小泉首相の靖国参拝で社説

小泉首相の靖国参拝について、新聞各紙の社説を拾ってみました。

首相の靖国参拝 どう考える国益と信条(中国新聞)
小泉首相の靖国参拝/憲法を軽視してはならない(河北新報)
首相靖国参拝*聞く耳を持たぬ危うさ(北海道新聞)
首相靖国参拝 国内外への説明責任果たせ(熊本日日新聞)
靖国参拝 首相の責任が問われている(愛媛新聞)
靖国参拝強行 改革の機運も台無しだ(東京新聞)
靖国参拝 中韓の反発が国益なのか(毎日新聞)
[首相靖国参拝]違憲判決を無視するのか(沖縄タイムス)

社説 首相の靖国参拝 どう考える国益と信条
[中国新聞 2005/10/18]

 小泉純一郎首相が靖国神社を参拝した。就任以来五年連続である。この日は秋季例大祭初日という同神社にとって意義深い日。外交日程を併せ考えた末の唐突な参拝だ。
 「ぶれない」が看板の首相にとって靖国参拝は中心的な信条。だが外にあっては中国や韓国の反発激化、内には違憲の司法判断―そうした国益を損ないかねない問題に目をつぶった参拝。「国益」と「信条」など考えなければならない問題をあらためて突きつけた。
 なぜ首相は参拝を続けるのか、参拝して何を祈っているのか。
 「二度と戦争を起こしてはいけないとの決意を新たにした」「心ならずも命を捨てなければならなかった多くの方々に敬意と感謝の気持ちを込めて哀悼の誠をささげた」(二〇〇三年一月十四日の参拝で)。元日参拝の昨年は「日本が平和のうちに繁栄するようにとさまざまな思いを込めて…」。今回も「平和を願う一国民として…」としている。
 偽らざる心情だろうし、多くの国民も犠牲になった人たちを悼むこの言葉に共感を覚えよう。問題はA級戦犯の合祀(ごうし)にある。A級戦犯とは先の大戦で戦争を指導した犯罪人として極東裁判で裁かれた東条英機元首相らである。この人たちによって多くの人は心ならずも戦場に赴き、命を落としただけでなく、その何倍もの他国の人に犠牲を強いた。
 首相は昨年まで、A級戦犯合祀に「抵抗感はない」と強調。だが今年になって「A級戦犯を戦争犯罪人だと認識している」と言い切り、A級戦犯を弔うために参拝しているわけではない―と変わった。つまり現在は、合祀されている神社にA級戦犯を除外して参拝しているという何とも分かりづらい図式になっている。
 首相の参拝に被害者の中国や韓国は強い不快感を示し、外交は行き詰まっている。国内でもA級戦犯と一緒に祭られることに抵抗を覚える遺族がいる。加えて先日の大阪高裁は首相の参拝は政教分離に反し憲法違反とする判断を示している。
 だが首相は外交について「近隣諸国とは未来志向の形で努力する」と言うだけで展望を示さない。今回の参拝によって日中外相会談は中止になるなど、今後めじろ押しのアジア外交にも影響が出そうだ。
 違憲判断には「憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない」「戦没者に対する哀悼の誠をささげるのがなぜ憲法違反なのか」と反論している。首相が司法の判断に公然と異を唱え、意に介さない形で行動する姿は民主国家として異様に映る。
 首相は参拝問題について「適切に判断する」と繰り返し、衆院選でも争点化を避けた。「参拝断念」の選択肢はなかったからだ。政界でも「あの人のことだから絶対行く」が常識化。衆院選での自民党大勝で党内に異を唱える人はいなくなり、数で劣勢の野党も無力だ。
 与党として歯止め機能が期待される公明党も、不快感は示すものの物足りない。また郵政民営化の一本に訴えを絞って当選した形の自民党新人八十三人はどう考えているのだろう。この際、聞いてみたい。

社説 小泉首相の靖国参拝/憲法を軽視してはならない
[河北新報 2005年10月17日]

