古本で、山崎隆三著『地主制成立期の農業構造』(青木書店、1961年刊)を入手。学部のゼミで、佐々木潤之介先生に報告するように言われた本です。
僕が苦労して報告したあと、佐々木先生は、この本で大事なのは、第5章「近世後期における富農経営の発展」の中に掲載された氏田家の収支計算の総括表だ、その総括表の中に、自作地の経費として氏田家が使う奉公人・日雇の「労賃」の項目があるのですが、それが重要なんだと言われました。
それによると、長年季奉公人の「労賃」は天明4年・銀7匁→寛政4年・26.7匁→文化14年・59.5匁→文政12年・52.1匁→天保3年・41.3匁→天保8年・55.8匁→嘉永4年・41.6匁→安政6年・36.2匁→万延元年・34.4匁であるのに対し、1年季奉公人の場合は寛政4年・160匁→文化14年・165匁→文政12年・116.7匁→天保3年・175.6匁→天保8年・138.5匁→嘉永4年・240匁→安政6年・240匁→万延元年232.6匁であるとされます。つまり、奉公人の「労賃」が長年季奉公より1年季奉公の方が高いこと、しかも1年季奉公の場合、「労賃」が幕末にいくにしたがって高くなっています。また、日雇の1日当たりの賃銀も、天明2年の97文から慶応3年500文(銀7.5匁)へ、幕末にいくにしたがって高騰しています。
このように、幕末になるにしたがって奉公人が長年季奉公から1年季奉公へ、さらに日雇へと変化し、それにともなって「労賃」が高騰したことが、氏田家の地主手作り経営を頭打ちにした原因である――これが佐々木先生の注目したところです(山崎隆三氏の解釈とは違っているのですが)。
では、なぜ奉公人の「労賃」が高騰するのか? 理由は簡単。中世の下人身分を受け継いだ長年季奉公人は、隷属的性格が強く、したがって主人の家内に住み、衣食なども主人から宛がわれる分、「労賃」は非常に低いのにたいし、短年季奉公になればなるほど、さらに日雇になればなるほど、「労賃」は奉公人の労働力の再生産費に近づかざるをえないからです。
ところが、地主手作り経営の一番の収入である米価の方は、余り高くなりません。なぜなら、江戸時代の米価は、領主が経済外的強制によって無償で農民から取り上げた米を大坂などで売り出したものなので、市場経済の価値法則が働かず、低い値段にすえおかれるのに対し、米以外の諸物価(「諸色」値段)は市場経済の発展にともなって、労働価値説的な意味での本来の価値価格に近づいていくことになります。そのため、幕末になるほど米価安値・諸色高値(だから領主財政が逼迫するのですが)になり、そういう中で、奉公人の「労賃」が本来的な再生産費にむかって高騰していけば、当然、手作り経営からの地主の収益は減らざるをえない訳です。この点に、富農経営の上昇・転化の根本的な原因があるんだ、というのが佐々木先生の説明でした(まったく記憶で書いているので間違っていたら、僕の責任です)。
言われてみれば、なるほど納得の説明ですが、封建制社会のもとであっても、市場経済が浸透するにつれて、労賃が直接的生産者の再生産費によって規定されるようになるという形で、価値法則が完徹していく、というのは、なんともお見事、さすが価値法則というべき事態でしょう。あらためて、『資本論』でのマルクスの解明の意義を痛感した出来事でした。