「朝日新聞」14日付夕刊の文化欄「思想の言葉で読む21世紀論」が、「象徴的貧困」というテーマを取り上げています(担当、志水克雄・編集委員)。
「象徴的貧困」とはどういうことか。「朝日」の記事は次のように説明しています
情報やイメージ、映像が溢れる現代の社会で、人々の関心や話題がひとつの極に向かっていく奇妙な現象がみられる。どのメディアでも同じ人物がもてはやされ、時には嵐のようにバッシングを浴びる。社会全体の空気も特定の方向に傾きがちだ。
「メディアの多様化と逆に、人間の精神面では画一化が進んでいる」と見るメディア学者の石田英敬氏(東京大教授)は「背景には、情報が増えすぎたために、象徴的貧困化が深刻になっているという問題がある」と指摘する。■ ■
「象徴的貧困」とは、過剰な情報やイメージを消化しきれない人間が、貧しい判断力や想像力しか手にできなくなった状態を指すという。
フランスの哲学者ベルナール・スティグレールが使い始めた言葉で、「メディアがつくりだす気分に人々が動かされがちな日本の現実にこそふさわしい」と石田氏が訳語を考えた。(「朝日」夕刊から)
メディアが多様化しているにもかかわらず「象徴的貧困化」が進むのはなぜか。それは、「どのメディアも同じ数量化された商業主義的な枠組みで情報を扱っている」(「朝日」夕刊から)から。「メディアの多様化と言われているのは、実は偽りの多様化にすぎない」(同前)。
さらにインターネットの普及は、多様な情報、しかも商業主義的な枠組みから自由な情報の発信が可能になると評価する議論がある一方で、「ネット空間には趣味や関心による共同体が生まれている。そうした同質的な空間の中では同じような情報だけに接してすませることができる」(「朝日」夕刊での石田氏のコメント)というマイナスもある。
結局、石田氏が言うように、「自分たちの違う価値観や異質な見方と向き合う必要がある」ということにつきる訳で、そのための努力と姿勢を忘れてはならないだろう。
【参照】
「象徴的貧困」の時代(NULPTYX:石田英敬研究室)
欲望、文化産業、個人:ベルナール・スティグレール(「ル・モンド・ディプロマティーク」日本語電子版 2004年6月号)
季刊『InterCommunication』No.55、2006 Winter
ベルナール・スティグレール-Sammy’s blog
CONSAMAのつぶやき – 象徴的貧困
塗籠日記その弐#p2
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