国立近代美術館の「アジアのキュビズム――境界なき対話」に行ってきました。
この展覧会は、アジアの芸術家がキュビズム的動向をいかに受け入れ、いかにそれに応えてきたかという問題に焦点を当てる世界で初めての試みであり、アジア11カ国約120点の作品を「テーブルの上の実験」、「キュビズムと近代性」、「身体」、「キュビズムと国土(ネイション)」という4つのテーマから紹介します。本展が、アジアにおけるモダニズム絵画の諸相を綜合的に捉えなおす絶好の機会となり、さらには、キュビズムとは何か、近代芸術とは何か、という問いに対する私たちの側からの応答となることを願っています。(同展のチラシから)
で、いかにもキュビズムといった絵から、これがキュビズム?という絵まで、いろんな絵がありましたが、1つ気がついたのは、日本のキュビズム受容が1930年代なのにたいして、アジア諸国のそれが1950年代だということです。その理由は、もちろん明白で、戦前のヨーロッパ諸国の植民地支配、そして1940年代前半の日本の占領と戦争、そして1945年の日本の敗北から独立までの激変です。民族独立と近代化との独特の重なり方が、アジアのキュビズムの特徴かも知れません。
↑ラビン・モンダル(インド、1929-)の「売春宿 シリーズII」(1962年)。娼婦たちの身体の肉感的なイメージとともに、青っぽい陰が印象的。
→ジョージ・キート(スリランカ、1901-1993)の「反映」(1947年)。もともとキュビズムが、1つの対象を一方向からだけでなく、多方面からとらえ、それを1枚の絵の上に複合的に再構成しようという企図なのですが、そこに鏡を持ち込むことで、さらに立体的・複合的にしているのがおもしろいですね。
↑金基昶(キム・ギチャン、韓国、1914-2001)の「収穫(大麦の脱穀)」(1956年)。一見すると、水墨画的な技法で彩色で描いた絵のように見えて、どこがキュビズム?という感じもしますが、直線による構成というあたりがキュビズムなのかも知れません。働いているのがみんな女性のように見えるのですが、男性はどうしたんでしょう?
【展覧会情報】
アジアのキュビズム――境界なき対話(東京国立近代美術館)
2005年8月9日(火)?2005年10月2日(日)
主催:東京国立近代美術館/国際交流基金/韓国国立現代美術館/シンガポール美術館