 小泉純一郎首相は17日、就任以来5度目となる靖国神社参拝を行った。首相が今回、平服で昇殿や記帳もしないなど「私的参拝」の色合いを強めたことは、さまざまに検討した結果なのだろう。
 ただ、首相が在任中に靖国神社に参拝することは、やはり憲法上の疑義が残る。最高裁による最終的な判断は出ていないが、一国の政治指導者として、合憲か違憲か司法判断が分かれる中でこのような行動を続けるべきではない。
 首相の靖国神社参拝をめぐる訴訟ではこれまでに何件もの判決が出されているが、憲法判断に踏み切った2件(福岡地裁、大阪高裁)はいずれも違憲だった。9月30日の大阪高裁判決は2001―03年の3回の参拝について、首相の職務としての公的性格を認めた。その上で、国が靖国神社を特別に支援しているかのような印象を与え、特定宗教を助長するような効果があったと認定した。
 国家と宗教との政教分離原則について、最高裁は津地鎮祭訴訟判決(1977年)で「目的効果基準」という考え方を示した。国と宗教とのかかわり合いを全く認めないわけではなく、社会的、文化的な限度を超えて援助や助長、逆に圧迫や干渉につながる行為は違憲だと指摘している。大阪高裁は限度を超えたと判断した。
 首相は今回、参拝のやり方を変えたが、多くの議論がある中であえて参拝したこと自体が、靖国神社への特別の支援という印象を与えることは否定できない。
 最大の政治権力者にとって、一般の人と同じ方式で参拝したと言っても、その効果は格段に違う。政教分離原則は、個人的な信条を超えて守らなければならない憲法上の制約であるとみなすべきだ。
 歴代首相の中で、靖国神社を参拝したのは小泉首相だけではない。過去にはいったん参拝したものの、その後に取りやめた首相もいた。仮に問題点を指摘されれば、一歩退いて問い直してみる。宗教との間に、政治が意識してそうした距離を保つことの方が望ましいあり方ではないだろうか。
 政教分離はなぜ求められるのか。一般的には両者が接近しすぎることで、信教の自由が侵される危険性を排除しようとしている。憲法20条などに規定している日本の場合はそれ以上に、戦前の国家神道体制に対する反省という視点が求められる。国家宗教の位置にあったために、政治と宗教が一体となって破局に向かったことを忘れてはならない。
 靖国神社参拝は中国や韓国などから強い反発を受け、今後の国際関係に大きな影響が出るだろう。それでもなお「外圧」で参拝をやめたと受け取られることを、政治の敗北だと考える向きがあるのかもしれない。
 小泉首相は参拝を「不戦の誓い」と説明してきた。だが日本側がいくら言ったところで、アジア各国が受け止めてくれなければ宙をさまようしかないこともよくよく考えるべきだ。

社説 首相靖国参拝*聞く耳を持たぬ危うさ
[北海道新聞 10月18日]

