げ句に捨てられ、自殺未遂をして精神病院に収容されていたというボロボロな状態。他方、もう一人のミランダ(やっぱりラダ・ミッチェル)も、裕福な医師と離婚したけれど、こっちはさっさと次の恋を探しに行くという感じで、どちらも友人宅のパーティーに突然転がり込み、ピアニストと出会うというところは同じ。それなのに、不幸なメリンダと幸福なメリンダでは、こんなに結末が違ってしまう…という作品です。しかも、それを一人の女優に二役で演じさせるというところも、映画の作り方として興味あります。
個人的な好みからいえば、不幸な方のメリンダのストーリーの方が見ていて面白いですね。ちょっと崩れた感じで、感情の起伏を押さえきれないあたりも危なっかしい。いわゆる破滅型なんでしょう。実際の恋人がこんなのだったら迷惑きわまりない話ですが、見てる分にはハラハラ、ドキドキ、飽きさせてくれません。
ただし、(このあと、ややネタばれ、興ざめ的コメントあり)
さて、これが本当なのかどうか。後追いのニュースが出てくるかどうかもふくめ、追いかけてみる必要がありそうです。