オリンピックの閉会式。いろいろ演出も見事だったし、荒川選手をふくめ、選手の顔が優しくなっているのもよかった。でも一番印象に残ったのは、次の開催地バンクーバーの市長さんが車イスだったこと。「朝日」の記事によれば、19歳の時、スキーの事故で首を骨折し、手足の自由を失ったのだそうです。
カナダらしい、といってしまえばそれまでかも知れないけれど、日本でも障害者が市長や首相になって、だれも不思議がらない、そんな社会がくればいいなと思いました。
車いすに五輪旗翻る サリバン市長、壇上くるり披露(朝日新聞)
車いすに五輪旗翻る サリバン市長、壇上くるり披露
[asahi.com 2006年02月27日13時33分]「2010年五輪開催地、バンクーバーのサム・サリバン市長」
閉会式でそう紹介されると、サリバン市長(46)は動かない手を上げる代わりに、黒い電動車いすから観衆に向かってほほえんだ。
国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長が、トリノ市長から引き継いだ五輪旗の柄を、車いすの差し込み口に入れた。ステージの上で、サリバン市長はダンスのようにゆっくりと車いすを回転させた。
「風にうまくはためくように、いろんな方向で練習してきた。強い風、弱い風。舞台でうまく振れるかどうか」
閉会式の直前、心配はつきなかったが、本番では、五輪史上初めて車いすの市長に託された旗が、美しく翻った。
車いすの生活になったのは19歳の時。スキーの事故で首の骨を折り、手足の自由を失った。
「何一つ自分でできない生活に、自殺も考えた」
しかし、ボランティア活動を通じて、福祉の道に生きる望みを見いだした。障害者の自立を支援するNPOを次々と設立。93年に市議会議員に初当選し、昨年11月、市長に選ばれた。
バンクーバー市民の半数近くは外の町からやってきた住民だ。好きだった旅行はあきらめたが、「世界を自分に引き寄せようと思った」。
自らイタリア語、フランス語、広東語を操る。6日前にトリノ入りしてから、通訳なしでトリノ市内を精力的に回った。日々の「トリノ体験」はホームページで広東語や英語で市民に向け、毎日報告している。
「五輪は一度きり。やり直しはきかない。ボランティアの活動や、職員の仕事分担など、トリノ市から学んだことは多い」
市長の任期は08年まで。次の大会を市長として迎えるかどうかは分からないが、準備は待ったなしだ。