 小泉純一郎首相が靖国神社を参拝した。昨年の元日以来で、首相就任後五回目になる。
 中国や韓国はただちに激しい抗議をしてきた。予定されていた日韓首脳会談や日中外相会談のめどが立たなくなるなど、外交日程にも重大な影響が出始めている。
 最近の各種世論調査に見る通り、首相の靖国参拝には国民の反対が根強い。連立与党内でも公明党だけでなく、自民党にさえ慎重論があった。
 そうした声を押し切っての参拝である。衆院選で圧勝したおごりなのか。聞く耳を持たない首相にこれまでにない危うさを感じる。
 小泉首相の靖国参拝をめぐる訴訟は地裁で七件、高裁で四件の判決が出ている。このうち昨年四月の福岡地裁と今年九月の大阪高裁が、憲法の政教分離規定に反しているとして違憲判断を示した。
 他の判決は憲法判断を避けているだけで、合憲の判断は一件も出ていない。二件の違憲判断の重みを真摯(しんし)に受け止めれば、参拝という選択はなかったはずだ。
 首相は今回、本殿に上がらず一般参拝客と同様に拝殿前で手を合わせただけだった。記帳もしていない。私的参拝の形をとることで、国内外の批判をかわすつもりだったのかもしれない。
 しかし、問題は参拝の形にあるのではない。そもそも、首相という一国の指導者の参拝を、私的か公的かと線引きすることは難しい。だからこそ首相は自重すべきだった。
 しかも、今回は秋の例大祭という宗教行事に合わせての参拝である。宗教的行為とみられても仕方あるまい。
 外交への影響も深刻だ。十一月中旬以降、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、東アジアサミットと重要な国際会議が続く。近隣諸国の信頼を失ったままでどんな外交ができるというのか。
 あえてアジアの国々の反発を買う靖国参拝は、国益を損なう行為だといわざるを得ない。
 一方、北京の日本大使館は在留邦人に反日デモなどへの注意を呼びかけている。首相の個人的信条にこだわった参拝が、外交を大きく停滞させるだけでなく、自国民を危険にさらすことにもなるかもしれない。
 首相は今回の参拝決定について記者団に「適切であると判断した」と語った。しかし、こうした事態を招いた判断が「適切」であろうはずがない。
 八月十五日の首相談話はアジア諸国との関係について「過去を直視して、歴史を正しく認識し(略)未来志向の協力関係を構築していく」と強調した。
 侵略戦争の精神的支柱であり、首相も国会答弁で「戦争犯罪人」と認めたA級戦犯を合祀(ごうし)している靖国神社への参拝は、談話の精神にも反している。

社説 首相靖国参拝 国内外への説明責任果たせ
[熊本日日新聞 2005/10/18]

 小泉純一郎首相が十七日、靖国神社に参拝した。首相就任以来、毎年参拝しており、今回で五度目だ。
 衆院選で圧勝し念願の郵政民営化法を成立させた小泉首相が参拝するのはある程度予想されていた。だが、首相参拝を憲法違反とする大阪高裁判決があったばかりの時期に、近隣諸国の反発も根強いなかで、なぜ参拝に踏み切ったのかとの疑問はぬぐえない。憲法が定める政教分離の原則や歴史認識問題、国益をどう判断した上での参拝なのか、首相は国内外に納得できる説明をする責務がある。
 首相の靖国参拝をめぐっては、昨年の福岡地裁判決に続き大阪高裁も九月三十日の判決で、参拝を「公的」と判断。「国内外の強い批判にもかかわらず参拝を実行、継続」しており、「特定の宗教に対する助長、促進にあたる」と認定して「違憲」とした。
 これに対して、首相は国会で「どうして違憲判決なのか理解に苦しむ」と答弁した。確かに参拝が「公的」か「私的」かで各地裁、高裁の判断は分かれている。ただ、戦前の国家神道と結びついた政治体制への反省に立ち、国民主権を掲げた憲法が政教分離原則を重視する意味を首相は真摯(しんし)に受けとめる必要がある。
 今回は、本殿に上がらず拝殿前で一般参拝客と同じ形で参拝、記帳もしないなど「私的」参拝の色合いを強めた。それでも、秋季例大祭という靖国神社の重要な宗教行事の初日に、公用車で秘書官らを伴って参拝した事実は重い。首相は「平和を願う一国民として参拝した」としているが、政教分離原則との整合性について国民にきちんと説明すべきだ。
 小泉首相は今年四月開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)で、過去の植民地支配と侵略に対する「反省とおわび」を表明、平和国家として歩んでいくことを強調した。中韓両国はこうした歴史認識を、行動でも示すよう求めている。靖国参拝見送りを念頭に置いたものだが、両国との間にある歴史認識の溝を埋める政治的指導力への期待もあった。
 もちろん歴史認識は他国から言われて変える性格のものではないが、戦後六十年の節目に歴史を直視し、国民論議を積み重ねるよう首相が努力してきたかというと、その印象は薄い。衆院選でも歴史問題は争点にならなかった。自ら指示して検討させた新たな国立戦没者追悼施設構想も、棚上げ状態のままだ。
 靖国問題は中韓両国との間に刺さって抜けないとげのようだ。特に中国には有効な対日外交カードと化した側面もあるが、経済面で相互依存を強める両国首脳の交流が途絶えた状況は正常とは言えない。首相は「アジア諸国との関係を重視し、未来志向の形で努力する」としているが、外交戦略は手詰まりの感が強い。
 「戦没者を追悼する気持ちと、二度と戦争を起こしてはいけないという不戦の誓い」との説明は率直に受け止めたい。しかし、個人の信条や信念とは別に、首相は民意を集約するとともに、国益を守る重責を担っていることを忘れてはならないだろう。選挙後の世論調査で、首相の靖国参拝について「今年は見送るべきだ」が過半数だった。慎重な判断を求める国内外の声を振り切ってまで参拝した真意を、首相は丁寧に語るべきだ。

