小泉首相、「格差悪くない」と反論

社会的格差の問題で、閣議「格差は広がっていない」という資料を配っただけでなく、ついに小泉首相自ら「格差が出ることは悪くない」と発言。

しかし、「格差は悪くない」というこの議論。これも、実は、日本経団連の奥田会長が前から言っていたことなのです。

首相「格差悪くない」・改革批判に反論(日経新聞)

首相「格差悪くない」・改革批判に反論
[NIKKEI NET 2006/02/01 21:01]

 小泉純一郎首相は1日の参院予算委員会で「格差が出ることが悪いとは思わない」と述べ、社会の格差が広がっているとの見方に真正面から反論した。ライブドア事件をきっかけに強まる「勝ち組」批判も「成功者をねたんだり、能力ある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない」とばっさり。格差論争に一段と火が付きそうだ。
 この日の質疑では与野党とも「格差拡大」を懸念する発言が相次いだ。自民党の市川一朗氏は「改革一本やりでいいのか」と構造改革路線に疑問を挟んだ。
 首相は「どの時代にも成功する人、しない人はいる。負け組にチャンスをたくさん提供する社会が小泉改革の進む道」「今までが悪平等だった」などと言い返した。
 さらに「影ばっかりだったところにようやく光が出てきた。光が見え出すと影のことを言い出す」と格差批判を一蹴(いっしゅう)した。

小泉首相が受け売りした日本経団連の奥田会長の発言はこれ。今年1月の講演で、こんなふうに言っています。「敗者は、自己責任だ!」――これが財界の本音なのです。

 経済発展の一方で、格差の拡大と社会の階層化が問題となり、ニートやフリーターといった社会現象も踏まえて、格差拡大の問題をあらためて取り上げた『下流社会』といった本が売れる時代であります。こうした時代だからこそ、あらためて「共感と信頼」が問われているのだと思います。行き過ぎた格差は社会全体の活力を失わせることになりますので、一定の再分配政策やセーフティネットによって弱者を救う必要はあります。しかし、競争に敗れた、いわゆる敗者については、自ら選択した結果は本人がきちんと受け止めるという自己責任原則を徹底するとともに、失敗しても再挑戦が可能な社会システムとすることで、その活力を再度引き出す仕組みが必要であると思います。

↓奥田会長の講演全文はこちら。
「これからの世界経済と日本の課題」:内外情勢調査会における奥田会長講演 (2006-01-18)

再挑戦のチャンスがあればいいじゃないか、と言うけれど、ほんとに再挑戦のチャンスありますか?フリーターになってしまった青年に、正社員になるチャンスが本当にありますか? 中途でリストラされたお父さん、ほんとに再就職できてますか? もちろん、「負け組」から勝ち上がった人もいるでしょう。しかし、誰もが再挑戦して成功する訳ではありません。それが「格差」じゃないのでしょうか。

小泉首相、「格差悪くない」と反論」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: ODDS&SODS

  2. 奥田氏の講演記録を読めば読むほど腹立たしく思います。「心の豊かさや優しさよりもカネやモノを重視し、これに執着する考え方が出てきているのではないか」とか、「新渡戸稲造博士がまとめた武士道精神などを基盤として、そのうえに新しい価値観を積み上げていくことが必要である」などと矛盾したことを言っていますが、間違ったアメリカン・グローバリゼーションを持ち込んで、利益優先社会にし、日本的情緒を喪失してしまったのは、あなた自身じゃあないですか。
    グローバル化によって企業だけは良くなったかもしれませんが、利益優先となった社会が多くの事件や事故を発生させ、半数以上の日本国民がいくら働いても生活の苦しさから逃れられなくなり、治安は悪化する一方です。
    グローバリゼーションなどと米国の真似をした結果によってアメリカ的な社会に変貌してしまったんです。
    企業がグローバル化する前までは、韓国や中国や多くの東南アジアの国で、日本語を学び、日本を見習おうとしていましたが、米国的になってしまって嫌日家が増加してしまいました。情緒豊かな日本を尊敬していたが、米国の真似をする国からは何も学ぶものはないでしょうね。
    もしかして、グローバル化の失敗を素直に認めたくないために、他人のセイにしようとする発言だったんでしょうか?

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