皇位継承問題で隠された真の論点

今日の「毎日新聞」3面の「闘論」欄で、皇位継承問題が取り上げられていましたが、果たしてこれで本当に「闘論」になっているのか、大いに疑問です。

登場した論者は、高崎経済大の八木秀次氏と京産大の所功氏。どちらも、ゴリゴリの皇室派で知られた人物。これでは、本当に問題点を明らかにする「闘論」は望むべくもありません。

「皇室典範に関する有識者会議」が女系を認める方向で最終報告をまとめる作業に入ったと伝えられていますが、それにたいし、八木氏は、あくまで男系男子を守るべきであり、旧宮家の復帰で問題を回避すべきだと主張し、所氏は、男系男子にこだわればいずれは皇位継承が出来なくなるときがくるとして、女系を認めるべきだと主張。しかし、それぞれの論拠を見ると、このような“初めに皇位継承あきり”の議論がいかに時代錯誤、本末転倒の議論かがよく分かります。

あくまで男系男子を主張する八木氏の論拠は何か。曰く――

 女系を容認し始めると、一般国民と皇族との違いは何なのかということになりかねない。……天皇がなぜ天皇かと言えば、血統が正統性の最大の根拠だ。女系容認は正統性の根拠を揺るがす動きにほかならない。

「(女系)容認論は、天皇制を廃止しようという動きに利用されかねない」と力んでみせる八木氏ですが、ではなぜ女系だと「血統」という正統性の根拠が揺らぐのか、まったく根拠不明です。まさか、母親と子どもとは血がつながってない、などと主張するつもりなんでしょうか? よく言われるとおり、父親が誰かは分からなくても、母親が誰かは確実です。男女平等の世の中に、これほど堂々と女性を蔑む発言をなさるとは、なんともご立派な先生です。

それにたいし、所氏はというと、「伝統とは、単に『形』を続けることではなく、『本質』を伝えることだ」と言われるのですが、では、その皇位継承の「本質」は何かというと、

天皇としての役割を果たせる皇族が確実に得られることこそ本質だ

これは、別の角度から言えば、「天皇としての役割を果たせる人間が天皇だ」ということ。究極のトートロジーです。皇位継承の「本質」といいながら、結局、その「本質」として語るべき中身がないのです。

こうやって2人の「闘論」から浮かび上がってくるのは、結局、天皇の存在というものを自明の前提として、「皇位継承をどうするか」だけを議論することが、じつは、非常にナンセンスな議論だということです。そもそも「主権在民」の日本に、「世襲」によって継承されなければならないような特別の地位が必要なのか? 皇位継承問題の真の論点は、そこに行き着かざるを得ないのではないでしょうか。

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