靖国参拝 首相の責任が問われている
[愛媛新聞 2005/10/18]

 やっぱりか―小泉純一郎首相が今年も靖国神社を参拝したことに対し、賛成派、反対派双方ともこんな気持ちだろう。
 参拝は首相が自民党総裁選に出馬したときからの公約で、年一回続けてきた。今回は衆院選で圧勝し、郵政民営化関連法が成立した直後だ。ちょうどいいタイミング、と首相は考えたのだろう。
 ただ、国内外の反発に配慮した形跡は見える。参拝を簡素な形にし、「私的参拝」の色合いを濃くした。過去四回は本殿に上がり、記帳もしていたのに、今回は拝殿前で一礼しただけで記帳もしなかった。
 これは小泉首相の靖国参拝をめぐって各地で争われている裁判の影響だろう。裁判では参拝が憲法の政教分離規定に違反するかどうかが争点になり、前提として参拝が公的か私的かという点が問題になっている。
 各裁判所の判断は大きく分かれているが、十一件の判決のうち四件は公的参拝と認定し、さらに昨年四月の福岡地裁判決と先月末の大阪高裁判決は一歩踏み込んで「参拝は違憲」という判断を下した。
 このため、首相は参拝の私的性格を強調したかったに違いない。しかし、公用車を使い秘書官を伴うなど、公的な性格はまだ残っている。
 そもそも、首相が公の場でとる行動を公的、私的などと区別することが可能だろうか。そんな根本的な疑問もある。
 首相在任中に参拝し、中韓両国の反発で翌年の参拝を断念した橋本龍太郎元首相は「この仕事(首相)には私人というものはないことを知った」と述べている。この反省を小泉首相はかみしめる必要がある。
 中韓両国は今回も猛反発している。両国は再三にわたって中止を要望していただけに、ショックは大きいに違いない。
 対アジア外交に本腰を入れなければならないときに、中韓両国のメンツをつぶし、溝をさらに広げる行為はどう考えてもおかしい。
 小泉首相は今年、戦後六十年の終戦記念日に談話を発表し、過去の植民地支配と侵略に対する反省とおわびの気持ちを表明した。昨日の参拝後も「アジア諸国との関係を重視し、未来志向の形で努力していきたい」とあらためて述べている。
 しかし、肝心なのは口先だけでなく、行動で示すことだ。首相の言葉と行動はあまりにも懸け離れている。これでは中韓両国が納得するはずもない。
 確かに首相の言うように、参拝をしなければ日中、日韓関係がすべてうまく行くわけではない。しかし、両国との関係で靖国参拝が大きな障害になっているのも事実である。
 首相は来年九月に自民党総裁の任期切れを迎える。あと一年の首相在任だから、自分の信条を貫いたのかもしれない。
 しかし、あと一年だからこそ、中韓両国、さらにはアジア各国との関係改善に道筋をつけておく必要があるのではないか。それこそが首相の重い責任であるはずだ。

靖国参拝強行 改革の機運も台無しだ
[東京新聞 2005/10/18]

