「百人斬り」報道によって人格権を傷つけられたとする元将校遺族の訴えについて、東京地裁が棄却の判決。
当時の東京日日新聞の「百人斬り」報道について、判決は、「記事は二将校が東京日日の記者に百人斬り競争の話をしたことをきっかけに連載され、報道後に将校が百人斬りを認める発言を行っていたこともうかがわれる」と指摘。
将校遺族の請求棄却 「百人斬り」報道訴訟(産経新聞)
元将校遺族の請求を棄却 「百人斬り」訴訟で東京地裁(朝日新聞)
将校遺族の請求棄却 「百人斬り」報道訴訟 東京地裁「明白な虚偽と言えぬ」
[産経新聞 2005/08/23夕刊]昭和十二年の南京攻略戦で旧日本軍の二将校が日本刀で「百人斬り」を行ったとする事実無根の報道で名誉を傷つけられたとして、遺族が毎日、朝日両新聞社と本多勝一朝日新聞元編集委員らに謝罪広告の掲載や出版の差し止め、計三千六百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は二十三日、「当時の記事内容が一見して、明白に虚偽であるとまでは認められない」として遺族側の請求を棄却した。遺族側は判決を不服として、控訴する方針。
土肥章大裁判長は判決で「記事は二将校が東京日日の記者に百人斬り競争の話をしたことをきっかけに連載され、報道後に将校が百人斬りを認める発言を行っていたこともうかがわれる」と指摘。その上で「虚偽、誇張が含まれている可能性が全くないとは言えないが、何ら事実に基づかない新聞記者の創作とまで認めるのは困難」と判決理由を述べた。
「百人斬り」の真偽については、「さまざまな見解があり、歴史的事実としての評価は定まっていない」とした。
判決などによると、東京日日新聞(現毎日新聞)は十二年、四回にわたり、野田毅、向井敏明両少尉が前線でどちらが先に百人斬れるか競争しているとの記事を実名入りで掲載。両少尉は戦後、この記事を証拠として南京軍事法廷で銃殺刑に処せられた。朝日新聞や本多氏らは四十六年以降、「百人斬り」が「真実」と報じ、同様の記述のある本を出版した。
遺族側は訴訟の中で、「『百人斬り』は戦意高揚のための作り話。人格権を侵害された」と訴えてきた。
これに対し毎日新聞社は「報道時、二少尉は記事で英雄視された。戦闘中の出来事を適正に取材し報じた」などと反論。朝日新聞社は「捕虜や民間人の虐殺があったのは真実で名誉棄損には当たらない」、本多氏は「二少尉は東京日日の記事に同意しており、違法性はない」と主張していた。
≪毎日新聞社社長室広報担当の話≫ 「当社の主張が認められたものと理解しています」
≪朝日新聞広報部の話≫ 「当社の主張を認めた判決と受け止めています」
≪本多勝一氏の話≫ 「当然の結果。この歴史的事実がますます固められたというべきだ」
「百人斬り」報道で人格権を侵害されたという主張がいまいちよく分からなかったのですが、朝日新聞の報道によれば、どうやら「死者への敬愛追慕の情を侵害した」との主張のようです。名誉毀損については、本人が死亡し、遺族の名誉を毀損する目的で書かれたものでない以上、遺族が訴えてもなかなか認められないでしょう。
元将校遺族の請求を棄却 「百人斬り」訴訟で東京地裁
[朝日新聞 2005年08月23日13時10分]旧日本軍の将校2人が戦時中の1937年に中国で「百人斬(ぎ)り競争」をしたとする当時の新聞報道や、のちにこの問題を扱った書籍をめぐり、遺族が「虚偽の事実を書かれ、名誉を傷つけられた」などとして、朝日、毎日両新聞社と本多勝一・元朝日新聞記者らを相手に出版差し止めや謝罪広告の掲載、計3600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、東京地裁であった。土肥章大(どい・あきお)裁判長は請求をすべて棄却した。
当時少尉だった将校2人の遺族が03年4月に提訴。37年当時、両少尉が中国兵を日本刀で殺害した人数を競う「百人斬り競争」をしたと報じた東京日日新聞(現・毎日新聞)の記事と、本多氏が執筆し、朝日新聞社が出版した書籍「中国の旅」と「南京への道」の記述などを問題とした。
原告側の「死者への敬愛追慕の情を侵害した」との主張について、判決は「表現行為が違法となるのは『一見して明白に虚偽』である場合」との基準を示したうえで、記事は「両少尉が記者に百人斬り競争の話をしたことがきっかけで掲載された」などと認定。「本多氏が論拠とした関係者の著述なども一概に虚偽とは言えない」などとして、書籍の記述が「一見して明白に虚偽だとはいえない」と判断した。
原告側の「死者や遺族の名誉を棄損した」との主張についても、「死亡によって名誉などの人格権は消滅する」「記述は遺族の生活状況などについて言及していない」などとして退けた。
〈原告側代理人の話〉 明白に虚偽だとの証明を原告に求める不当な判決。控訴して争いたい。
〈朝日新聞社広報部の話〉 当社の主張を認めた判決と受け止めています。