増税隠し 自民党

昨日、仕事帰りに、自民党の候補者のポスターを見つけたのですが、公約に「サラリーマン増税はおこないません」と書かれています。え?? 政府税調が各種所得控除の見直し・廃止を打ち出したのに、与党が反対するの? と思って、選挙公約を確かめてみました。(→自民党ホームページ

すると、こういうふうに書かれていました。

<7>税制の抜本的改革
引き続き聖域なき歳出改革に果断に取り組みながら、国民の合意を得つつ、新しい時代にふさわしい税体系を構築する。その中で所得税については、所得が捕捉しやすい「サラリーマン増税」を行うとの政府税調の考え方はとらない。なお、

  • 18年度において、三位一体改革の一環として、所得税から個人住民税への制度的な税源移譲を実現する。
  • 19年度を目途に、社会保障給付全般に要する費用の見通し等を踏まえつつ、あらゆる世代が広く公平に負担を分かち合う観点から、消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する。

しかし最初から読むと、「その中で……政府税調の考え方はとらない」の一文が浮いていると誰もが感じるのではないでしょうか。とってつけたような文章であることは間違いありません。

ちなみに、昨年12月に、自民党と公明党が合意した与党の「税制改正大綱」には、こう書かれています。(以下、引用は関係部分のみ抜萃)

第一 新しい時代への税制改革の道筋

 平成18年度においては、わが国経済社会の動向を踏まえつつ、いわゆる三位一体改革の一環として、所得税から個人住民税への制度的な税源移譲を実現し、あわせて国・地方を通ずる個人所得課税のあり方の見直しを行う。……
 さらに、平成19年度を目途に、長寿・少子化社会における年金、医療、介護等の社会保障給付や少子化対策に要する費用の見通し等を踏まえつつ、その費用をあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点から、消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する。(「税制改正大綱」2ページ)

ということで、ここまでは、今回の選挙公約と基本的に同じです。ところが、与党の「税制改正大綱」には、続けてこう書かれているのです。

 平成18 年度においては、わが国経済社会の動向を踏まえつつ、いわゆる三位一体改革の一環として、所得税から個人住民税への本格的な税源移譲を実現し、あわせて国・地方を通ずる個人所得課税のあり方の見直しを行う。(同前)

「国・地方を通ずる個人所得課税のあり方の見直し」とは何か? 与党の「税制改正大綱」は、「第二 平成17 年度税制改正の具体的内容」の中で、「一 国・地方を通ずる個人所得課税」として、具体的な内容を次のように明らかにしています。

 国・地方を通ずる個人所得課税のあるべき姿と整合的な所得税・個人住民税の制度とする。このため、所得税においては、税率構造・控除双方の見直しを視野に入れ、検討を進める。また、個人住民税においては、税率のフラット化、低所得部分に係る負担調整措置等について、検討を進める。(同6ページ)

このように、自民党・公明党が合意した「税制改革大綱」では、所得税については、税率構造の見直し(つまり累進税率を下げる、またもや高額所得者の減税だ!)とともに「控除」の見直しにむけた検討を進めると、明記されているのです。政府税調の「論点整理」は、この与党の「税制改正大綱」の方針を具体化し、まさに控除の見直しに向けた検討をおこなったものです。

その証拠に、「論点整理」は、なぜ個人所得課税の見直しを行うのか、その理由として、次のように書いています。与党の「税制改正大綱」に従っていることは明白です。

 平成18 年度においては、定率減税を廃止するとともに、所得税から個人住民税への本格的な税源移譲を行う必要がある。税源移譲に際しては、国・地方を通ずる個人所得課税のあるべき姿と乖離することなく、所得税・個人住民税双方において税率構造を中心とした抜本的な見直しが必要となる。(「論点整理」1ページ)

そして、見直しの第1に、「給与所得者であることを理由として、所得の計算にあたって特別の斟酌を行う必要性は乏しくなってきている」として、「給与所得控除の見直し」が上げられているのです。

で、もう一度、自民党の選挙公約を読むと、くだんの「その中で…」の一文を除き、その前後は、この「税制改革大綱」と全く同じなのですが、その中で、各種所得控除の見直しという部分だけが、選挙公約では「政府税調の考え方はとらない」と逆転させられているのです。つまり、政府税調の方針が公表され、都議選で不評を買ったところから、この部分だけこっそり書き換えた、というのが本当のところでしょう。

自民党は、「税制改正大綱」で示された個人所得課税の見直しを進めるという方針そのものは少しも変えていません。だから、「政府税調の考え方はとらない」という公約は、文字通りのコウヤクで、一時的にぺったり貼られているだけ。選挙が終われば必ず剥がされ、各種控除の見直しに取りかかることは確実です。