 何をそんなに意地張って。こんな感想を抱いた人も多かろう。秋の例大祭が始まった靖国神社に小泉首相の五度目の参拝である。聞く耳持たぬ首相の尻ぬぐいに、官邸、外務省が走る。見苦しい。
 側近の中川秀直・自民党国対委員長によると、首相はこう語ったという。「マスコミが、いつ行くか、いつ行くかと、ずっと粘っていた。待たせては申し訳ないから行った」
 事実なら、侮られたものだ。マスコミも、国民も。
 私たちは参拝を待ち望んでいたわけではない。国民も先の総選挙で首相の口から「参拝する」とは聞いていない。「一国民として参拝した」との首相の釈明も、公私を区別できない児戯に似る。総選挙の与党圧勝で何もかも信任されたと開き直るなら、筋違いも甚だしい慢心だ。
 侮られたのは司法も、である。首相参拝を違憲とした大阪高裁判決の衝撃から半月余だ。なるほど、紋付きとはかまをスーツに変えた。記帳も昇殿もしなかった。判決で指摘されたままではまずいと、「公的」色を薄めるのに腐心したのだろう。
 判決文の字面だけを見て「首相の職務としての参拝」批判をかわしたつもりなのだ。高裁判決に「理解に苦しむ」と気色ばんだ、首相らしい非論理性がここに際立つ。
 過去四年連続して強行された首相の靖国参拝は、中国や韓国の近隣諸国を必要以上に刺激して、日本のアジア外交を滞留させてきた。中韓両国も侮られた思いなのだろう、十一月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合などに向けた準備が、ことごとく白紙になった。
 国民の利益のためにと、両国との関係改善に地味な努力を積み重ねてきた人たちの落胆がよく分かる。
 伝えられるところでは、首相の反論は「靖国に行くなというのは中国の言いなりになれということだ」の一点である。メンツが東シナ海ガス田や領土領海絡みの交渉を一層複雑にするなら、責任は重大だ。
 小泉改革路線は「郵政民営化を突破口に」の文言が効いて、少なからぬ国民の期待を引きつけている。強大な官僚機構を相手に改革の道筋をしっかりつけるべき時だろう。なのに、慢心やメンツの参拝が改革の機運を台無しにするのでは、それこそ理解に苦しむ。
 官房長官や外相、党幹部らに首相をいさめるのは無理なようだ。ならば、と思いたいのだが、参拝批判や慎重論を唱える議員がめっきり減っている。新人議員も声がない。自民圧勝の総選挙が、権力者に従順な政治家の大量生産だったとしたら、まことに嘆かわしいことである。

社説:靖国参拝 中韓の反発が国益なのか
[毎日新聞 2005年10月18日 東京朝刊]

 小泉純一郎首相が17日、靖国神社を参拝した。首相として通算5回目の参拝だ。
 靖国神社はこの日が秋の例大祭の初日。首相は午前10時過ぎ、拝殿前でスーツのポケットから取り出したさい銭を投げ入れ、深々と頭を下げた。これまでのように本殿に昇らず、「内閣総理大臣 小泉純一郎」の記帳はしなかった。献花料も納めなかった。
 戦没者の冥福を祈る祭典の日の参拝で「慰霊」の趣を濃くし、一般客と同じように行動し、ことさら「私的参拝」らしさを強調してみせたのだ。
 靖国参拝を首相の職務行為としたうえで違憲判断を下した先の大阪高裁判決に配慮したのだろう。
 参拝の日程も、11月から12月にかけてブッシュ米大統領の訪日やアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、盧武鉉(ノムヒョン)韓国大統領の訪日、東アジアサミットなどが予定されていることを踏まえ、外交的に影響が比較的少ない10月中旬を選んだとみられる。
 私たちは、首相の靖国参拝が外交上の国益を損ない、信教の自由を保障した憲法20条との関係でも疑義があるとして反対してきた。首相が参拝のスタイルを工夫し、入念に時期を選んだとしても、参拝を容認することはできない。
 今回、記帳をやめて私的参拝にしたというなら、首相はこれまでの参拝のどこに問題があったのかを国民に説明すべきだ。
 今年は戦後60年、日韓条約締結40年の節目の年である。さまざまな交流を通じて隣国との友好を深める機会にすべきだった。
 ところが中国、韓国では「反日」の火が燃え盛り、両国は日本の国連安保理常任理事国入りに強く反対した。4年前から繰り返される首相の靖国参拝が両国民の間に「反日」を増幅させたのは否定できない。
 「反日」の高まりを抑えようと小泉首相は4月のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の演説で植民地支配と侵略の歴史について「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。8月15日には談話を発表し、この中で「ともに手を携えてこの地域の平和を維持し発展を目指す」と誓った。
 にもかかわらず、今年もまた参拝である。中韓両国にとっては首相が「二枚舌」を使っているように見えるかもしれない。
 中国などは靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されているから首相の参拝に反発する。首相はA級戦犯が「戦争犯罪人だと指定されている」と国会で答弁しながらも、突っ込んだ議論をしようとしない。
 日中間では4年間、首脳の相互訪問が途絶えている。その混迷に輪をかけるように、首相の靖国参拝を受けて、23日に予定されていた日中外相会談が取りやめとなる恐れが出てきた。韓国側は12月の日韓首脳会談を延期する方向で検討を始めたという。
 首相の靖国参拝のたびに隣国から大きな反発を浴び、外交当局が右往左往する。首相は停滞したアジア外交を立て直す責任をどう果たすのか。

