腰痛4日目…吉田孝『歴史のなかの天皇』

今日は、職場の机の並び替え作業をおこないました。といっても、僕は腰痛なので、机を運んだり動かしたりするのは他の人に任せ、パソコンとLANの配線を担当。机を動かすために、いったん外したパソコンのケーブルやらLANやらをつなぎ直して回るだけなのですが、各種ケーブルが束になってごちゃごちゃからまってしまっていて、結構手間がかかってしまいました。

そのせいか、午後になって再び腰が痛み始めてしまいました。う〜む、これは困った…。

吉田孝著『歴史のなかの天皇』(岩波新書)

ところで、出勤途中の電車の中で、1月の岩波新書、吉田孝著『歴史のなかの天皇』を読み終えました。古代史が専門の吉田先生ですが、中世、近世から近代、現代の天皇制まで話が及んでいます。古代については、いろいろ勉強になることがいっぱいありました。

たとえば、もともと「天皇」号は「とくに偉大な尊重すべき大王に対する尊称に近いもの」であって、欽明・推古など特定の大王にだけ用いられていたこと、平安時代の中頃から「天皇」号にたいする関心が希薄になり、「天皇」号が正式な君主の呼称として復活したのは明治になってからだということ、さらに1925年(大正14年)までは過去の天皇は「○○院」と呼んでいたこと、などなど。とても「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」などと言えない実態が分かります。

また、親族組織の問題としても興味深い指摘がいろいろあります。たとえば、中国の漢民族の場合は「同姓不婚」――同じ姓の者同士は結婚できないという「氏族外婚制」が完徹していたのにたいし、日本の場合、同母の兄弟・姉妹の婚姻にたいする近親相姦のタブーはあるものの、同じ氏族内での結婚は珍しくなく、とくに天皇家の場合は内婚化をすすめることで、神聖化、聖別化をはかったことなども明らかにされています。

僕は、日本では、モーガンやエンゲルスが論じたような「外婚制」の原則にのっとった氏族制度は存在しなかったと思っているので、こうした点の指摘は、「歴史のなかの天皇」というテーマとは別に、興味深く思いました。

第2次世界大戦の時期の昭和天皇については、彼が戦争遂行に能動的な役割を果たしたことがあまり具体的に書かれていないことがちょっと気になりました。参考文献などをみるかぎり、吉田先生もその点は十分理解されていることと思われるので、ちょっと物足りなく感じました。しかし、最近、とかく持ち出される「皇室の伝統」なるものが、実はほとんど近代になって作られたものであることが明らかにされて、その点でも、タイムリーな一冊といえます。

【書誌情報】著者:吉田 孝/書名:歴史のなかの天皇/出版社:岩波書店(岩波新書 新赤版987)/出版年:2006年1月刊/定価:780円+税/ISBN4-00-430987-5

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