今週の「九条の会」(8月20日まで)

各地の「九条の会」の動きについて、インターネットのニュースをピックアップしました。今週は、8月15日をはさんでいたせいか、たくさんニュースがありました。

17日付の「毎日新聞」(たぶん長野版)には、奥平康弘先生が登場されています。

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共産党不破議長の政治回想録を読む

不破哲三『私の戦後60年』

あの新潮社から、日本共産党の不破哲三議長の政治回想録『私の戦後60年 日本共産党議長の証言』が出版されました。ということで、さっそく手に入れてぱらぱらと読み始めたのですが、おもしろくて一気に最後まで読んでしまいました。

この本は、政治ジャーナリストの角谷浩一氏が聞き手となってインタビューをおこない、それをもとに不破さんがまとめたもの。巻末に、インタビュアーの角谷氏のコメントが載っていますが、それが、この本のおもしろみをそれなりに伝えているので、紹介しておきたいと思います。

 不破氏の話は隙がなく緻密であった。傍らに和文、英文の歴史資料や各種データ資料をおいて、時には横に控える秘書に追加資料を用意させ、歴史的な事柄について、裏付けを示しながら、よどみなく、その本質、背景をえぐった。
 物腰は静かで、考えをまとめるために滞ったり記憶を頭の中で探すようなことは一度もなく、政治家特有の、ひとつのキイワードを繰り返すとか、気に入ったフレーズを強調するようなこともなかった。政治家というより、学究肌の人という印象を持ったが、穏やかに話す口調の中に、政治家として歴史の検証に関わっているという重みもしばしば感じた。(本書、350ページ)

 不破氏が本書で語る内容は、決して情緒的ではなく、データと資料によって織り成され、積み上げられたものである。専門家の中には、不破氏が提示したデータや意見に対して、さまざまな感慨や反論を抱く人も多いだろうが、少なくとも私には新鮮に感じられた。同時に、本来立ち止まって検証すべき事象に対して、政府や政治、政党や、政治家、ジャーナリズムが、見抜けなかったり、頬かむりしたり、追及しそびれていた事柄があまりにも多いことを痛感した。
 政治は歴史に対して、あるいは過ぎたことや終わったことに対して「しょうがない」を言ってはいけないのではないか。何度でも検証し、振り返り、間違いを正し続けるべきものではないのかだろうかと、不破氏の話を聞きながら、何度となく考えた。
 政治家にはリーダーシップが必要だが、加えて過去、現在、未来に対しての複眼的視点も必要である。日本の進路に対して、政権や権力に対して、そして国民に対して、情緒的にならずに、謙虚に冷静に対応する多角的視点と行動が、ますます必要な時代はこれからだとも感じた。本書は、その視点を持つための一助になると信じている。(同、354ページ)

角谷氏は、政治家というものはよっぽど、お気に入りのワンフレーズを繰り返して、情緒的に喋るものだと思っていたようですが、何にせよ、これが、これまで不破氏に直接取材することがなかったという若手政治ジャーナリストの感想。僕は、率直なものだと思いました。出発点は、「一度たりとも政権に関わったことのない」、自民党などとは対極にある政治家の政治哲学や政治観、歴史観を聞きたいということだったのでしょうが、それ以上に、日本のこれまでの政治やこれからの進路を考える1つの枠組みを示すものとして受け止められたように思えます。

「田中首相との論戦楽しかった」=不破氏が戦後回想録を出版(時事通信)

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政治をもてあそぶ者

小泉首相・自民党執行部は、郵政造反組への対立候補として現職の岡山市長を自民党公認候補として擁立。さらに、民主党菅代表にたいする対抗馬として、現職の武蔵野市長を擁立。岡山市長も武蔵野市長も、任期を残して、突然、公職を投げ出してしまった訳で、その無責任ぶりは批判を免れない。

さらに、自ら選挙の都合で、現職市長を衆院選に立候補させた自民党の責任も大きい。日頃、地方分権、地方の時代などと言いながら、実は、地方の政治を尊重するつもりはさらさらない、ということなのだが、これほど、有権者を馬鹿にした話はない。

MT-3.2beta5が出ました

MT-3.2beta5が出ました。ということで、早速新規インストールしてみました。

Movable Type 3.2 Beta – Beta-5 is out

beta4までだと、ここでサイトをリビルドしようとすると、テンプレートの誤記のためエラーになっていたのですが、beta5では正常にリビルドが完了しました。

ただいま実験中