社説 [首相靖国参拝]違憲判決を無視するのか
(沖縄タイムス 2005年10月18日朝刊)

 小泉純一郎首相が、東京九段北にある靖国神社を参拝した。首相就任以来五回目の参拝になる。
 今回は本殿に入らなかった。記帳もせず、拝殿前で参拝する一般客と同じ形式で行った。
 だが、九月三十日に大阪高裁が首相の参拝は「公的」であり「憲法の禁止する宗教的活動に当たる」として違憲判決を言い渡したばかりではないか。
 「靖国神社参拝訴訟」は全国の地裁で七件、高裁で四件の判決が出ている。うち四件で首相の参拝は「公的」と認定し、福岡地裁と大阪高裁は憲法判断にまで踏み込んでいる。
 形を繕ったにしても違憲判決を無視した行動といえ、今後の外交関係に影響するのは必至だろう。
 中国や韓国での反日デモの根底には、首相の靖国参拝に加え、その歴史認識があった。
 国内的にも「特定の宗教に肩入れするもの」と懸念する声は根強い。首相は参拝理由を自らの言葉で、内外にきちんと説明する責任がある。
 確かに、戦没者の追悼の仕方について他の国が干渉すべきではない。
 だが、それが沖縄戦から広島、長崎への原爆投下につながる十五年戦争の起点となり、戦場として多くの犠牲者を出した中国による批判に耐えられるのか、疑問なしとしない。
 韓国はまた日本に併合され、国民の強制連行や創氏改名の歴史を持つ。「靖国神社にはA級戦犯が祭られている」という指摘に対し、死んだら誰でも「カミ」になり「ホトケ」になる、という日本的通念による参拝理由が信義に反するのは言うまでもない。
 両国は軍国主義を象徴し、戦争責任を問われた故東条英機首相らの合祀を問題視しているのであり、国家神道と結びついた超国家主義によって被害を受けた隣国の声を忘れてはなるまい。
 総選挙で大勝した結果、靖国参拝についても国民の了解を得たと考えたのであれば、首相のおごりは極まる。
 圧倒的な議席を得たからこそ日米同盟だけでなく、一衣帯水の関係にある隣国にも目配りし、過去の歴史にも真剣に向き合うことが重要だからだ。
 首相の行動は自らの信条を優先させるあまり、冷却化している中国、韓国との関係を今以上に悪化させたといっていい。それがいずれの側にもある安直なナショナリズムに結びつく可能性は否定できず、注意せねばなるまい。
 首相が言う「不戦の誓い」を認めればこそ、外国の要人が参拝でき、政治家が政教分離という憲法の原則を犯さずに済む「公的な追悼施設」の設置を急ぎたい。

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