帯に「『つくる会』教科書、徹底批判!」とあるので、最初は、「つくる会」の歴史教科書の古代史部分をとりあげて批判した本かと思って読み始めましたが、実際には、それにとどまらず、明治以来の歴史教科書と歴史教育の移り変わりを丹念にあとづけて、そのなかから「つくる会」歴史教科書の問題点を明瞭に浮かび上がらせています。
明治維新で誕生した新国家は、最初から教育にたいする統制の意図は持っていましたが、それでも、最初から国定教科書でもなかったし、南北朝についても両統併記だったのが、自由民権運動と対抗し、大日本帝国憲法を定めて国会開設にいたる時期に、国定教科書となり、南北朝正閏論でも南朝正統説になる、など統制が強まったことが分かります。そのとき同時に、内容への統制が強められたのが、日本の歴史の「始まり」の部分で、天照大神から始まるのが日本の「正史」とされるとともに、考古学的な知見が排除されるようになります。
さらに勅使河原氏が力を注いで明らかにしているのは、その戦前の国定教科書で日本の歴史の始まりとされた「天照大神」以下の「神話」が、けっして、古事記・日本書紀に記された「神話」そのままではなく、それを巧妙に改作してあることです。
たとえば、アマテラスの誕生でも、古事記では、「伊邪那岐神(いざなぎのみこと)」が左目を洗うと「天照大御神」が生まれたとするのにたいし、日本書紀は「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」が一緒に生みだしています。また、「天孫降臨」も、古事記ではアマテラスが「邇邇芸命(ににぎのみこと)」に命じ、「八尺の勾玉」「鏡」「草薙の剣」などを直接渡しているのに対し、日本書紀では、「瓊瓊杵命(ににぎのみこと)」に命じているのは「高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)」になっており、しかも、のちに「三種の神器」と言われる話は、「三種の宝物」として、日本書紀が「一書に曰く」として伝えているだけなのです。
つまり、ある世代のより上の人たちがよく知っている「神話」は、けっして古事記や日本書紀に書かれたそのままのストーリーではないのです。こうした「神話」は、戦前の国定教科書のなかで、古事記・日本書紀の記事を適当にブレンドして、明治時代の統治者が自分たちに都合よくつくりあげられたものなのです。この点だけでも、非常に勉強になりました。
で、戦前は、日本の歴史は、こうした神話から始まるのが「正史」とされたため、大森貝塚の発見以降、少しずつ始まった日本の考古学的な研究の成果――つまり、日本の歴史をさかのぼると、縄文時代や弥生時代があって、その後、古墳が築かれるようになり、大和朝廷(正しくは大和政権)が誕生したという歴史は、国定の歴史教科書からはまったく排除されていました。
戦後はどうなったかというと、ご存じのように、どの教科書にも、こうした考古学の研究成果にもとづいて、日本の歴史の始まりが書かれるようになりました。もちろん、戦後の教科書や授業での縄文時代や弥生時代の扱いに問題がないわけではありませんが、問題は、神話の取り扱いです。
1951年の学習指導要領では、「遺物や遺跡を見学・調査し、歴史を科学的に取り扱おうとする態度や習慣・技能」を身につけることによって「神話や伝説を正しく批判する態度」を養うとしていました。ところが1969年の指導要領で、これが「神話や伝承も取り上げ、……当時の人びとの信仰やものの見方に触れさせる」というふうに、180度逆転させられたのです。僕が小学校で歴史を勉強したのは、これより前だったので、学校で神話を教えてもらった記憶は全くないのですが、その後の歴史教育では、古代史について言えば、この点が大きな問題になるわけです。
こうやってふりかえってみると、どこかの教育委員会が、教科書選択のさいの評価の基準として、神話が多く載せられているかどうかをあげたというのが、いかに時代錯誤なものかがよく分かるでしょう。
で、「つくる会」の歴史教科書ですが、旧石器時代、縄文時代、弥生時代の取り扱いでも実にさまざまな問題が指摘されています。その中には、いかにも素人が教科書を書いたという感じのチョンボもいっぱいあるのですが、勅使河原さんの指摘の中でなるほどと思ったのは、「つくる会」教科書が取り上げている「神話」が戦前の国定教科書に書かれていた「神話」にもとづいている、という点です。その意味で、「つくる会」教科書は、たんに「神話を教えている」からよくないのではなくて、戦前につくりあげられた「神話」を教えようとしてるから問題なのだということが、よく分かります。(ちなみに、指導要領が求めているのは、古事記や日本書紀に書かれた神話を通して、当時の人々のものの考え方を知る、ということであって、明治時代につくられた「神話」を教えろとは書かれていません。その意味では、「つくる会」教科書は、指導要領違反です。)
勅使河原氏が丹念に明らかにした論点は、もっともっとたくさんあるし、その論証はもっと緻密なものですが、それはぜひ本書を読んでほしいと思います。いずれにせよ、「つくる会」教科書批判としても、学校教育における古代史の取り扱いの問題についても、さらに歴史教育そのもののあり方を考える上でも、ぜひ参考にされるべき好著といえます。
【書誌情報】著者:勅使河原彰/書名:歴史教科書は古代をどう描いてきたか/出版社:新日本出版社/出版年:2005年7月/定価:本体1500円+税/ISBN4-406-03199-5